・ 熱視線 ・ 

 


『あ……』
 イルカは、心の中で呟いて、そっと周囲を探る。
 だが、そこには誰の姿も無い。落胆して、息を吐いた。
『また逃げられたか…』
 ―――実は、この頃イルカは自分に向けられる、密やかな視線を感じるようになっていた。
 それは、ほんの一瞬なので、最初は気のせいかとも思ったのだが…毎日のように感じるそれに、流石に気のせいではないと確信した。
 だが、イルカは未だその視線の主の姿を確認していない。姿どころか、気配さえよくわからない。『それならば、やはり気の所為だ』と言われるかもしれないが…確かに視線の主はいる。
 中忍のイルカ相手にこれほど完璧に気配を断てるのだから、たぶん上忍。そして、もうひと月になろうというのに、姿を現そうとしないところを見ると、それは、こちらに気付かせるという意図を持たない、密やかなるものなのだと思う。
 それなのに、感じる視線。
 上忍ならば、本当は一瞬の視線さえ感じさせること無くできると思うのに―――それは、一瞬だけ現れる。
 たぶん、気持ちが高ぶった時、僅かにそれは漏れ出るのだ。
 それらを合わせ考えるに…この視線の種類は、色を含んだもので…そうなると、この視線の主は女性なのだろうと思った。
 …イルカはうぬぼれやではないし、そんなにモテるわけではない。恋くらいしたことはあるが、 人並みか、人並み以下だ。
   そんなイルカだから、色恋に関して自信があるわけではないが…それでも、この視線は自分に懸想してのものだと思う。
 だって、感じる視線は切なく、甘く…そして熱い。

 それは、抑えきれぬ思いを溢れさせる、熱視線―――

 それに気がついてから、イルカはその視線が誰のものなのか気になって気になって仕方なくなった。
 最初の、『どうせ俺の力量では捕まえられそうもないし、害がなければ放っておこう』と思っていた気持ちは一変。今は、毎日どうやったらこの視線の主を捕まえる事ができるか…そればかりを考えている。
 だって、こんな熱い視線、今までの人生で一度も向けられたことが無い―――こんなに愛されるなんて、男冥利につきるというものではないだろうか?
 もちろん、『一方的な愛』を押し付けるようなら、例え巨乳の美人でも願い下げだし、上忍命令でも断固拒否するところだが…この視線の主は、そんな人ではないとイルカは確信していた。  何故なら、こんなに熱い視線を寄越すくせに、ひと月もの間、その人は決して姿を見せず、こちらに何をするでもないからだ。
 先に言ったとおり、上忍だと思う。それこそ無理強いするつもりならできる立場の者だろう。それなのにアピールもせず、熱い思いを抱えながらも、そっと伺うだけとは…。
『もしかして、恋愛経験が少ない人かも…』
 恋愛に不慣れな、しかも純情な人―――そんな女性が自分の事を好いていてくれていると思ったら、かぜん、視線の主に興味が湧き、話をしてみたいと思うようになった。
『話が合いそうなら、お付き合いしてもいいし…』
 上忍という地位にいながら、こんな控えめな態度なところをみると…もしや、容姿に自信が無い人かもしれない。例えば、顔や体に大きな傷があるとか?
 だが、そんな可能性があったとしても、イルカはまったく気にならない。―――イルカは『人は心』と常々思っている。
 たとえ、醜い傷などをもっていても、心根が優しく、尊敬できる人ならどんな姿でも構わない。自分だってお世辞にも色男とは言いがたいし、万年中忍だし。そんな自分をここまで思ってくれる人はどんな人なのか…ともかく、会ってみたかった。
『でも…やっぱり難しいよな』
 自分の力量では姿さえ見る事も出来なさそうだ…そう思いつつ、イルカは深く溜息をついた。

