私は思う。
―――――たかが大根を買うのに、あんなに愛想を振り撒く必要が果してあるのだろうか?と。
本来ならこのお使いは・・・八百屋の言った金子を渡し、大根を受け取れば終了。
たったそれだけで終わる筈なのだ。
なのに、君は笑う。
笑いながら、あまつさえ・・・楽しげに話し掛ける。
ほら・・・君が笑いかけるから、店番の若い男が調子に乗って話し出した。
裏の猫が子を産んだ?――――それがどうした。
その先の沼で大なまずを見た?―――本当なら、ここに持ってきてみろ。
アンタの笑顔を見ると元気になる?――――・・・・・・・・・・・・・・・・限界。
「小松田君。食堂のおばちゃんが待ちかねているんじゃないのかい?」
「あっ!!そうでした・・・急がなくちゃ!」
大根を受け取り慌てて私の元に戻ってくる君を見つめる。
だが、もう少しで君が私のところに辿りつくという時に、また店番の男が声を掛けた。
「これ、もっていきなよ」
投げて寄越されたのは、橙色の柿。
「ありがとう〜〜〜〜〜!!」
どこか照れくさそうな男に、本日最上級の笑顔を振りまいて―――
君は、やっと私のところに戻ってきた。
『柿もらっちゃいましたぁ』そう喜ぶ君に『そう』とだけ返して、大根が入った籠を奪う。
「行くよ」と短く告げて歩き出す私の後ろで、君が慌てる気配。
「あっ、荷物は僕が持ちますから〜〜!・・・じゃ、信助さん。またきまーす!」
ブンブンと大きく手を振り男の名を呼ぶ君をみて、眉を寄せた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・面白くない。
私は思う。
―――――たかだか、大根を買うのにあんなに愛想を振り撒く必要は無いだろうと。
あんなに笑顔を振り撒く必要も無いし。
男と世間話をする必要も無いし。
ましてや、男の名を呼んでやる必要など皆無なのだ。
君が笑いかけなければ、店番の男がなにやらそわそわと嬉しそうに話すこともないし。
君の笑顔に頬を染めることも無いし。
名残惜しそうに柿を投げる事も無い筈なのだ。
あんな男に君の笑顔をやる必要はどこにも無いのに。
だって・・・君の、君の笑顔は私だけの・・・・・。
――――――――あの男、少し脅してくればよかった。
「利吉さん?・・・・・・あの、なんか怖い顔になってますけど・・・・・・」
大根を届けて厨房を出た途端、君に聞かれた。
「なんでもない」
「そ、そうなんですか?」
「ああ・・・・・ところで、今日は君の部屋に泊めてもらって良いかな?」
私の内側をこんなに波立たせたのは君だ―――――責任はとってもらおう。
怖いと言われた表情を引っ込め、にっこりと笑う。
すると君もにこりと笑顔を返して寄越した。
「はい。お疲れみたいですから、ゆっくりなさってくださいね」
訂正。
先ほどの八百屋で見せたのが最上級ではなかった。
利吉は、今度は心の底から笑い返した――――――
******
「あれぇ、小松田君?君・・・夜番だったのか?」
「あ、土井先生・・・」
採点で遅くなったしまった半助は、やっと湯を使って部屋にもどるところだった。
「はい、そうなんです」
「そう・・・でも、今日は利吉君が来てるんじゃなかった?変わってもらえば良かったのに」
確か山田利吉が来ていた。
二人は恋人同士・・・その彼が泊まりとなれば、小松田の部屋に泊まる事は明白で。
そんな日になぜ小松田がここにいるのか?と半助は首を捻った。
「ええ・・・最初は代わっていただこうかと思ったんですけど、今日は利吉さんなんだか様子が変で」
「変?」
「はい。夕刻に八百屋にお使いを頼まれて、それに利吉さんも付き合ってくださったんですが・・・なんだか、ずっと怖い顔で何か考え込んでいて。
