夕刻―――イルカは火影室の前にいた。
ノックをして入室すると、椅子にかけたままこちらに背を向けている三代目が見えた。
一呼吸おいて、声をかける。
「火影様。お呼びでしょうか?」
「来たか、イルカ――――」
三代目火影はくるりと椅子を回して、イルカを見つめた。
しばしその顔をじっと見つめた後、密やかにため息を吐いて・・・言った。
「今日呼んだのはほかでもない・・・・・おぬしにかけられた術の事なのだがな」
「解術方法がわかったのですか?」
イルカの顔に歓喜の色が浮かぶ・・・が、イルカはすぐにその顔を強張らせた。
――――なぜなら、三代目の顔には、苦悩の表情が浮かんでいたから。
イルカは俯くと、唇を噛んで、言った。
「・・・・・まだ、見つからないのですね?」
「いや・・・・・状況は、更に悪い」
沈痛な響を纏った三代目の言葉に、イルカははじかれたように顔を上げた。
「そ、それはどういう・・・・・」
「解術方法ではなく―――解術の・・・術がないことが、わかったんじゃ」
「なっ!?」
イルカは、唖然とその場に立ち尽くし。
そのうち、ヘナヘナと力を失った様に、床に膝をついた。
ショックで自分を保っていられなくなった為だろう・・・ボフンと術が解ける音がして、イルカの姿は煙に包まれた。
・・・煙が消えると、そこには打ちひしがれたイルカが座りこんでいた。
だが、その姿は先程より一回り小さく。細く。
―――――そして、その胸は緩やかな丸みを持っていた―――――
・ この腕に花を ・ <1>
朝――――
イルカは鏡の前に立っていた。
「・・・赤みは、消えてるな」
自分の目じりを指で押えてみる。
昨日は腫れ上がっていた瞼の腫れも引き、充血した眼球や、擦れて紅くなった目の周りは何とか元に戻っていた。
「――――今日は、アカデミー、いかなきゃな・・・・・・」
ポツリと、呟く。
火影室で衝撃を受けた日から、すでに3日も経っていた。
あの後、事の詳細を話し終えた三代目は、椅子を立って、座りこんだイルカの前にひざをついた。
のろのろと顔を上げると―――慈愛に満ちた三代目の顔。
だが、その顔には苦脳と悲しみが刻まれていて。
そして、その唇からこぼれた呟きに、イルカは目を見開いた。
「イルカ・・・・・・すまんのう」
ハッと我に返り、身を起こして正座をし、両手を床についた。
「いえ!これは私の失態なのです、三代目がその様に気にやむことではっ!」
取り乱して、失礼致しました!
―――そう頭を下げると、イルカの肩に火影の手がやさしく置かれた。
「いいや、イルカ。―――おぬしはわしにとって息子のような存在じゃ。息子の窮状を救うてやれぬ我が身が口惜しい。・・・すまぬ、イルカ」
三代目の言葉に、必死に自分を保っていたイルカの心が、緩む。
ぽろぽろと、我知らずこぼれ出した涙を拭う事無く、子供の頃にしたように・・・イルカは三代目の胸に飛び込んだ。
三代目はそのしわがれた腕でイルカを受けとめ、イルカが泣き止むまで、背中を優しくたたいてくれたのだった。
泣き止んで、火影室を辞する直前、三日間の特別休暇を言い渡された。
申し訳ないとは思ったが、三代目の『少し、心を落ち着ける時間が必要だろう。―――ゆっくり休むがよい』という言葉に・・・素直に甘えることにした。
そして、三日間。
泣きに泣いて――――昨夜、自分の気持ちにやっと整理をつけた。
「よし!――――覚悟、きめねぇとな」
そう、意識して口に出して。
イルカはジャバジャバと顔を洗い、タオルでガシガシと拭いた。
いつもの忍服を着ようと寝室のたんすを開けて―――サイズが合わなくなったのを思い出し、居間にもどる。
居間に置かれたちゃぶ台の上には、真新しい忍服、一式。
昨日届けられたそれに、イルカは袖を通した。
もう一度洗面所に戻り、髪をいつもの様に高く結い上げて。
そして、唯一サイズが関係ない、使いなれた額宛を手に取った。
――――ぎゅっと額宛を結び、鏡の中の己を見つめる。
目も鼻も口も自分のもの。
それは以前の面影を色濃く残している。
鼻の上にあるキズも、変わらない。
だが―――それが、以前より若干柔らかいフォルムに代わっていて。
かなり変ってしまった輪郭と合わさると、別人の様にさえ、思えた。
・・・・・その事実に、再び落ちこみそうになり、イルカは慌てて首を横に振った。
己に言い聞かせるように宣言する。
「んじゃ、行くか―――新しい俺の出発の日だ!」
ニッと、鏡の自分に笑いかけた。
いつも、出かける前にイルカがやる仕草。
だが今日鏡の中で笑っていたのは、以前のイルカの面影を残してはいたが、違う顔。
それは、紛れもなく――――――女の顔だった。