   * * *

「え?なんていいました?」
「だからぁ、俺を見つめる視線を感じるんス」
 その日、イルカは最近親しくなった上忍、はたけカカシと居酒屋で酒を飲んでいた。
 教え子を介して知り合ったこの人は、里屈指の上忍で…最初は近寄りがたく、飄々としたその態度にあまり良い印象をもてなかった。だが、彼から誘われて飲みに行くようになってから、距離が縮まった。階級もちがうから、『友人』とはおこがましくて言えないが…何度か一緒に酒を飲むうちに緊張も解け、楽しく酒に酔えるようになり始めていた。
 今日も彼に誘われ、居酒屋にきたのだが…彼の勧め上手もあり、大分酒が進んだ。程よく酔いが回った頃―――イルカはつい、カカシに『熱視線の主』の事をしゃべってしまった。
 すると、『彼にとっては大して興味がない話』だと思っていたのに、予想に反して真剣な顔で聞き帰してきた。
「…それは、どんな?誰かわかりましたか?」
「いや、誰かはわかんないんですけどね、一瞬だし…ただ、ここ一ヶ月ほど、毎日のように感じるんですよね…その視線を」
 たぶん、上忍だと思うんですけどね。ただ、相手は気配消してて…姿は見た事ないんです。
 そう肩を竦めて言うと、カカシは肩をガックリと落として、大きく溜息を吐いた。
「カカシ先生?」
「スイマセン…それ、俺です」
「はぁ!?」
 唖然と声を上げると、カカシは面目なさそうに頭を掻いた。
「俺たち、一ヵ月半くらい前に初めて会いましたよね?そして、会って数日後に、俺から誘って飲みに行ったでしょ?」
「え、ええ…」
「その時俺、今まで経験無いくらい、すごく楽しくて…」
 教え子の恩師と一度腹を割って話してみたくて酒の席に誘ってみたら、子供達の事以外にも話がはずんで、とても楽しかった。上忍達のように性質の悪い悪戯を仕掛けてくることもないので、リラックスして酒の味を堪能できるし、真っ直ぐにこちらの目を見て話しをするイルカの態度は信頼ができ…会話の裏など勘ぐることなく素直に会話を楽しむ事ができた…その居心地の良さは、カカシにとって初めての感覚だった。
「あんまり楽しかったから、次の日も誘っちゃいましたよね?」
「ああ、そういやそうでしたね」
 最初に誘われた時も驚いたが、イメージと違う気さくな態度で、楽しい時間が過ごせた。『これから良い関係が築けるかもな…』とは思っていたが、次の日もまた誘われて、かなり驚いたのを覚えている。
「俺、独り身ですからね…夜はほぼ外食なんです。今まで一人で食べる方が気楽だと思ってたんですけど、あなたとの飯は楽しかったから、これからは時間が合えば誘ってみようと思って、次の日も誘ったんですけど…でも、流石に三日目は断られましたよね?」
「そうでしたねぇ…すみません。でも、流石に三日続きはね…俺も独り身だから外で食事する方が楽だし、楽しいんですが……金が持ちませんよ」
 しがない中忍ですから、給料もたかが知れてるんです。そう言ってイルカは苦笑した。
「アナタがそう言うから、『奢ります』って言ったけど、それも断られましたよね?」
「そりゃそうですよ。前の日だって奢ってもらいましたし…たまにならいざ知らず、毎日なんてダメですよ。それじゃあ楽しいはずの酒も楽しくなくなります。だって、それ目当てで誘いに乗ってるみたいじゃないですか」
「あの時もアナタ、そう言いました。だから、毎日誘うのは諦めたんですけど…。でも、アナタと食事する楽しさを覚えちゃったら、なんだか一人で食べるのが味気なくて。上忍師になってほぼ毎日里にいるようになったから、余計に。…それで、ついついアナタの姿を見かけると目で追うようになっちゃって」
「え?」
「姿を見るたび、『もう三日過ぎたから誘っていいかな?』とか、『給料日前だから今日はダメだろうなぁ』とか、そんな事を考えながら、見つめていたんです」
 度々見ていたら失礼かなとも思って、気配を消してたんですが…気付かれてたのか。イルカ先生、なかなかやりますね?
 カカシは悪戯を見つかった子供のようにうな垂れたか…イルカは怒るでもなく、ただ唖然とカカシを見つめていた。
『あの視線が、カカシ先生だって?』
 彼が自分をそんなに食事に誘いたがっていたのにも驚いたが、あの視線がカカシ先生だなんて…
『違う』
 アレがカカシ先生な訳がない。
「違いますよ、カカシ先生。カカシ先生も俺の事を見ていたというのは分かりましたが、アレは違います。別の人のものです」
「…なんでそう思うの?」
「何でって…」
 だって…あの視線は、恋をする者の視線だ。溢れ出るそれを隠し切れずに…少しだけ零れ落ちる、熱視線なのだ。
 そんな視線を、この人が俺に寄越す訳がない。
 カカシ先生は高名な忍で、本来なら俺なんかとつるむのは場違いな人だ。もちろんくの一達にもモテモテだし、もさい中忍男にそんな視線を寄越すはずがない。
『それに…まかり間違ってこの人が俺の事を好きだったとしても、あんな視線は寄越さないと思う』
 どう考えても、カカシとあの視線は結びつかない。
 いつも飄々とした態度の彼。近頃は親しく付き合うようになって、心まで冷たい人ではないと分かったが…イルカから見ると、彼はいつもどこか余裕があり、クールな印象が強かった。
 彼ほどの人なら恋愛だって余裕。あんな熱にうかされたような視線をすることなどありえない気がする。
 とはいえ、『あの視線はオレに恋する視線ですから、アナタじゃありません』とは、流石に言えなくて…誤魔化した。
「…カカシ先生が気配を消したなら、俺なんかが一瞬でも気付ける訳無いじゃないですか?…きっと違う人ですよ」
「え?でも…俺、ここ一ヶ月、そんな風にアナタを見てたけど、俺の他にアナタをこっそり見てる奴になんて、気がつかなかったですし……やっぱり、俺だと思うんですけど?」
「あはは、絶対違いますって!アレはアナタじゃありません」
「そうですか?…でも、俺の他にアナタを見てた奴がいるとなると、それはそれで気になりますね……なんだか心配です」
 ストーカーとかだったら、俺がなんとかしましょうか?
 そう言うカカシに、イルカは慌てて首を横に振った。
「そんな嫌な感じのモノではないので、心配ないですよ!」
「そう?本当に?…遠慮しなくていいよ?」
 納得できない様子の彼に、イルカは慌てて話題を変えた。
「大丈夫ですって!あ、そういえば…カカシ先生、一人飯が寂しいんですよね?なら、明日は俺んちでメシ食べませんか?」
「え?いいんですか?」
「ええ…二日続けて店で飲むのは金銭的に辛いんですが、家でいいなら……あ、その分たいした物は出ないですけどね?」
「そんなの全然いいですよ!んじゃ、俺も惣菜とかビールとか持っていきます」
「お、そりゃ助かりますね。んじゃ持ち寄って食べるって事で」
 そう言って、その日は別れたのだが。