どうしてか聞いても何でもないと仰るだけで・・・多分お仕事のことを考えていたんだと思います。なら、邪魔しちゃいけないかと思って、代わってもらうのやめたんです」
「・・・・・・八百屋って、あの『やお八』?・・・信助君のいる」
「はい」
「そう・・・・・・・」
事情が呑み込めた半助は、頭痛を感じてこめかみの辺りを押えた。
「・・・・・それで、利吉君は?帰ったのかい?」
「いえ、私の部屋で一人お休みになってますが?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そう」
――――なんというか、同じ男として利吉に同情の念を禁じえない。
そんな半助の憂いなど、もちろん秀作は気がつくはずもなく。
神妙な顔で、心配そうに眉を寄せた。
「本当に利吉さんお疲れのようなんです。私が『私は夜番ですから、今日はお一人でゆっくりお休みくださいね』って言ったら、まるで倒れふすような感じで横になられて・・・・・
私が部屋を出る時なんか、『本当にこの世はままならない・・・』などと、暗い声で呟かれていて」
そう言って、更に心配げに顔を曇らせた秀作は・・・次に思いついたように、半助を見上げた。
「あの、土井先生・・・今夜私の部屋で寝てもらえませんか?それで、よかったら利吉さんの悩みを聞いてあげて欲しいんです。利吉さんも土井先生なら、話しやすいでしょうし」
すがるような瞳で頼まれて、半助はぎょっとしてから、慌てて首を横に振った。
・・・冗談じゃない。愚痴いう名のノロケを一晩中聞かせられるのは、ご免こうむりたい。
「いやいや、こんな時はヘタに他人が口出しするより、一人にしてあげるほうがいいと思うよ?大丈夫。利吉君なら、自分で乗り越えられるから」
「そうですか・・・・・そうですよね!利吉さんなら大丈夫ですよね!!」
納得したように何度も頷く秀作にホッとしつつ、半助はさっさと退散するべく後ずさった。
「じゃあ、夜番しっかりね、小松田君」
そういってそそくさと自室に向かって踵をかえして。だが、数歩進んだ所で、半助は足を止めた。
「・・・・・・小松田君」
「はい?」
「明日・・・少し、利吉君を甘やかしてあげなさい」
「甘やかす??」
「そう、優しくしてあげるといいと思うよ。・・・確かに彼は一人前の男で一流の忍者ではあるけれど、やはり人間だ。疲れる時もある。そんな時は誰だって優しくされたいものさ」
「利吉さんのような人でも・・・ですか?」
「そうだよ。うんと甘やかしてあげなさい。・・・そうすれば、すぐに復活するよ」
「・・・・・・はい」
犬も食わない・・・・・ではあるけれど、ちょっと気の毒過ぎるしね。
『・・・なかなか苦労してるね、利吉君』
半助はそう苦笑して、兄貴分の優しさを見せて今度こそ部屋に帰っていった。
******
もうすぐ夜が開けるという頃。
布団の中で、ごろりと寝返りを打つ男が一人。
「はぁ・・・」
口からこぼれたのはため息一つ。
私は思う。
――――――本当に、この世はままなら・・・・・・
「利吉さん?・・・もう起きていらっしゃるんですか?」
戸が不意に開き、秀作が入ってくる。ぺたりと枕元に座りこむ気配―――
「秀作・・・仕事は終わったのか?」
「はい、もう交代しました。あの・・・利吉さん、今日は午前中は空いていると仰っていましたよね?」
「は?・・・ああ」
「私、今日の午前中お休みいただいて来たんです。良かったらどこかに出かけませんか?もしお疲れだったら、このまま部屋で二人でゆっくりしてもいいし・・・あ、お邪魔じゃなかったら、ですけど―――うわっ!?」
上から覗きこんでいる彼の腕を引っ張り、二人の上下が入れ替わる。
驚いて目を見開き、赤くなって慌て出した君の唇を塞ぐ。
今度利吉の口元にこぼれたのは、暗いため息ではなく――――微笑み。
我想う。
この世もなかなか捨てたもんじゃない――――