「大佐、いるー?」
「鋼の・・・・・」
一ヵ月ぶりに訪れた東方司令部の一室。
いつものように、声をかけると同時に、勢いよくドアを開ける。
しかし、そこに居た部屋の主は、いつもと様子が違っていた。
部屋に入ってきた自分を、一瞬驚いたように見つめ、すぐ視線を逸らしたのだ。
おおよそ、大佐らしくないような行動に、違和感を感じてエドワードは顔を顰めた。
「・・・大佐、何かあったのか?」
部屋に入ったと同時に感じた違和感に、首を傾げながら聞いてみる。
「何か・・・・とは?」
どこか憂いを帯びたような、やはりいつもと違う声色に、また首を傾げる。
「いつもならさ、『ノックぐらいしろ』とか、いちいちうるせーじゃん?」
「・・・分かっているなら、ノックぐらいしたまえよ・・・」
そういったきり、後は黙ってしまった。
しかも、窓の外を眺めて、ため息などついている。
『おかしい!ぜって―、おかしい!!!』
あまりの彼らしくない態度に、エドワードは戸惑った。
いつも自信満々で、会えば必ず嫌味やからかいの言葉をよこす大佐だ。
それが、今日は嫌に静かで、なんだかいつもの覇気がない。
なにやら、落ち込んでいるらしい。
・・・いや、落ち込んでいるというよりは『悩んでいる』といった感じだろうか。
「なんか、悩みでもあるのか?」
「まぁ・・・・・そんなところかな」
あっさりと認めたロイに、エドはまた驚く。
「あんたでも、悩む事なんてあるんだなー」
嫌味を込めていった言葉の答えは、気の抜けるくらい静かな声だった。
「・・・私だって、人間だよ」
どんな悩みか知らないが、こんな大佐を見るのは初めてだ。
からかうつもりだったのだが、そんな気も消えてしまう。
「あ〜・・・。オレでよければ聞いてやろうか?」
「・・・君が?」
おや、といった風に大佐がやっとこちらを振り向いた。
『うわ、つい妙な事言っちまったよ、オレ!』
大佐の悩みなど知ったことではない。放っておけばよかったのだ。
でも、余りにいつもと違う大佐に、つい、口をついて出てしまった台詞。
『ま、言っちまったものは、仕方ねぇ!』
そんな心を隠すように、つい乱暴な口調でいう。
「まぁ、オレみたいな子供に言っても、仕方ないだろうけどなっ!」
どこかやけくそのように、そう言い放つエドに、ロイは苦笑した。
「・・・本当に、聞いてくれるかい?」
「おう。聞いてやろーじゃねぇーか!」
エドはロイの近くのソファーまで進むと、どっかと腰を降ろして足を組んだ。
「実はね・・・」
真剣な表情で声をひそめて話すロイに、エドは思わず身を乗り出す。
「恋をしてしまったんだ」
「・・・・・は?」
エドの口からマヌケな声がもれる。
「その人の事で頭がいっぱいで、仕事が手につかないんだ・・・」
そうロイは続けると、「ふぅ」と切なげにため息をまでついている。
「さっ、じゃあ、帰るとするか(怒)」
さっさと帰ろうと立ち上がリ、歩き出したエドをロイが呼び止める。
「聞いてくれるって言うのは、嘘だったのかい?」
「真面目な話なら聞く、つったんだよ!!!」
怒鳴りつけたエドだったが、ロイはいたって真面目な顔のままで呟いた。
「ひどく真面目な話・・・・・なのだがね」
そう言うと、寂しげな表情をみせる。
『え?マジな話なのか??』
そんなロイに、エドは握り締めてる拳から力を抜いた。
「・・・・・本当に、恋で悩んでるのか?」
「だから、そうだとさっきから言っているじゃないか」
拗ねたようにそっぽを向くロイに、エドは目を丸くした。
気の抜けたような様子でソファーまでもどると、また座りなおす。
顔には『すげ―、珍しいものを見た』と、書いてあった・・・。
「でもさ、そっち関係なら得意分野だろ?なんで悩む必要あるんだよ?」
いつもみたいに、さっさと口説きゃ良いだろ?そう続けると、ロイは顔を顰めた。
「簡単に口説き落とせる相手じゃないから、悩んでいる」
声を落としてそう語るロイを見て、『本当に悩んでるんだ』と改めて思った。
『しかし、こいつが落とせないって、どんな人なんだろう?』
まさに、そっち関係なら百戦練磨のロイである。
国家錬金術師の上、軍での地位も高く、エリートだ。当然金もある。
男の自分から見ても整った容姿。
おまけに必要以上に女性に優しいフェミニスト。
・・・なんだか認めるのは悔しいが、モテる条件満載の男である。
そんな彼が落とせない相手。
エドは、なんだかすごく興味がそそられてきた。
「何?人妻にでも、ヒトメボレしたわけ?」
考えてみて、落とせないんじゃなくて、手が出せない相手なんじゃないか?と推理した。
ただの人妻なら、ものともせず手を出しそうな気がするので、上官の奥さんとか?
