・ はじまり ・ 

 



「離してください!・・・誰か!!」

裏路地に入った途端聞こえてきたのは、悲鳴のような声。

「へっへっへ、誰も来ねぇよ?大人しくしな!」

続いて聞こえたのは、お決まりの文句に下品な声。

今は、次の仕事先へと急いで向かっている途中だ。
無用なトラブルはなるべく避けたいが、放っておくわけにもいくまい。
『仕方ないか・・・』
利吉は一つため息を付いて、声の聞こえてくる方向へ駆け出した。



*****



不貞な輩は叩き伏せ、路地から娘を連れ出し、大通りに出る。

「あの・・・ありがとうございました」
「いや、怪我はないかい?」
「はい、平気です」
「ここらの裏路地はあんまりガラが良くない。女の一人歩きはやめた方がいい」

金を取られるだけでは、すまないぞ?
そう言うと、その娘はキョトンと首を傾げた。

「お金以外に何を取られるんです??」
「・・・・・嫁にいけなくなるかもしれないということだよ」

怯えさせてしまうかと思ったが、ここはハッキリ教えてやった方がこの娘の為だろう・・・
そう思って言った言葉だったが、あろうことかその娘はニッコリと笑った。

「ああ、それなら平気です!お嫁には行きませんから」
「・・・・・」

そう言う問題じゃないだろう・・・・・・・?

利吉はこめかみの辺りを押えながら、更に言い募ろうしたが、ハッとする。
『こんな事をしている場合じゃなかった!!』
急いでいた事を思い出し、娘に別れを告げる。

「ここまでくれば大丈夫だろう?私はこれで」

そう踵をかえしたのだが、袖が何か引っかかったように引き攣れた。
振り向いてみると、袖の端を娘が掴んでいる。

「・・・・・まだ、なにか・・・・・?」
「あの、私何も持ってないんですけど、せめてこれを」

お礼に、と差し出された物は、男物の扇子だった。
まだ真新しいそれは、使用されていないのだろう。
男物・・・・・となれば、この娘の物ではないだろうから、誰かへの贈り物だったのだろうか?

「いや、別に気にしなくても」
「いえ、是非お持ちください」

そう言って、娘は利吉の手に強引にそれを握らせた。

「だが・・・・・・」

誰かに送るはずだったものを貰い受けるわけには・・・・・とは思ったのだが、
目の前の娘は渡した事に満足した様で、ニコニコと笑っている。
時間もないし、これ以上のやり取りは面倒な気がして、利吉はそれを懐にしまった。

「じゃあ、遠慮なく」

そう言って、今度こそ駆け出すと、後から「ありがとうございました〜!」と叫ぶ声が聞こえた。
振り向くと、娘は手を大きく振ってこちらを見送っている。
ヤメテクレ、目立つじゃないか・・・・・!!
これ以上注目を浴びたくなくて、スピードを上げてそこから離れた。
そろそろ姿が見えなくなるであろう距離で、ふと振り返ってみると。
もう、豆粒のように小さくなった娘が、まだ手を振っているのが見えて、苦笑した。


『変わった娘だ・・・・・・』


それがその時の印象だった―――――



******



「ふう・・・・・」

仕事が一段落し、いつものように父に挨拶するべく、利吉は忍術学園への道を歩いていた。
だが、その足取りはとても重い。
別に父に会いたくないわけではない。
確かに疲れてはいるが、それ自体で足が重いわけでもない。
胸の中に渦巻く悩みが、利吉の足取りを重くさせているのである。

原因は、分かっていた


―――だって、あれからあの面影が消えないのだから―――


『これが、聞くところによる「一目惚れ」というやつなのだろうか?』
先日、偶然助けた娘の面影が、頭から離れない。
娘と居た時間は、ほんの一時。
交わした会話も、二・三言だ。

それなのに、彼女の面影が浮かんでは消え、そしてまた浮かぶ。

確かに可愛らしかったが、容姿だけでこんな事になったとは思えない。
それこそ、容姿だけならもっと魅力的な女に会ったことも、誘われた事もある。
彼女達を思い出すことなど、ほとんど無いが、あの娘だけは違った。


