・ 道 ・ ――1――

 



ここは忍術学園の正門前。

そろそろ日が落ち始めた夕暮れ時、その門の前に一人の男がひっそりと立っていた。
緑色の小袖、黒い袴。結い上げられた長い髪が、時折風に煽られ流れるように揺れている。
その男の名は山田利吉。プロの忍者で、忍術学園教師・山田伝蔵の一人息子である。
所用で父の面会に学園を訪れた彼は、なぜか門の前で立ち尽くしていた。
扉を叩こうとした手を止め、ため息をつき、また叩こうとしては手を引っ込め考えにふける・・・といった具合である。

彼をよく知るものがこの姿を目にしたら、首を傾げる事だろう。
利吉が父を訪ねてくるのはよくあることだし、学園教師達も利吉を同僚の息子と知っていて、いつも温かく迎えてくれる。
しかも、フリーで働きながら名を上げている利吉は、忍たま達にとってはの憧れ。
学園を訪れるたび、父の教え子たちに囲まれ、纏わりつかれているのが常であった。
――つまり、彼が学園内に足を踏み入れるのを歓迎こそすれ、うとう者など誰もいない。
彼が門を叩くのを戸惑う理由など、何一つないはずである。

しかし、依然として利吉は門を叩けないでいた。


理由は一つ。忍術学園の平事務員・小松田秀作に会いたくないからである。


・・・・・・・・・・いや、会いたくないのとも少し違うのだが。
とにかく今、彼の顔をまともに見る勇気が利吉には無かった。
だが、学園の門番でもある彼はこの扉を叩けば必ず入門表を持って現れる為、入門すれば会わないわけにはいかない。
『忍者ならば、忍んで入ればよかろう?』―――そう思われるかもしれないが。
学園長に『忍びには向かない』と太鼓判を押されてしまっている、粗忽者で鈍い彼なのだが・・・なぜか不法侵入者だけにはやたら鋭く。
たとえ忍んで入ったとしても、どうやって嗅ぎつけたのか彼は必ずどこからともなく現れる。
―――そして、にこにことバインダーを差し出すのだ。


「はぁ・・・」


いったい、ここに着いてから何度目のため息だろうか?
自分でもらしくないと思う。
元々、利吉は合理主義で、即断即決・・・一つのことをこんなにぐずぐずと考えることなど少ない。
忍びとして、状況判断を的確にし、即行動に移れる訓練を積んでいるし。人の意見を聞いた方が早いと思われる事には、父や父の同僚教師・土井半助に教えを乞うなど、柔軟な対応もできる方である。
それなのに、今の自分は自分の気持ちの答えが出せず、しかも父に教えを乞うなどもっての外な悩みゆえに相談することも出来ず、同じ悩みをぐるぐると考え続けている。
そんな自分に苛立ちを感じてはいるが、どうしようもない。

『あんな事さえなければ・・・』

あんな事・・・とは、一月ほど前に起こった騒動のことである。
利吉があみ茸城の姫君に見初められ、それをあきらめさせるために女装の秀作と一芝居打ったのだが。


――――その時女装の秀作に、あろうことか・・・ときめいてしまったのである。


その場は、『秀作の女装がかわいらしかったため、妖しい気分になっただけ』と、自分を納得させていたのだが・・・・・
あみ茸城からの事後報告を聞く為に学園に立ち寄った一週間後のこと、秀作の顔を見た途端、また胸が高鳴ってしまったのである。
もちろん、その時の秀作は化粧をしているわけでもなく、女物の着物を着ているわけでもない。 色気など欠片もあろうはずもない、いつもの事務服姿である。

それなのに、彼の一挙手一投足が気になり、微笑む笑顔に顔が赤らむ。
・・・挙句の果ては、その華奢な体を抱きしめてしまいたい衝動に駆られる始末である。
その時は仕事を理由に、早々に学園から逃げ出したのだが・・・時間がたつにつれ、その気持ちは治まるどころか膨れ上がるばかりだ。
集中して仕事をしている間はいいのだが、少しでも気を抜くと彼の面影が浮かんできて頭から離れない。

恋愛経験がないわけではない。肌を重ねたことも幾度もある。
それなのに、利吉は今までこんな気持ちになったことがなかった。
・・・正直、自分でもこの気持ちを持て余し、混乱している。
それでも、彼が女性だったなら・・・自分の気持ちを素直に『恋』と認め、心の内を伝えようとしただろう。だが、秀作は紛れもなく男であり・・・・・そのことが利吉の真実を受け入れる心を曇らせていた。