そんな風に考えて聞いてみたのだが、あっさり否定されてしまった。
「その人は独身だよ。それと、一目惚れというのも、合っているような、合っていないような・・・」
「どっちなんだよ」
曖昧な言い方に、エドは眉を寄せた。
「最近知り合ったわけではないのだよ。同じ軍に身を置く人でね、最初からそんな風に見ていたわけでは無いんだが・・・」
・・・近頃、自分の気持ちを自覚してね・・・
ロイは、なんだか切なげな顔でそう続けた。
「初めて会った時から、目が離せない相手ではあったんだ。
気付かないだけで、その時から惹かれていたのだろうな」
そう考えれば、一目惚れといえるかもしれない・・・・・
無理矢理作ったような微笑をうかべながら、そう言う。
『軍人で、前から知ってるのに、この頃・・・ってことは、今身近に居る人?』
軍に女性は元々少ない。しかも大佐のそばに居るって言えば。
エドの頭に、ひとりの人物が浮かぶ。
「その人って・・・どんな人?綺麗な人?」
「そう、だね。・・・でも、綺麗なのに態度が沿わず、余りそう思われずに損しているかな?」
「髪とか、何色?」
上目遣いで聞いてみると、思っていた通りの答えが返ってきた。
「綺麗な金髪だよ」
ビンゴ!!
『絶対、ホークアイ中尉だ!』
あの人なら、大佐が簡単に口説き落とせないってのも分かる。
そう考えれば、大佐がなんで自分にこんな話をしだしたのかも何となく納得がいく気がした。
いくら大佐が、他の女性達を落とした手管を総動員しても、
あの中尉が簡単に乗ってくるとは思えない。
しかし、大佐には厳しい中尉だが、自分と弟のアルフォンスにはいつも優しく接してくれる。
自分達に仲を取り持って欲しいのかも知れない・・・
大佐が告白しても一蹴されそうだけど、自分達の言葉なら話ぐらいは聞いてくれるかも知れないし。
そう考えたエドは、ホークアイ中尉の名前を言おうとした、が。
「・・・ただ、年が離れていてね」
心が未成熟のせいか、何度も告白してるのだが、なかなか私の気持ちを理解してくれないんだよ。
そう言うと、ロイは「やれやれ」といった風に、軽く頭を振った。
『え?』
・・・確かに、ホークアイ中尉のほうが年下だとは思うけど、年が離れているというほどじゃない。
予想とを違う答えに、エドは肩透かしを食らって、思わず呟いた。
「・・・ホークアイ中尉じゃないんだ?」
「え?・・・ああ、彼女はとても美しい人だけど、違うよ」
ロイには思いがけない答だったらしく、苦笑しながら答えた。
「ハズレかぁ・・・ねぇ、オレの知ってる人?」
そう聞くとロイは、やっと笑顔を見せた。
「よく、知っている人だよ」
「そんな人、いたかなぁ・・・?」
エドは首を傾げて考えるが、お構いなしにロイは話を続ける。
どうやら、いつものペースが戻ってきたようだ。
「意地っ張りで、すぐ怒るんだが・・・そこがまた可愛くてね」
「へー、随分いれあげてるんだな。その人、ずいぶん愛されてるんだ?」
「もちろん!『君は僕の太陽』ってぐらいにね」
「・・・さいですか」
惚気を聞かされて、エドは少々馬鹿らしくなってきていたが、ロイはなおも続ける。
「可愛いといえば、背が小さい人でね。私としてはそこもすごく愛しいのだが・・・・・
本人は気にしているようで、身長の話になるとすぐ怒るのだよ」
別に小さくてもいいのに・・・そう言うロイに、エドは身を乗り出して反論する。
「そりゃ、大佐が悪いぜ!!!」
同じ悩みを抱える自分としては、その子の気持ちはよくわかる!!
