寝室のベッドに腰掛けて本を読んでいると、ドアが開く音が聞こえた―――。
「姿が見えないと思ったら、こんなとこに居たのか」
「・・・ああ。寝る前に読んでいた本の続きが気になって取りにきたんだが、そのまま読みふけってしまったな」
聞こえてきたエドの声に顔を上げたロイだったが―――すぐに、固まったように動きを止める。
ロイの視線の先には―――着ていた白いシャツのボタンを次々に外していくエドの姿があった。
・ 新婚家庭の寝室 ・ <理想の結婚・番外編A>
白い肌が露になっていくのを見ながら、ロイはどこか呆けたような声色で聞いた。
「・・・何をしているんだね?」
「何って・・・着替えてんだろ?」
料理してたら、ソースつけちゃってさ?
早く洗わないと、落ちなくなっちまう・・・。
―――そう言いながらエドはシャツを脱ぎ捨てて、クローゼットから新しいシャツを取り出す。
素肌に新しいシャツを羽織るエドを見つめながら、ロイは小さく呟いた。
「消えてる・・・」
「え?」
「あ・・・いや」
しまった・・・と思った。口に出すつもりは無かったのに、声が出ていたようだ。
誤魔化すように視線を逸らしたのだが、彼は何のことか分かってしまったようで、『ああ・・・』と呟いてから、苦笑いを浮かべた。
「あれから一週間も経ってんだ・・・すっかり消えたよ」
「そうか・・・」
あの時の事を思い出させるような事はしたくなかったのだが・・・と、ロイは己の迂闊さを反省する。
『あれからたった一週間だ。体の傷は消えても、心の傷は消えていないだろう』
特に気にした様子も見せずに、シャツのボタンを留めだした彼の手元を見つつ、苦い思いをかみ締める。
それでも、体の傷だけでも消えて良かったと思った。
これで、鏡を見るたび彼があのことを思い出す事はなくなっただろう。
そう思ったロイだったが―――何故か、心の中がざわりとざわつく。
『あの男のつけた痕も消えたが・・・私がつけた痕も消えたな』
嫌な記憶を上書きして消してやろうと、彼の肌に口付け、赤い痕を刻んだ。
ただ、それだけの筈だった―――。
それだけの筈だったのに・・・綺麗さっぱり消えてしまったことに、何故だか寂しさようなものを感じる。
―――じっと見つめていると、エドが顔を顰めた。
「・・・なんだよ?」
「いや・・・」
「まだ気にしてんのか?」
「いいや」
ロイは手にしていた本をサイドテーブルに置き、首を横に振って見せた。
だが―――。
「うそつけ」
エドはそう言って思案顔になって。
ベッドに座るロイの前まで進み、折角留めたボタンを、また二つ外した。
襟元をはだけるように広げ、彼の眼前に痕のあった場所を晒す。
「ホラ、もう消えたんだ、すっかり・・・・・・オレは、もう忘れたよ」
だから、アンタも忘れろ。
エドはそう言ってニッと笑う。
『たった一週間しか経っていないのに』
それなのに、忘れたから気にするなと笑うエドに・・・ロイの胸がじりっと疼く。
なんと表現したらいいか分からぬその感情を胸に抱えたロイは、不意に立ち上がってエドを見つめて。
そして―――気がついた時には、彼の体に腕を回していた。
******
突然腰の辺りに手を回され、お互いの体を密着させるように引き寄せられて・・・エドは目を見開いた。
「ロ、ロイ・・・?」
彼の名を呼ぶと、彼はどこか渋い顔で、訳の分からぬ事を言い出した。
「嫌な痕が消えてしまったのは良かったが・・・私のつけた痕まで消えてしまった」
「は?」
「なんだか、寂しい」
「はぁ!?」
「なぁ、エディ・・・」
―――もう一度、付けてもいいか?
耳元に囁かれた言葉を理解するのに、だいぶ時間がかかった。
ようやく理解した辺りには、ロイの唇が自分の首元に触れる直前だった。
「ちょ、まっ・・・」
パニックになりながらも、『待って』と静止の言葉を言おうとしたその時。
―――あろう事か、寝室のドアが勢いよく開け放たれた。
「突撃☆新婚さんのお宅ほうも〜ん!!お二人さん、仲良くやってるか〜!?」
陽気な声と共に開け放たれたドアを、ロイとエドは体勢はそのままで、視線だけを向ける。
そこにいたのは、ヒューズ中佐。
後ろには、ロイの側近四人。
ロイとエドは、ヒューズ達を見つめる。
ヒューズ達も、ロイとエドを見つめる。
・・・・・・しばしの沈黙の後、ヒューズの咳払いが聞こえた。
「ゴホン・・・あー・・・っと。仲良く、やってるみたいだなー?」
邪魔したな?
