「あれ、山田先生。こんな所で、どうなされたんですか?」
どのくらいそこに立ち尽くしていただろうか?
不意にかけられた声に振り向くと、同僚教師の土井半助が訝しげにこちらを見つめていた。
―――そうだ、利吉と親しい半助なら・・・
「土井先生・・・」
「はい?」
「利吉に小松田君のこと、聞いていましたか?」
「えっ!」
一瞬言葉に詰まった半助だったが、すぐ何食わぬ顔でいつものようににっこりと笑う。
「何のことでしょう?」
「・・・とぼけんでください。利吉が兄のように慕うあんただ。知っていたんでしょう?」
伝蔵はそんな半助の目を見つめ、静かに口を開く。
―――その言葉に観念した半助は、肩をすくめて答えた。
「別に、利吉君から直接聞いたわけじゃないんですよ。・・・ただ、彼の態度でうすうす気づいてはいました」
「いつ、気づかれました?」
「―――この前、山田先生が出張でお出かけの時、お使いに行った小松田君と3人組が迷子になったことがあったでしょう?」
伝蔵は顎鬚を撫で、思い出したように頷いた。
「そういえば、そんなことがありましたなぁ。
出張から帰ってみれば、きり・しんと小松田君が怪我をしたとかで、大騒ぎになっていた。・・・確か、崖からおちたとか?」
「そうです。あの時、ちょうど利吉君が来ていて二人で助けに行ったのですが、小松田君を助け出した時の利吉君の態度が尋常じゃなくて・・・それで、『ああ、そうなのか』と」
「尋常じゃない?」
「ええ。利吉君が溺れて意識のない小松田君を見つけ、水を吐かせて助けたんですが。小松田君が意識を取り戻すと、いきなり叱り飛ばして。
・・・その後、まるで泣き出してしましそうな苦しげな顔で、彼を抱きしめたんです。
その肩が小刻みに震えていて・・・あんなに取り乱した利吉君を見たのは初めてです」
「そうか・・・」
腕を組み、その話を静かに聞いていた伝蔵は―――やがて、後にある小屋の壁に背中をもたれかけさせて、天を仰いだ。
「山田先生は、いつ気づかれたんですか?」
半助は伝蔵の隣に歩み寄ると、自分も同じように壁に背をつけて、そう聞いてみる。
「つい、今しがただよ。小松田君と利吉がそこで話をしているのを見かけてな。
この頃奴があんまり頻繁に訪ねてくるので、何か悩みでもあるのかと危ぶんでおったところだったから、少しその話に聞き耳を立てておった」
「えっ!愛の告白でもしてたんですか?」
びっくりしたように姿勢を戻してこちらに向き直る半助に、伝蔵は苦笑しながら答える。
「いや、普通の会話だよ。仕事が終わったら茶店に行こうとか何とか言っとったが・・・。
でも、奴の顔がなぁ。」
「顔?」
伝蔵は頭を掻くような仕草をしながら、ぶつぶつとつぶやくように話す。
「小松田君を見る利吉の目が、友人を見るそれではなく・・・愛しい者を見る目だった。
甘ったるいような、それでいて切ないような・・・見ているこっちの方が恥ずかしくなったわい。あやつも、あんな顔ができるんじゃの。今まで知らなんだわ。」
そう言って、伝蔵は黙り込んだ。半助はそんな先輩教師の顔を、なんともいえない表情で見つめた。
口には出さないが、伝蔵が利吉を誇らしく思っているのを、半助は知っていた。
その自慢の一人息子の想い人が男というのは、かなりショックなはずだ。
しかも、『若気の至り』と笑い飛ばすことの出来ない真剣さを、利吉の態度から感じたのだろう。
半助としては、利吉を応援してやりたいと思っているのだが、この父親の気持ちを思うと素直に喜んでやることも出来ず・・・知らぬ振りをしていた感があった。
そんな事を考え半助が声をかけられずにいると、伝蔵は突然スッと姿勢を戻す。
「ま、あやつも一人前の男だ。わしが口を出すことでもないだろう。・・・ただ、小松田君を傷つける真似だけはせにゃいいんだがな。」
そういい残すと、伝蔵はその場を去った。
「無理しちゃって」
伝蔵の後姿を見送りながら半助はそう呟き・・・
不器用な父親の心情を察して、一つため息をついた。
******
その日の夜。
半助が夜番で居なかったため・・・利吉は父と二人だけで布団を並べ、床についた。
が、明かりを消して横になってはいるものの、父はいつまでも眠る気配がない。
利吉は意を決し、布団の中でまだ起きているであろう父に話し掛ける。
「父上。何か、私に仰りたいことがおありですか?」
突然破られた沈黙に、伝蔵は首だけ動かし利吉を見た。
「なぜそう思う?」
問いかけながら目を凝らしてみるが、ここは暗闇の中。息子の表情は解らない。
「夕刻、薪小屋の近くにいた私を、見ていらしたのでしょう・・・?」
「気づいておったのか?」
気配は完璧に消したつもりだったが・・・?