また、会いたい


切実に、そう願う自分がいる。
想い焦がれる・・・・・・とは、こういうことをいうのだろう。
その想いに戸惑いつつも、仕事を終わらせた後、すぐにあの娘と会った町へ向かった。
一通り町を歩いてみたりしたのだが、もちろん偶然会うなどという都合のいいことは起こらなかった。
娘を助けた場所の近くの店で聞いてみるも、手がかりは無く・・・・・
彼女が私に残した唯一の物、それはあの扇子だけ。
一縷の望みを賭けて、あの町の扇子屋に行ってみた。

「これは、うちの品じゃあありませんねぇ。・・・この作りは、この辺のものじゃないですよ?」
町でたった一軒だけ、という扇子屋の店主は、期待もむなしくあっさりとそう言った。
「しかしいい細工だ・・・これ、結構値が張りますよ?」

感嘆したような店主の言葉を聞きながら、落胆する気持ちを隠せなかった。
最後の手がかりも途切れ、探しようがなくなり、利吉は肩を落としたのだった。



忍術学園に向かいながら、懐から扇子を取り出し、開いてみる。
上質な和紙が貼られ、そこには青竹が描かれていた。
持ち手の部分にも、美しい細工がしてある。
扇子屋主人が言ったとおり、素人目にも上物だと分かった。
こんな物をもっているのだから、やはり裕福な家庭の娘なのだろう。
しかも、助けた礼とはいえ、見ず知らずの者に高価な品をポンと差し出す辺り、間違いないと思う。
あのどこかおっとりとした仕草も、それなら頷ける気がした。

裕福な家で大切に育てられた、世間知らずな娘
それゆえに、穢れを知らない純粋さが見て取れた

『たとえ探し出せたとしても、私には不釣合いかもしれないな・・・・・・』

金持ちの娘だから・・・と、いう理由ではない。
稼ぎだけをみれば、利吉はその辺の男より、遥かに稼いでいるのだから。

だが、この手は・・・・血で汚れているのだ。

『忍』 という、この仕事に負い目を感じた事はない。
むしろ、目標としていた父と同じこの職業に、誇りさえ感じている。
だが、今だけはそれが少し切なかった。


―――この手は、あのような無垢な娘を抱いていい手ではない―――


分かっている。
だが、やはりあの面影は消えないのだ・・・・



*****



ふと気付くと、もう学園の門まで来ていた。
本当は、こんな腐抜けた状態で、父のもとへ行きたくなかった。
凄腕忍者の父のことである、何か思い悩んでいるとすぐ見破るだろう。
いつもなら誤魔化すなど、たやすい事だ。
だが、今は何をしても、ボロを出してしまいそうな気がする・・・・・
行きたくない。だが、母からの厳命を受けていた。
利吉は、どうにも母には弱く、従うしかなかった。
重い腕をどうにか上げ、校門を叩いた―――――



「はーい、今開けます〜♪」
聞き覚えのある、暢気な声に、利吉は目を見開いた。
ギイッと音をさせて、小さな扉が開く。

「こんにちは、入門する方はこちらの入門表に・・・・」
「・・・君っ!!!」
「はい?」

顔を上げたその人物は紛れもなく、あの時の・・・・!!

「あ!あの時の?」
あちらも気付いた様で、ニッコリと笑った。
「先日は助けてくださって、ありがとうございました!!」


『なんと言う偶然だ!!』


しかし、何故ここに?!
彼女も忍ということか・・・・・・?
しかし、この前の態度はとても忍とは・・・まさか、私を欺く為?
だが、他の城の忍ならともかく、学園の者が私を欺くのはおかしいし・・・
そこで、マジマジ見つめると、忍び装束に『事務』の文字を見つける。

『事務員か』

だが、学園で採用する事務員だ、少しは忍術をかじった者なのだろうか?
利吉があれこれと考えを巡らせていると、その事務員は首を傾げてこちらをみた。

「あの?」
「いや・・・・・それにしても偶然だ。・・・・私は、山田利吉という」
「ああ、もしかして山田先生の息子さんですか?・・・お噂を聞いたことがあります」

だからお強かったんですね!!フリーでお仕事しているんですってねぇ、すごいなぁ〜!
その事務員は、瞳を輝かせ、屈託のない笑顔でそんな賛辞をいってくる。

「いや・・・それほどでもないよ」

思い人に誉められて、珍しく照れる利吉。
だが、すぐに気を取り直したように声をかける。

「君の名前、聞かせてくれるかな?」
「あっ、すみません、まだ名前も名乗って無かったですね!」

そう慌てたようにつづけた。

「私、小松田秀作って言います!事務員に採用になったばかりなんです」



「・・・・・・・・・・・・・・・・は?」

たっぷりと間を空けて、利吉はマヌケな返事を返した。

秀作・・・・??

