ゴーウ ウーゥ ウゥー
穴の中で、荒れる外の景色を見つめながら秀作は言った。

「・・・なんだか、人のうなり声のようにも聞こえるね?」

崖から這い登った利吉は、秀作を連れて近くにあった熊の巣穴に避難した。
風が吹き荒れ、木々のざわめきはどんどん大きくなっていく。
風鳴りがまるで人の声のようだ・・・そう思っていた時、隣に座っていた秀作がポツリと利吉が考えていた事と同じ事を言ったので、利吉は彼を見上げて問いかけた。

「・・・・・怖いか?」
「ううん」

すぐに首を横に振る秀作を利吉は意外そうに見上げた。
こんな場面では、すぐに怖がりそうなイメージを持っていたから。
『強がっているのか?』
不審げに見上げると、予想に反して穏やかな笑みが帰ってきた。

「利蔵君と一緒だから、怖くないよ」

強がりでもお世辞でもなく、思ったままを口にしたような穏やかな笑みに、利吉はなんと答えたらよいかわからなくて。
ただ「そうか」と小さくつぶやいて、彼から視線を外した。




・ その日、見上げた君 ・ ――10――




穴の中に避難したものの、また訳のわからぬ危険が迫ってくるかもしれない。
そう思って利吉はかなり気を張っていたのだが、しばらくしても何事もなかった。
外は相変わらず荒れてはいたが、風向きの加減か穴の中に雨が吹き込んでくる事もない。
とりあえず人心地つくか・・・と、二人は秀作の持っていたおにぎりを分け合って食べることにした。
大きいおむすびではあったが、分け合ってみればたった一つずつなので、食事はすぐに終わってしまう。
食べ終えた秀作は、手持ち無沙汰なのか、話しかけてきた。

「ねぇ、利蔵君。質問していい?」
「なんだ?」
「どうして穴に落ちちゃったの?」

利蔵君、プロの忍者だけあってすごく運動神経良いみたいなのにどうして落ちちゃったの?
そう言って首を傾げる秀作に、利吉は言葉を詰まらせた。
邪気はない。
邪気はないが・・・ストレートな質問に、利吉は思わず顔を顰めてしまう。

『いきなり答え辛い質問を・・・』

あの穴の事は、自分の人生の中でもトップクラスを誇る失態だ。
正直あまり触れたい事ではないが・・・彼に救われた身、今更言い繕っても仕方ないだろう。

「・・・ちょっと面白くない事があってね、イライラしていた所為か注意力散漫だったのかもしれない」
「?」
「・・・平たく言って、考え事をしてたら・・・・・ドジって落ちた」
「ああ、そうかぁ!」

なんでこんなこと事細かく説明しなければならんのだ。
凹む利吉の隣で、秀作は無邪気に笑った。

「利蔵くんもそんなことあるんだね!そういうの、猿も木から落ちるっていうんだよね〜?」

―――嫌みなのか?
だが、こいつの場合は思ったことを素直に言っただけだろう。
ムッとしかけたが、彼が人を謗るような事を言う人物ではないのを思い出して・・・思い直して、ため息をついた。

「まぁ、そんな感じかな・・・」
「そっかぁ・・・私もね、よく失敗しちゃうんだ。・・・そして、おこられちゃう」

直接の上司の吉野先生には一日最低十回は怒られるし。
他の先生方からも怒られるし。
たまに、忍たま達からも怒られちゃう・・・

「考えてみると、学園にいて一日誰からも怒られない日って、ないなぁ」

そう言って、秀作はヘラリと笑った。

「そんなに毎日怒られるのか?」
「うん」
「なら・・・何故忍術学園にいるんだ?」
「え・・・?」
「自分を怒りつける人物達の中で毎日暮らしていたら、嫌になるだろう?・・・実家に帰った方が楽しく暮らせるんじゃないか?」

秀作の実家は扇子屋で、割合と裕福な家だ。彼一人くらい、食わせてくれるだろう。
それに、彼の家族はおっとりとして人がいい。
彼の失敗を「いいよいいよ」と笑って許してくれる、そんな家族なのだ。
毎日怒られて暮らすより、実家の手伝いをしていた方が、彼自身楽なのではないか? ―――そう思いつつ聞くと、彼は何故かきょとんと瞬きをした。

