「兄さん・・・・・」
アルは声をかけてきた兄の姿を見て、目を見開いた。
兄の姿―――それは。
コートは何所においてきたのか、着ていない。
黒のジャケットは胸の留め具が外され、袖を通さず肩に掛けられただけ。
そして―――朝きっちり結われていた金髪はほどかれており、金糸が歩くたびにさらりと揺れていた。
・・・そんな姿の兄が、寄り添うように大佐の隣に立っている。
『その姿は・・・・・もう勝負パンツを活用しちゃったってこと!?』
もしアルに心臓があったなら、ドキドキと早鐘を打っている事だろう。
しかも・・・
「鋼の。朝食は何がいいかな?」
「え?ああ、なんでもいいぜ?今朝抜いてきたから、もう腹ペコだ」
腹を押えて笑うエドに、微笑むロイ。
・・・何やら、二人の間に和やかな空気が漂っている。
「兄さん・・・・・!」
アルは感動の面持ちで、もう一度兄の名を呼んだ。
彼の脳裏には、『大人の階段の〜ぼ〜る〜♪』と、聞いた事もない曲がエンドレスで流れている(笑)
「ん?・・・アル、お前さっきからなんかおかしくねーか」
首を捻る兄に近づき、アルはその両手を握った。
「兄さん・・・願いが叶ったんだね。おめでとう」
「アル・・・・・・お前、知ってたのか?」
「当たり前じゃないか、僕達二人きりの兄弟なんだよ?兄さんの気持ちは良く理解しているつもりだよ」
「アル・・・」
エドも感動の面持ちで弟の手を握り返した。
そして、二人はにっこりと笑い同時に喋り出す。
「緊張したけどよ、思った以上に伸びてて感激だぜ」
「やっと片思いが成就されたんだね、僕も嬉しいよ」
『『・・・・・あれ?』』
満面の笑みでウキウキと話した二人だったが、お互いの会話が噛み合っていないのに気がついた。
「・・・・・お前、何の事言ってるんだ?」
「兄さんこそ・・・伸びたって、何が伸びたの?」
「何って、身長に決まってんだろ?今朝健康診断だったから・・・」
「健康診断!?」
・・・実は、今日は東方司令部の健康診断の日。
早朝から医師や看護婦がスタンバイする中、全員が検診を受けていたのである。
国家錬金術師であるエドも軍属である為、受けるよう指示が来ていたのだが・・・
エドにとっては健康診断とは大変緊張するイベント。
何故なら、医師の診察や採血などと一緒に身体測定も行われるからだ。
彼にとっては、身長の伸び幅は賢者の石の次に重要なのである。(笑)
だから彼は緊張の面持ちで、この健康診断に望むべく気合を入れてきたのだ。
「え、じゃあその格好って!?」
「格好?ああ、採血したからジャケットは血がちゃんと止まってからと思って・・・」
「髪、髪はっ!?」
「レントゲン撮るのに、結んだままじゃだめだっていうから」
「朝ご飯食べなかったのは!?」
「めし?食事はとらないで来いって担当者に言われたんだよ。でも、胃の検診って35歳以上だって!折角メシ抜いたのに」
「さっきの大佐との朝食の約束ってのは・・・・」
「え?連絡不備のせいでメシ食い損ねたってクレームつけたら、大佐が奢ってくれるって言うから?」
「・・・・・・大佐と兄さんだけ別室っていうのは?」
「へ?高官は一般兵とは別なんだと。でも、大佐と二人じゃねぇぞ?将軍のじーちゃんも一緒だ」
次々に想像を覆されて、アルは半泣き。
とうとう絶望的な気持ちで叫んだ。
「じゃ・・・じゃあ、朝パンツ替えてたのって、健康診断の為だったの!?」
「へ?・・・そりゃ、伸びたパンツじゃカッコ悪ぃしさ」
「勝負パンツじゃなかったの〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!?」
「はぁ?勝負パンツ??」
唖然とする兄の前で、弟はパニックになったようにすごい勢いで喋り出す。
「だってさ、いつも寝ぎたない兄さんが早朝に起き出したと思ったら、司令部に行くってすぐに着替え出しただろ?何だろうと思ってたら、パンツまで新しいのに穿き替えて、その上『決戦の時だ』とか呟くじゃない?僕、てっきり今まで心に秘めてた苦しい恋心をついに昇華させる時が来たんだと思って、見届けようと思ってここまで走ってきたんだよ!?」
一息に(元々息はしてないが)そう喋るアルに、エドは唖然としたままで聞き返した。
「はぁ?恋心って・・・誰に?」
「大佐」
「へ?」
「兄さん、大佐が好きなんでしょう?」
しんと、辺りが静まり返る。
そして・・・・・たっぷりの間の後、何所か裏返ったような怒鳴り声が聞こえた。
「アル、てめっ・・・・・な、なに馬鹿なこと言ってやがんだ!!」
「だって!兄さんいつも大佐と別れた後って、しゅんとしちゃうじゃない!?」
「しゅん・・・?そんなことねぇ!!」
「大佐が綺麗なお姉さんと腕組んで歩いてるの見た後、泣きそうな顔してたしっ!」
「そんなわけねぇだろ!!」
「今年のバレンタインの時、チョコ売り場を鬼の形相で睨んでた!んで、大人向けの洋酒チョコばかり見てた!」
「睨んでねぇ!!っていうか、それオレが食べたかっただけだろっ!?」
「迷った上に買えなくて・・・僕、歯がゆかったよ!代わりに買ってきてあげようか悩んじゃったっ!!」
「だから、迷ってねぇ!!つーか、アホな事ばっかいうな〜〜〜〜〜〜〜!!」
最後の大絶叫と共に、ぜーぜーとエドが荒い息をつく。
お互いがお互いを睨みながら・・・しばしの静寂。
その後、アルが急にフッと肩の力を抜いて。
――――そして、恐る恐るといった感じで兄に問い掛けた。
「兄さん・・・・・もしかして、今まで自分の気持ちに気づいてなかったの・・・・・?」
あんだけ『切ない恋心』を体中からかもしだしといて、今まで無自覚だったの?