マジマジと見つめてみると・・・
顔はあの時と同じで可愛らしいが、胸を見ると確かにぺったんこである。
よくよくみてみると、確かに目の前の人が男だろう事が認識できた。
普段ならすぐ気がつくはずなのに、会えたことに舞い上がって、気付けなかったようだ。

「あの時は、女装の練習しながら、お使いしてたんです」
「・・・・・・・・・・・・・・・・そう・・・・・・・・・・」



ず〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん



そう、音がしそうなほど、利吉の心は落ち込んだ。
気付かなかったのも不覚だが、そんな事より彼女が男だった事が、重かった。

『やっと、心から愛せる人が見つかったと思ったのに・・・・・・あんまりだ・・・』

そんな利吉の心を知ってかしらずか、そんな利吉を秀作はキョトンとみつめてから、
あらためて、入門表を差し出す。

「サインお願いします」
「・・・・・・・・」

利吉は無言のままサインをして、それを返した。
差し出した時、胸元に入れていた扇子の持ち手が、少し覗く。
それを、秀作が見つけて、嬉しそうに声を上げた。

「それ、使ってくださってるんですね?」
「あ、ああ・・・・・こんな高価なもの、もらって良かったのかな?」

そう言って、利吉は懐から扇子を取り出した。

「いいんです。私の実家、扇子屋で・・・売るくらいありますから」


そう笑う顔は・・・・やはり可愛くて。


「でも、あなたに使ってもらえるなら、良かった・・・・・」

ホントは自分で使おうと思ってもらってきたんですけどねー。
そう、ふにゃっと笑う顔を、訝しげに見つめる

「え?どうしてだい?」
「私が持つより、あの扇子はあなたに似合うと思ったんです」



――――描かれていたのは、凛とした、みずみずしい青竹――――



「買いかぶりだよ・・・・私は、こんな綺麗なモノではない」

持っていた扇子を開いて、青竹を見つめながらそう言った。
無邪気に誉められたのに苦い思いを抱いて、顔を背ける。
だって、私の手は血に汚れて・・・・そう思い、唇を噛む。

その時、秀作の手が、扇子を持った利吉の手をとり、包み込むように握った。


「そんなことありませんよ?・・・・・だって、あなたの瞳はすごく綺麗ですよ?」


・・・凛としていて、本当にあの青竹そのものだと思います。

力を込めるわけでもなく
同情をこめるわけでもなく
ただ、当り前のように穏やかに語り

―――そして、彼はふわりと笑った――――――



ただそれだけで、満たされた気がした。



「小松田君・・・・・だったね?」
「はい、山田利吉さん」

利吉、でいいよ。
そう言ってから、利吉は開いている手を彼の手に重ねた。

「ここに来た時、こんな風に話し掛けてもいいかな?」
「ハイ、嬉しいです!!お待ちしてますね!」

じゃ、私の事は秀作って呼んで下さい。
本当に嬉しそうに満面の笑みを浮かべる秀作を見て、利吉は眩しそうに目を細めた。

「さぁ、中へどうぞ?」

手を離し、中へと招き入れる彼の背中を見ながら、利吉は自覚した。



・・・・・どうやら、捕まってしまったらしい・・・・・・・



「これから、どうぞ宜しくお願いします!!」

「・・・・・こちらこそ、よろしく」


笑みを浮かべて言う秀作に、利吉は微笑む。

―――正直、同性相手にどう口説いていいかなど、知らないけれど。
この思いが、本物だと言う確信があるから・・・
手探りでもその方法を探して、君に愛を囁こう。



そして、恋がはじまる――――――――



                                   



前サイトからの、サルベージ品。
『はじまり』なんてタイトルだけど、続きません(笑)


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