「え?だって、怒られるのは私が失敗したからだもの?それを怒られたからって、その人達の事を嫌いになったりしないよ?」

それに、言ってもらわなきゃ、私、気がつかないから・・・言ってもらった方がありがたいっていうか?
・・・でも、また忘れて同じ失敗もしちゃうんだけどね?
『私、忘れっぽくて』と、秀作は笑った。
その笑顔を見つつ、利吉は複雑な顔をした。

『やはり、彼は邪気がないな・・・』

自分の失敗でも、咎められれば気分が悪くなるものだろう?
何度も言われれば、自分が悪いのも棚上げして、相手を謗りたくなるものだろう?
普通は、そうだ。
・・・だが、小松田秀作という人物は、そういう感情を持ち合わせていないらしい。
―――苦笑していると、秀作は『それにね・・・』と話を続けてきた。

「それに、学園を辞めるのは嫌だよ。皆に会えなくなっちゃうもの」

私、忍術学園のみんなが大好きなんだー!
だから、会えなくなるなんて絶対嫌だもの。
そう言って彼は笑う。

「学園の生活が、君には楽しいんだな・・・」
「うん、そう!すごく楽しいよ」

吉野先生は怒ると怖いけど、覚えの悪い私に何度も丁寧に仕事を教えてくれる。
忍たま達はみんな良い子達ばかりだし。
先生方はみんなすごい忍者で尊敬するし。
学園長先生とヘムヘムとは、時々皆に内緒で一緒にお茶してるんだよ〜。
―――そう言って、秀作は悪戯っぽく笑った。

「あとねぇ、学園に来る人たちも面白い人がいっぱいなんだー」
「学園に来る人?」
「私、門番やってるから色んな人に会うんだ。商人、和尚さん、海賊さん、忍者・・・ドクタケ忍者はなかなか入門表にサインしてくれなくて大変なんだよ?」
「・・・ドクタケはサインしても入れちゃダメだろ」

思わずツッコミを入れてしまう。
でも、当の秀作は利吉のツッコミを聞いているのかいないのか―――楽しそうに話を続けていく。

「あとねぇ、山田先生の息子さんの利吉さん。・・・あ、この人『怒られランキング』の二位の人なんだけど・・・」
「ちょっと待て!!」

今度は聞き流せなくて、利吉は強引に彼の話を制止させた。

「なんだ、その『怒られランキング』ってのは!?」
「ああ、僕がよく怒られる人のランキングだよ〜。一位はぶっちぎりで吉野先生!で、二位がその山田利吉さん」
「・・・学園内の他の人を差し置いて、二位なのか?」

その・・・学園の先生方によく怒られるって言ってたじゃないか?そっちの方がランキングは上じゃないのか?
そう聞いてみると、秀作は笑顔で首を横に振った。

「ううん、先生方にも怒られるけど、お一人ずつで考えたら絶対利吉さんの方が上だよ。だって利吉さんには学園にくるたびに怒られてるし、外で会った時も怒られてるし・・・っていうか、会って怒られなかったことないもん」
「そんなに・・・・・怒ってるかな?」
「うん。いつも全力で怒られる」
「全力でって・・・・・」
「全力で、思いっきり怒鳴られちゃう」

そんなに私は彼を怒鳴りつけてばかりだったろうか?
利吉は、自問自答しながら、回想してみる。
―――回想して、うな垂れた。

『・・・・・・確かに、怒ってばかりだったかも』

でも、それは彼がイライラさせるような事ばかりするから・・・。
しかも、怒ってこたえるような奴なら言い過ぎたと反省もするんだが、君はいつもヘラヘラと笑ってばかりいるから、つい・・・。
心の中で言い訳しつつ、気まずげに視線を逸らした。