その言葉を残して、ドアは閉められた。
そのドアをしばし見つめた後、エドは呆然としたままロイに視線を向けて―――彼の表情を見て、息を呑む。
「ろ、ろい・・・?」
名を呼んでみるが、返事はない。
閉められたドアを射殺すような眼光で見つめていたロイは、屈めていた上体を起こすと、険しい表情のまま部屋を出て行った。
******
一階に下りた側近達は、揃ってヒューズに詰め寄っていた。
「ヒューズ中佐、どうしてくれるんですか!」
「どこが『大丈夫』なんですか!?おもいっきり、ラブシーンだったじゃないっスか!」
「どう言い訳したら・・・っ!」
「消し炭確定ですよ!?」
「お、落ち着けって・・・・・・おかしいなぁ」
ヒューズはそう言って、首を傾げた。
ヒューズ中佐がマスタング少将の執務室を訪ねてきたのは、定時近くの夕刻。
リザが少将は公休日なのでいないと伝えると、『何だ』とがっかりしたようだった。
そのまま彼は帰るだろうと側近達は思ったのだが・・・少し考えるそぶりをした後、中佐殿はニタリと笑った。
「今日定時上がりの奴、誰だ?」
「私は夜勤ですが、他の皆は定時であがれますが?」
そう答えるリザの後ろで、ロイの側近達は皆、一様に顔色を悪くした。
『何か、仕事押し付けられるのか・・・?』
自分達の上司も人使いが荒いが、彼の親友であるこの人も負けず劣らず人使いが荒い。
何を言いつけられるのかと戦々恐々としていると、中佐殿は人好きする笑顔を向けて、こう言った。
「んじゃ、お前達これから付きあえ。・・・飯、食わせてやるから」
「えっ、マジっすか!?」
思わぬ申し出に、皆意気揚々と中佐の後に着いてきたのだが、着いた先は自分達の上司の新居で。
慌てて回れ右をしたのだが、後ろからがばりと肩を捕まれた。
「なんだよ・・・お前達、あいつ等の新婚生活に興味ねぇのか?」
そう聞かれて、顔を見合わせる。
興味はある。興味はすごくあるのだが・・・後が怖い。
そう訴えてみたのだが、中佐殿は「心配すんな」と言って笑った。
「聞けばアイツら、この間の新婚旅行は散々だったらしいじゃねーか?元気づけてやろうかと、グレイシア特性のパイやらケーキやら沢山持ってきてやったんだ。きっとロイもエドも大歓迎だぜ?」
「奥様の手料理は美味そうですが・・・でも」
「グズグズ言ってないで、いいから行くぞ!」
中佐殿に引きずられて門を潜ると・・・出迎えてくれたのはアルフォンスとローザだった。
「あれ?二人は?」
「ロイ義兄さんは寝室だと。兄さんはさっきまでキッチンにいたんですが・・・」
「エドワード様は先ほど寝室に行かれましたよ?」
ローザの言葉に、ヒューズはニヤリと笑う。
「よっしゃ。こっそり行って驚かせてやろうぜ?」
ニタリと笑ったヒューズに、側近達は顔面蒼白になった。
『やめましょうよ!』
『行かなくても、アルに呼んでもらえばいいでしょう!?』
『寝室なんて、ラブシーンの最中だったらどうすんですかっ!!』
『マジ、焼き殺されますよ〜〜〜!!』
そう訴える面々に、ヒューズは余裕の笑みで言った。
『大丈夫だって!・・・それは、絶対ねぇから』―――と。
根拠がわからないながらも、太鼓判を押されて覗き込んだ室内。
だが、目に飛び込んできた光景は・・・シャツのボタンを外して胸をはだけたエドワードと、その首筋に唇をつけようとしている少将で。
―――大丈夫どころか、ラブシーンそのものだった。
ハボックは、青い顔でヒューズに食って掛かる。
「大丈夫どころか、真っ最中だったじゃないですか!」
「おかしいなぁ・・・・・・そんな筈はないんだが」
ヒューズは顔を顰めて、考え込むように顎に手を当てる。
「おかしくなんかないですよ!夫婦・・・しかも、新婚ならあって当たり前のことでしょう!?それより、今すぐ逃げましょう!?絶対焼き殺されますよ〜〜〜〜!!」
「・・・よく分かってるじゃないか?」
髪を掻き毟りながら叫ぶハボックの後ろから聞こえてきた声に、一同、凍りつく。
ハボックは、ギギギと音がしそうなぎこちない動きで、後ろを振り向いた。
「しょ・・・少、将・・・」
「新婚家庭の寝室をノックも無しに訪問するとは、良い度胸じゃないか?」
ポケットから発火布の手袋を取り出して右手に嵌めると、ロイは、冴え冴えとした笑みを浮かべて、言った。
「焼き加減にリクエストはあるか?」
『せめてレアでお願いします!!』
―――部屋に、そんな悲痛な叫び声が響いた。
******
騒がしい階下の音を聞きながら・・・エドは、いまだ寝室で呆然としていた。
『み、みられた・・・あんなところ、みんなにみられた・・・』
その事実を確認して、顔が真っ赤に染まる。
恥ずかしくて爆発しそうになりながらも―――ある疑問が頭の中を占めた。
「あれ、演技だったん・・・だよな?」
突然のロイの行動に、驚いた。
演技を必要とする場所じゃなかったから、何故あんなことをするのかロイの意図が分からずパニックになったが・・・結局、ドアの外に気配を感じたロイが、いつもの演技をしただけだったのだろうか?
「そうなんだ・・・よな?・・・・・・・・・でも」
なら、何でさっきあんなに怖い顔をしていたんだろう?
『まるで、いいところを邪魔されて怒っているような・・・ま、まさか・・・な』
そんなこと、あるわけない。
己の頭に浮かんだ疑問を打ち消すようにエドは頭を横に振って、階下の騒動を治めなくてはと、ドアに足を向けた―――。