「う、うそだろ・・・?」
エドは、信じられない気持ちでそう呟いた。
じっと自分の手見つめる。
手、自分の手。
自分の思い通りに動く、まさしく自分の手。
―――だが、これを『手』と呼んでいいものだろうか・・・?
これは手というより、どちらかというと・・・
『・・・・・前足?』
ドクドクと煩い心臓の音を聞きながら、執務室と繋がっているレストルームに駆け込む。
洗面台に飛び乗り、鏡に写る己の姿を確認して息を呑んだ。
鏡に写る、その姿は―――
「・・・・・もしかして、猫?」
エドは、愕然とそう呟いた―――
『大総統閣下の愛猫』・・・1 
事の起こりは今日の昼ごろ。
エドが大総統執務室を覗き込んだ事から始まった―――
「あれ・・・?」
大総統執務室に入室したエドは、首を傾げたのち、顔を顰めた。
エドの視線の先には、軍の紋章を背に置かれている存在感たっぷりの重厚なデスク。
だが、そこに居るはずの人影がなかった。
「あのヤロウ・・・また逃げやがったな!?」
目を離すとすぐにふらふらと出かけるこの部屋の主を思い浮かべて、悪態をつく。
類稀なる手腕と絶対的なカリスマを持つこの国の主導者は・・・実は、側近泣かせの困ったちゃんでもあるのだ。
「ったく、探し回るこっちの身にも・・・・・って、ああそうか」
肩を怒らせて探しに出ようとしたエドは、ふと思い出して肩の力を抜いた。
今朝方、急なスケジュール変更があったと聞いていたのを思い出したのだ。
「昼は会食だっけ・・・」
経済界の実力者と、ランチを取りながらの会談予定が急遽入ったのだ。
朝、チラッとそんな事を聞いてはいたが、エドも午前中のスケジュールが詰まっていて忙しく立ち働いていたため、すっかり忘れてしまっていた。
「まいったな・・・」
部屋の掛け時計を見ると、只今午後一時。12時半から始まった会食は、まだ終わっていないだろう。
困ったように、ガリガリと頭を掻いて近くのソファーに腰をかけた。
エドが抱えている本日の午後の仕事は、ロイの許可をもらわないと進められないものだ。
・・・帰ってくるまで待つしかない。
「しゃあねぇなぁ・・・」
他の仕事をするか・・・そう思い、立ち上がろうとしたエドだったが。
足に力を入れたものの、立ち上がらずに・・・・・「ふう」と息を吐いて、うな垂れる。
今日の午前中はハード過ぎて、さすがのエドも疲労困憊。先程急いで取った昼食で腹も膨れたから、なにやら眠くて力が入らない。
「・・・・・そんなにかからないだろ」
会食の相手も忙しい男。・・・だからこそ、会食がランチになってしまったのだ。
そう込み入った話にはならず、会談はランチを食べ終われば終了となるだろうと思った。
『ここは大総統が帰ってくるのを待つ事にして、少しだけ休憩を取らせてもらおう・・・』
そんな事を考えつつ、そのままソファーに横になろうとして―――ふと思いついたように、ロイのデスクに視線を向けてふらりと立ち上がった。
向かったのは、大総統の重厚な椅子・・・それに腰かける。
「前からやってみたかったんだよな〜」
ロイはこの椅子でよくうたたねをしていた。
この椅子に背を預けて、足を組んで行儀悪くデスクの上に乗せて。
横になった方が楽だろうに・・・と思いつつその顔を覗いてみると、思いのほか気持ち良さそうに眠っていて。
『この椅子、結構寝心地いいのかな・・・?』などと、思っていた矢先だった。
「昔と違って人の気配がすれば、起きられるし・・・」
誰かが来ても、見つかる前に起きられるだろう。
そんな風に自分に言い訳をしながら、椅子に身を沈める。
椅子の座り心地を確かめながら、なんとなく先日あった騒動を思い出した。
「そーいや、あの騒動もここでアイツがうたた寝した所為だっけ」
先日あった騒動・・・それは、ロイが本物の犬になるという珍奇な事件。
犬になり仕事が出来なくなったロイの代わりに、側近達と文字通り走り回ってなんとかしのいで。
そして、アルの協力も得てやっとの事で彼を人間に戻したのだった。
「あんときは大変だったな・・・」
あの騒動が終わってから丁度一ヶ月だが、なんだか夢だったような気さえする。
そのぐらい、信じられないような出来事だったのだ。
「ホント人騒がせなおっさんだよな、あんなアホな練成陣なんか作って・・・」
自分の最愛の恋人をおっさん呼ばわりしつつ、瞳を閉じたエドだったが・・・。
突然、閉じかけた瞼をカッと開いた。
デスクの引き出しを次々開けて中を確認して・・・ホッと息をつく。
「さすがに懲りたか・・・・・」
あの時は一応反省したようだったが、後で「もう少しブラックハヤテ号と話をしておけば良かったな・・・」などと、呟いていたのを聞いた。
どうやら、いつも厳しいホークアイ大佐の弱点など聞きたかったらしいが、エドはそれを聞いて盛大に呆れた。
例えもう一度犬になれたとしても、聞いたところで主人に忠実なハヤテ号がこの男に主人の弱点など教えてくれる訳がない。
それに、あの人に弱点などあるのか、甚だ疑問だったりもする。
とはいえ、またあんなアホな騒動を起こされたら堪らないので、ガッツリ叱っておいた。
焦ったロイが『冗談だ』と謝ってその場は収まったのだが・・・めげずに練成陣を作成しているんじゃないかと、少々心配になって机を漁ってみたのだった。
「そーだよな、さすがにそこまでアホじゃねーよな・・・」
自分に言い聞かせるようにそう呟いて、一旦引き出しを戻したエドだったが・・・
しばらく考えてから、恐る恐るもう一度引き出しをあけた。
デスクの天板部分の下に位置する、長い引き出し。
その奥に、簡易的な鍵がついている小さな隠し引き出しがある。
もちろん軍としての重要な書類などは金庫に入れてあるし、いくら鍵付きといえどそこに重要なものなど入れる訳がない。でも、軍としては重要じゃなくても、プライベートとして隠しておきたい物が入っている可能性は否定できない。
そこに手を掛けて、エドは躊躇した。
・・・たとえ恋人といえど、勝手に開けていいものか?
―――だが、躊躇したのはほんの一瞬で、エドは小気味のいい音をたてて両手を打ち鳴らした。
「あのアホ大総統の愚考を諌めるのは、オレの仕事だ」
『犬になる練成陣とまではいかなくても、その他アイツがオレに隠している何かが入ってる可能性もあるしな』
・・・という本音を押し隠して、そう言い訳を口にする事で正当化して。
エドは両手を隠し引き出しの鍵部分に押し当てた―――