「いえ、その時は全く。ただ、外出から戻って見たら父上の態度がいつもと違っていました。外出前にお会いした時は特に変わらなかったはずなので、あれを見られていたのかと。」
相変わらず聡い息子だと思う。いつも人の心の先を読んでくる。
息子が戦闘に優れているのも・・・運動能力だけではなく、この先読みで相手の先手を打つからなのだ。
・・・・・伝蔵はなるべく冷静に、静かな口調で語りかける。
「いつから、小松田君を?」
「・・・意識するようになったのは、あみ茸の姫君の事件あたりからです。でも、多分そのずっと前から惹かれていたのだと思います」
そう答える声は、どこか弱弱しい。
きっと、しかられた子供のような顔をしているのではないか?と、伝蔵は思った。
「気の迷いではないのか?」
内心ため息をつきながら、伝蔵は問い掛ける。
「何度も、思い直そうと思ったのです。・・・でも、駄目でした。」
「そうか・・・」
息子の言葉にゆるぎないものを感じ、伝蔵はそれ以上言葉を続けられず、沈黙した。
どのくらい黙り込んでいただろうか?先に口を開いたのは、伝蔵だった。
「ところで、小松田君の方はどう思っておるのだ?」
突然の問いに、一度伝蔵の方を振り向いた利吉だったが、すぐに正面に向き直った。
「はぁ、それが・・・一応、思いを伝えるべく努力はしているのですが。彼、かなりニブイので、なかなか・・・」
言いにくそうに、ゴニョゴニョと口篭もる。そんな利吉の声を聞き、悪戯心が芽生える。
「なんだ、お前の片思いなのか?それなら、別にわしが気を揉む必要もないな」
―――わざと決め付けるように言い放つと、途端に利吉の言葉に怒気が混ざる。
「・・・そのうち、おとしますよ。絶対。」
憮然と答える利吉を、鼻で笑い飛ばす。
「どうかな。小松田君とて年頃の男、あれで『かわいい』と一部のものに人気があるのだぞ?
お前がまごまごしておる間に、可愛い恋人が出来ているのが関の山だな」
心配していることを言い当てられ・・・ぐっと言葉に詰まるが、精一杯言葉に余裕を持たせて利吉は答える。
「・・・父上。私の腕を知りませんね?」
「知らんなぁ?」
どこまでも挑発的な伝蔵の言葉に、利吉はますます怒気を強めながら答える。
「まぁ、見ててください・・・付き合い始めてから、『別れて女と結婚しろ』などと泣きついても聞く耳持ちませんからね!」
「フン、まだ付き合ってもいないくせに、大口をたたくわ!」
ふいに、利吉が立ち上がり、戸口に向かって歩き出す。
「何処へ行く?」
・・・その背中に尋ねると、『少し、夜風にあたって来ます』と、苛ついた声が返ってきた。
廊下に踏み出す息子に―――今までのからかい口調から一転、伝蔵は静かに言葉をかける。
「利吉。うまくいくにしろ、いかぬにしろ、小松田君を傷つけるのだけは許さぬぞ」
ぴたりと、利吉の動きが止まる。
「はい、肝に銘じておきます。・・・・父上?」
「なんだ?」
「・・・申し訳ありません・・・」
こちらを振り返れないまま謝る息子の背中を見つめた。
本当は両親のことを思いかなり悩んでいたのだろう。伝蔵の口元が少し、綻んだ。
「そういう台詞は、おとしてから言え」
伝蔵の声がからかい混じりに戻ったのを聞き、利吉は少し微笑んで部屋を出て行った。
******
「お待たせしましたなぁ、土井先生?」
利吉が出て行った後、伝蔵は布団から上半身を起こすと、天井に向かって声をかけた。
すると天板が一枚外れ、土井半助が音もなく伝蔵の隣に降り立つ。
「気づかれていましたか。・・・しかし、呆れちゃいましたよ?」
「何がですかな?」
「ご自分で煽って、どうなさるんです・・・?」
とぼける伝蔵に、半助は心底呆れた口調でいう。
それにも表情を崩さず、伝蔵はしれっと答えた。
「別に煽ったつもりはないが?・・・ただ、あんな利吉はこの頃とんと見かけんのでな、ついからかってしもうた」
悪びれもせずそう答える伝蔵に、半助は肩をすくめた。
「・・・利吉君、本当にもてるんですよ?小松田君はかなり鈍いですけど、利吉君が本気を出せばおちますよ、きっと。・・・孫の顔、見られなくなっても知りませんよ?」
「孫の顔など、奴が忍者になるといった日から期待などしておらんわ!」
半助の言葉に、伝蔵はフンと鼻を鳴らした。
―――忍の仕事は過酷である。
いつも生命の危機に晒され、その危機は家族にまでも類が及ぶ可能性があるのだ。
名が上がるほど敵も増え、その危険も大きくなる。そのため、この仕事につくものは妻子を持たぬものも多い。
自分とて、それを恐れて妻と子を遠い山奥に住まわせておいたのだ。
それでも、一人息子が家庭を持つのを全く楽しみにしていなかった・・・とは、言えないのだが。・・・伝蔵は、内心密やかなため息をついた。
そんな伝蔵の心の内を見透かすように、半助が伝蔵の顔を覗き込むようにして聞いてくる。
「・・・無理は、体に毒ですよ?」
そんな半助を、伝蔵は逆に見据えるようにして問い掛ける。
「あんたこそ人のことなど気にしとらんで、まずは自分の方を何とかしたらどうです?
25にもなって独り身とはみっともないですぞ。忍といってもあんたの場合『教師』という安定した職についている訳だし、そろそろ嫁を貰っても差し支えないでしょう?なんなら、わたしがいい娘さんを紹介して・・・」
突然矛先が自分の方に向いたのに慌てた半助は、この場を退散すべく、降りてきた天井に飛び移った。
「や、山田先生。お説教はまた後ほど。私は夜回りの途中でしたので、これで!」
そう言うと、天板をしめてさっさと姿を消してしまった。
「まったく。どいつもこいつも・・・」
独り残された伝蔵はそうぶつぶつと呟くと、再び布団にもぐりこみ・・・
掛け布団を頭からかぶるようにして、眠りについたのだった。