と、ばかりに力説したエドであったが・・・
なんか、引っかかる。いやーな、感じがする。
「特に『豆』という言葉には、異常に反応して困っているよ」
・・・・・『豆』・・・・・・。
大当たりしたいやーな予感に、エドはこめかみを押えた。
「おい・・・」
「しかし、その怒った時に睨みつけてくる金目が、また可愛くてね」
―――ついついからかってしまうんだ―――
バックにハートでも飛んでそうな感じで話すロイに、エドの額に青筋が浮かぶ。
「おい、ってば!!!」
ついに怒鳴りだしたエドだったが、ロイはまるで聞こえてないようにまだ喋っている。
「でも、一番の問題はやっぱり男だってことだろうなぁ」
ああ、私は気にしてないけど?
そこまで言って、やっとロイはエドの顔を見て、ニヤリと笑った。
軍属で、年が離れてて、背のことを気にしてる金髪金目の男っていえば、やっぱり・・・
「真面目に聞いて損した!!!」
怒りもあらわに、ソファーから立ち上がると、エドワードはズンズンと足を踏み鳴らしながら、
ドアに向かって歩き出す。
「鋼の。待ちたまえ」
ロイは立ち上がると、エドの方へと近づく。
ドアノブに手を掛けながら振り返ったエドは、キッとロイを睨んだ。
「オレは、あんたの暇つぶしのヨタ話に付き合うほど、暇じゃねーんだよ!」
そのまま勢いをつけてドアを開けた・・・が、すぐに閉められてしまった。
ノブよりかなり上のほうで押えられてしまっているドア。
「なにすんっ・・・・!」
振り向くと、大佐の顔が覗き込むように自分の顔の真近に降りてきていて、ドギマギしてしまう。
漆黒の瞳が、自分をじっと見つめている。
『やっぱ、こいつ・・・顔だけはいいよな?』
思わず、そんな事を考えてしまって、よけいに焦ってしまう。
何だか、心臓の音がやけに大きく聞こえる・・・・・
「・・・・なんだよ」
思わず、少し体を引き気味にしてエドは答えた。
「エドワード」
低音で、耳元に囁くように名前を呼ばれ、エドの肩がビクッと震える。
普段大佐は『鋼の』としか呼ばない。
それが、突然名前で呼ばれて動揺した。
『だって、こんな状況で、急にそんな呼び方されると・・・・・』
―――まるで、さっきまでの事が、冗談じゃなく、本当の事だと言われているようで―――
エドの瞳が不安げに揺れる。
怖いような、逃げ出したいような、そんな気持ち。
もう一回、おずおずとロイの顔を見つめると、そこには真摯に自分を見つめる瞳があった。
いつもと違う真剣な表情の彼に、なんだか居たたまれない気持ちになる。
『なんだよ、これ。・・・どうしたら・・・・・』
状況が今ひとつ理解できずに、混乱してしまう。
いや、というより・・・理解するのが、怖い気がする。
たまらず、エドは瞳をギュッと閉じた。
その途端、ロイの表情が変わる。
「なぁ、鋼の。私の恋は叶うだろうか?」
『鋼の』という、いつもの呼び方で呼ばれた事に気付いて、恐る恐る目を開けると・・・
そこには、ニヤニヤと意地悪く笑うロイの顔があった。
『!!』
今まで不安そうにしていたエドは、その顔をみたとたん、湯気が出そうなほど顔を真っ赤にした。
「かなうかっ!!!」
そう怒鳴りつけると、ギッとロイを睨む。
「いいかげん、そこをどけっ!」
「・・・やっぱり、君はつれないねぇ」
ロイは残念そうにドアを押えていた手を外すが、顔はどこか楽しそうだ。
『この、セクハラ大佐がっっ!!』
エドは、ドアを勢いよく開けると、肩を怒らせながら外に出た。
ドアを閉める前に、顔だけ出すと・・・