『心の整理がつくまで、学園には来ない』

そう思っていた利吉だったが、今回はどうしても寄らなければならなかった。
『今度の仕事が終わったら、必ず父上から手紙の返事を頂いてきてちょうだい。』
そう、母から厳命を受けていたからである。
18の息子がいるとは思えぬほど、若々しく美しい母ではあるが・・・かつて忍び仲間から恐れられた戦忍の父も、一流の名を欲しいままにしている利吉も適わない。
2人にしてみれば食堂のおばちゃんよりも、くの一達よりも怖い、最強の女なのだ。
母の機嫌を損ねるわけにはいかない。


「行くか・・・」


意を決し門を叩こうとした瞬間、ふいに内側から扉が開いた。
反射的に一歩あとずさってしまった利吉だったが、中から顔をのぞかせたのは秀作ではなく、1年は組の教科担当教師・土井半助だった

「あれ?利吉君、今来たのかい?」
「ええ・・・まあ。お久しぶりです、土井先生。」

少し顔を引きつらせつつ言ってしまった利吉だったが、半助は特に気にする風もなく、
いつもの人なつっこい笑顔を見せる。

「本当だよ。この頃顔を見せなかったじゃないか。お父上も心配しておられたよ。」
「・・・仕事が忙しかったものですから。ところで、どちらかにお出かけですか?」

学園に来なかった理由にあまり触れられたくなくて、さっさと話題を切り替える。
だが、半助はそれを気に留めることなく門外に出ると、通りをきょろきょろと眺めた。

「土井先生?」
「―――実は、生徒がお使いからなかなか帰ってこなくてね。少々心配になって、ちょっと様子を見に出たところだったんだ。」
「例の三人組ですか?」

例の三人組とは、父と半助が受け持っているクラスの、乱太郎・きり丸・しんべヱの事である。 お使いに行く度、迷子やらドク茸に捕まるやら、いろいろとトラブルに巻きこまれているのだ。

「ああ。それと、小松田君も一緒なんだ」
「小松田君も?」

あんなに入門するのを迷っていたというのに、彼が居なかったと聞き利吉はどっと疲労を感じた。
とはいえ、チャンスでもある。居ないのなら、この隙に用事を済ませてしまえばいい。
いいのだが・・・・・帰りが遅いと聞いて、利吉はにわかに心配になった。
何せ彼はかなりのトラブルメーカーだ。厄介なことに巻き込まれている可能性が高い。

「何処までいったんです?」
「あこう老師の家までだよ。学園長は老師の作る干し柿が大好物で、三人組に貰ってくるようお使いを頼んだらしいのだけれど・・・以前、同じお使いを頼まれたきり丸が、帰り道に干し柿をほとんど売ってしまっことがあって。それで、小松田君を見張りにつけたらしいんだ。」

だったら最初から小松田君一人に頼めばいいものを。補習授業の予定があったのに!
そう半助はぶつぶつとぼやいた。いつも学園長の気まぐれに付き合わされて、色々と迷惑をこうむっているのである。

「何時、出て行ったのですか?」
「昼前だよ。あそこなら、あいつらの足でもとっくに帰ってくる時間なんだが・・・」

確かに遅い。道に迷うのはしょっちゅうとはいえ、心配になる。
――――もう日が沈みかけて、薄暗くなり始めていた。

「普通、引率がついていれば安心なはずなんだけど、付いて行ったのが小松田君だからねぇ。言っちゃ悪いが彼、三人組に輪をかけた厄介ごとを呼ぶ体質だから・・・」

さっき自分も思っていたことを言われた利吉は、半助と顔を見合わせ、深いため息をついた。

「じゃあ、私は迎えに行って来るよ。お父上は出張中なんだが、もうすぐ戻られるはずだから、部屋にあがって待っているといい。」

そう言い残し歩き出した半助だったが、その隣に利吉が並んだのを見て足を止める。


「利吉君?」
「何か厄介事が起きているなら、人手があったほうがいいでしょう?・・・私も行きます」


本当は秀作に会わないつもりだったのだが、このままでは心配で帰れない。
そう思っての行動だったが、そんなことはおくびにも出さず、にっこりと笑って見せる。

「そうかい?疲れているのにすまないね」

半助は本当にすまなそうな顔をして、そして二人は夕暮れの中を歩き出した。






花微笑シリーズ、第二章 『道』 です。利吉の自覚話。


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