唖然としたような弟の言葉が、脳の中に染み込んでいく。
エドは――見つからなかったパズルのピースを見つけたような、そんな気持ちになった。
なんで、アイツに会うと心臓がドキドキと煩くなるのか
なんで、アイツのデード現場を見つけちまうとイラつくのか
なんで、東方を去るとき泣きたくなるのか
――――アルの言葉を、パズルの穴に嵌めこんでみると・・・ピタリと嵌る。
『オレ・・・』
呆然と自問自答するエド。
そのうしろから、二人のものではない声が聞こえてきた。
「・・・そろそろ、話に混ざっても良いかな?」
私にも関係ある話みたいだし?
――その言葉に、二人は振向いて・・・・・二人同時に固まった。
声の主・・・もちろんそれは、マスタング大佐。
苦笑しつつ、こちらを見ている。
エドはその顔を見上げて、息を呑み、
アルはがしゃんと鎧を鳴らしてうろたえ出した。
「あ、あのっ、大佐!そのっ、今のは・・・・・・」
アルはしどろもどろにロイの名を呼ぶ。
エキサイトして、兄の恋心を当の本人の前で洗いざらいぶちまけてしまったのに、やっと気がついたからだ。
焦るアルの横から、小さい呟きが聞こえた。
「アルの・・・・・」
「え?」
「アルのバカヤロ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!」
「に、兄さん!?」
うわーんと、顔を真っ赤にして泣きながら走り去るエドを、呆然と見送って。
そして、アルは更にがしゃがしゃと取り乱す。
「に、兄さんごめんっ!!ぼ、僕っ、兄さんを応援してあげたくてっ・・・!」
どうしよう、どうしようと焦るアルの隣に・・・・・ロイが進み出た。
ハッとして、アルは彼を見下ろす。
「大佐・・・・・」
「私としては長期戦も覚悟だったのだがね?」
「は?」
「でもまぁ、彼の自然な自覚を待っていたら、いつになるか分からなかったのも事実だし」
「え?あ・・・・・・・それって!?」
「君の応援に感謝しよう」
にっこりと笑って、ロイはアルの腕をポンと軽く叩いた。
「後はまかせたまえ」
そう言って手を振って去っていくロイを見つめて・・・・・
その姿が消えた辺りにアルは歓喜の声をあげた。
「ね、ねぇ!!今のっ、僕の応援が実を結んだってことですよね!?」
ね、ハボック少尉!フュリー曹長?
嬉々として振りかえるアルに、二人は酷く複雑な顔をした。
「俺、それについてのコメントは避けたいんだが・・・」
「僕もです・・・ノーコメントでお願いします」
「えー!?こんなめでたい時に何暗い顔してるんですか?喜んでくださいよ〜」
浮れる鎧を見ながら、
『何でここに居合わせてしまったんだろう・・・出来れば、知りたくなかった(涙)』
そう、我が身の不幸を呪う二人だった。
その頃、ロイとエドは――――
「そろそろ出てきてくれないか、鋼の?」
――――苦笑しながらも優しげな声と共にコンコンと戸を叩く、ロイ。
「やだっ、絶対、やだ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ」
――――半泣きで必至に内から戸を押えて叫ぶ、エド。
東方司令部の廊下の端っこ、そこにあった掃除用具入れの前。
・・・・・・・・・そこではそんなやり取りがしばし続いていた。