「そうか・・・。それは、なるべく会いたくないだろうな」
「え?」
「その・・・学園内の者でもないのにそんなに怒られていれば、さすがに君も・・・」
「ううん、そんなことないよ?私、利吉さんに会うの楽しみだもの」
「え?」
「私、利吉さんの事、大好きなんだ〜!」
「・・・・・・は?」

唖然とする利吉の前で、秀作は楽しそうにウキウキと続ける。

「利吉さんってね、フリーの忍者をやってるんだけど、すっごくカッコイイんだよ!私ね、忍者になるのが夢だから、憧れの人なんだよね〜」
「・・・・・・・・まだ、諦めてなかったのか」
「え?」
「いや・・・」
「?・・・とにかく、危ない時とかいつも助けてくれるし、利吉さんってとてもすごい人なんだよ?」

だから、怒られちゃうけど、利吉さんに会えるのは嬉しいの。
秀作はそう言って嬉しそうに笑う。
そんな秀作を、利吉は複雑な顔で見つめた。

『確かに、何度か助けているけど・・・』

それは、さすがに知り合いの命の危険を見逃す事が出来なかっただけで・・・彼の事は、正直苦手だった。
何度も同じ失敗をして、それでもヘラヘラ笑っているのが癇に障った。
一緒に行動すると碌な目に合わないし、迷惑をかけられるのもしばしば。
その度、怒鳴り散らしていた。

でも・・・今考えると。

彼の言動・行動にイライラしたから怒鳴りつけたと先程は思ったけれど・・・
きっかけはそうだったにしろ・・・仕事中に溜まった鬱憤を、仕事後に立ち寄った学園にいた彼にぶつけてしまっていなかったか?
胸を張って『そんなことはない』と言えない自分に気がついて、利吉肩を落とした。

『それなのに・・・君は好きだといってくれるんだな』

罪悪感が胸に広がる。
今すぐに謝りたくなった。
だが・・・今の自分は『山田利吉』ではない。
この姿で謝っても、彼には何の事だか分からないだろう。

『・・・謝るなら、元の姿に戻って、ちゃんと山田利吉として謝らないと』

―――そんな利吉の思考に割ってはいるように、秀作の明るい声が聞こえてきた。


「まぁ、好きなのは私だけで・・・利吉さんには嫌われてると思うんだけどね」


眉を下げてハハ・・・と笑う秀作を見つめた利吉だったが。
すぐに視線を外すと、ころりと横になり、彼に背を向けた。

「利蔵くん?」
「・・・・・・話はこのぐらいにして休もう」
「うん・・・?そうだね・・・おやすみ」

秀作は少し首を傾げたものの、それ以上聞くでもなく、利吉の隣に横になった。
体は正直なもので、疲れ果てていた秀作の体はやはり休息を求めていたらしく、横になってすぐに、瞼がゆるりと下りてくる。
うとうとしていると、小さな呟きが隣から聞こえてきた。


「・・・嫌いじゃないよ」


秀作は閉じかけた瞳をもう一度開き、隣の利蔵を見る。
だが、彼はこちらに背を向けたまま。
秀作は首を傾げながら・・・再び横になった。



******



―――隣から、寝息が聞こえてくる。

『やはり疲れていたんだな・・・』

寝息を聞きながら、利吉は首を動かし、チラリと彼の様子を窺う。
この山の異常さには怖がる様子もなかったが、さすがに大岩に追いかけられたのは堪えただろう。

『まぁ、私も限界だがな・・・・』

何が起こるかわからない。
本当は、夜通しの警戒が必要だと思う。
・・・だが、小さな体にはもう体力が残っていなかった。

『とりあえず、休息をとろう・・・少しでも体力を回復させて、活路を見出すしかない』

この危険な山から抜け出し、なんとか元の姿に戻って。
元の姿に戻れた・・・その時には。
―――さっき言われた彼の言葉を思い出して、瞳を伏せた。


『私、利吉さんの事、大好きなんだ〜!』


チリ・・・と、胸に小さな痛みを覚えつつ―――。
ふにゃりと笑顔を浮かべて眠る秀作をもう一度見つめ、利吉は目を閉じた。





ちょっと反省(笑)



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