 次の日、『あの視線の主』が本当にカカシであると思い知る。

「カ、カカシ先生、冗談は……」
 自宅の居間で、壁際まで追い詰められたイルカは、冷汗を垂らしながらそう言った。目の前にはカカシ、壁に押しつけた長い両腕で檻を作り、その中に囲ったイルカを見つめている。
「…冗談なんかじゃありませんよ。アナタが好きなんです」
 でも、この想いを受け取ってもらえる自信が無くて、今まで見つめるだけでしたが……アナタを見つめる者が他にもいると分かった今、躊躇なんかしていられない。
「他の誰かになんて、渡したくないんです……お願いイルカ先生、俺のものになって?」
 切なげにそう言ってこちらを見つめてくるカカシ。見つめ返すだけでこちらまで体が熱くなってくるような…熱に浮かされた、視線。

それはまさに―――熱視線。

 ゴクリ…と、イルカは唾を飲み込む。
『視線の主はやっぱりアナタでした!俺を狙っている奴なんて他にいないですから、ちょっと落ち着いてください!!』
 そう言おうと思うのに、蛇に睨まれた蛙のごとく、言葉が喉の奥から出てこない。言葉を出せない唇が、わななく。
 そんなイルカの唇を、カカシはどこかうっとりとしたような、艶めいた視線で一瞥したあと、親指の腹でゆっくりと撫でた。
 ―――ぞくりと、イルカの背中に甘い痺れが走る。
『…っ』
 上忍で、なかなか告白できなくて物陰から見つめてたってのは当たってたけど…全然、恋愛に不慣れじゃない(汗)純情どころか、丸ごと食われそうな予感をひしひしと感じる。
『あ、顔に傷があるのも当たってた…まったく醜くはないけど』
   つーか、額宛までとったのは初めて見たけど、醜いどころか、美人過ぎるくらい美人だ。
『…ただ、巨乳じゃねぇな』
 とはいえ、人は心だ。乳じゃない。けど、女でもなかった…。
「ね…先生。すごく大事にしますから」
 熱視線の主は…乳は無いが、器量よしで、話が合って。…しかも、すごく大事にしてくれるらしい。
『ど、どうしよう…』
 目の前に、唇が迫ってくる。それを、受け取るか否か…?
 届くまでの数秒間、艶まで加わった熱視線に体の奥が焼かれる錯覚に陥りながら、往生際悪く悩むイルカだった―――




カカイルオンリー海空教室に発行した、「ときには」様との合同ペーパーに載せた小説です♪
つくづく二人に酒を飲ますのが好きな私;


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