「人の事からかってばかりいないで、仕事しろ!アホッ!!」
そう捨て台詞を吐いて、ドアが思いっきり音を立てて閉じられた。
途端、ロイの顔から笑顔が消える。
閉じられたドアをじっと見つめると、ロイは踵を返してデスクに戻った。
椅子に座るや否や、ドアがノックされる。
「ホークアイです」
「入れ」
ホークアイ中尉が入室し一礼すると、大佐のデスクに近づき、書類の束を置く。
「これを明後日までにお願いします」
「・・・わかった」
ため息を付きつつ受け取るが、中尉はこそから動かない。
「中尉?」
怪訝そうにロイが顔を上げると、ホークアイはじっとこちらを見つめていた。
「今、エドワード君とすれ違いましたが・・・」
「ああ、さっきまでここに居たからね」
視線を外し、今届けられた書類に目を落とす。
「また、振られたんですか?」
ロイの眉がぴくっと上がった。
「・・・・・」
「図星のようですね」
ロイは持っていた書類を放り出し、恨みがましい目でホークアイを見つめた。
だが、そんなものは彼女に効くわけもなく、ロイはため息を付く。
「どうして、本気にしてくれないんだろうなぁ?」
「大佐は、いつもからかい過ぎるからですよ」
「可愛くて、つい」
おどけたそぶりでそう言う大佐を、ホークアイは少々複雑な表情で見つめた。
『それに、あなたがためらっているから・・・』
「どうかしたか?」
「いえ・・・ほどほどにしないと、本当に嫌われてしまいますよ?」
「肝に銘じておこう」
再び、書類に目を落とした大佐に一礼し、ホークアイは部屋を退室した。
『らしくないわね・・・まぁ、それだけ本気ということかしら?』
いつも、軽薄な恋ばかりしていた上司の、初めて見る真剣な態度にホークアイは苦笑した。
『やはり中尉の目は誤魔化せないか・・・』
中尉が退室した後、書類を放り投げ、ロイはまた窓の外を見ていた。
『私らしくもない・・・』
いくらエドワードが子供とはいえ、自分が本気で気持ちを伝えようとすれば、通じるはずである。
それをしないで、からかっている振りをして誤魔化してしまうのは・・・
彼が子供だから?
同性だから?
彼が求める道は困難で、それを邪魔してしまいそうだから?
どれも、違う。と思った。
私が、怖いんだ
伝える事で、あの金色を永遠に失ってしまうかもしれないと思うと
彼を傷つけてしまうのではないかと思うと
怖いんだ
今まで、来る者は拒まず去るものは追わず、といった恋ばかりをしていた。
自分から仕掛けても、都合が悪くなればさっさと切り捨てて。
真剣な恋など、大きな野望がある自分には邪魔だと思っていたから、
親友の忠告も聞き流していたのに。
初めて会ったとき、彼の瞳に焔が点いた瞬間が忘れられない。
あれから4年。
自分の中で気付かない振りをしていた心を、ついに、自覚してしまった。
それから、伝えるべきかどうかためらい、柄にもなく悩む日々。
「やっぱり、一目惚れだったのかな・・・」
口元を隠すように手を当てた。
『あんな子供に・・・・・・・・情けない』
自嘲的にそう言ってみるものの、だからと言って簡単に消えそうにないこの思い。
かといって、今思いのたけをぶつけるのは・・・・・
毎日、精一杯気を張り詰めて歩いている子供を、これ以上追い詰めてしまうようで。
『大人として、どうかと思うしね』
そう、自分を誤魔化した。
『君は、この冗談のような告白の中にある本気に、いつか気付いてくれるのだろうか?』
前途多難な恋に、ロイは深い深いため息を付き、窓の外を見つめるのだった。
FIN