アルの言葉を思い出しながら、エドはぼんやりとベットの上で視線を彷徨わせた。
「アイツさ、オレが意識がなかった三日間、頼る人も居ない知らない土地の病院でかなり不安だったんだな。
医者に意識が戻るかどうかわからないとか、言われたらしいから・・・・・」
・・・・・・だけど、オレにはアイツの体を諦める事なんて出来ない。
馬鹿なことを言うな!と怒鳴った。
お前、このまんまでいいのか!と。すると――――
「いいわけないじゃない!!僕だってこのままの体は嫌だよ!!
―――――――――――――――だけど、兄さんがいなくなるのは、もっと嫌だよっ・・・・・!」
今までだって、兄さんが怪我をするたびに苦しかった。
いつも兄さんは僕の事を一番に考えてくれてて・・・それは嬉しいけれど、同時に苦しくて。
だって、兄さん自分の事は全く省みないんだもの。
危険と知っていても、そこに可能性があれば兄さんは迷わず飛び込んでいく。
その度に傷ついて、でも・・・僕にはその傷を見せないようにして、笑ってくれる。
自分の腕を取り戻すためだけなら、そこまでしないんでしょう?
・・・・・・・・みんな、僕のためにやっているんでしょう?
なら、僕が諦めれば、もう兄さんは傷つかないんでしょう!?
――――――アルはそう言って、鎧の手で鎧の顔を覆って、膝をついた。
「もう、兄さんが傷つくのは見たくないよ・・・・・」
鎧の体には涙が流れるはずもないけれど、声は震えていて―――――
アルが、心の中で涙を流しているのが分かった。
そして、泣かしてしまったのは―――――紛れもなく自分で。
だから、声を掛けることも出来なくて。
最愛の弟―――――
こんな体にする前から、大事にしてた。
母さんがいなくなって、アイツを守るのはオレだと思っていたのに。
そのオレ自身が、こんな体にしてしまった。
この身に換えても取り返そうと躍起になっていたら、
それは、更に愛する弟を苦しめていて。
――――――――どうしていいか、分からなくなってしまった――――――
「・・・・・・・丁度その日の夜、オレにしつこくコナかけてきてた男が、電話をかけてきて。
それをアンタからの電話で、任務だと咄嗟に言い訳して―――トランクを引っつかんで、列車に飛び乗ったんだ。
後は知っての通り、アンタん家に転がり込んで。・・・・・結局迷惑かけたよな」
エドはそう言って自嘲的に笑った。
******
「そうか――――」
ロイはそう呟いて、未だ後ろ向きのままのエドを見つめた。
痛々しい、背中――――――
なまじ、肌が人よりきめ細かくて美しい為、その痛々しさは倍増だ。
白い肌に、紫色の大きな痕。
小さいながらも、赤い筋が見える・・・・・深い傷。
―――――不謹慎だが、それはどこかゾクリとするほど鮮烈な光景だ。
その背中に手を伸ばし、傷跡を辿るように滑らすと・・・小さな背中がピクリと跳ねる。
「た・・・・・い、さ?」
戸惑ったように名を呼び、こちらを振り向く彼。
一瞬自嘲的な笑みを浮かべたロイだったが、エドが振り返ると同時にその表情を消した。
「アルフォンス君の心情は分かるよ。こんな背中を見せられればね・・・・・」
「・・・・・こんなの、たいした事ないんだ。アイツに比べたら――――」
「その思考がよくない」
エドの科白を遮るように、ロイはキッパリと言った。
自分を見据える眼光からエドは視線を逸らし、また背中を向けてしまう。
その背中にシャツを戻してやり、肩に手をかけて体ごとこちらに向ける。
向いても尚、エドは視線を逸らしたままで。
「君が弟に対して責任を感じているのは分かる。
が、それ以上に、彼を愛しているからこそ取り戻そうとしているんだろう?」
「―――ああ。例えオレの責任でなくても、オレはアイツの体を取り戻そうとしたはずだ」
「だがね、愛しているのは・・・・・・君だけだろうか?」
「え・・・・・・?」
「弟も、君の事を深く愛している――――――。
考えてみたまえ。君がアルフォンス君の立場だったら?
彼が君のために日々、自分を省みない行動を取っていたら?
――――――――――――――――――――――――君は、苦しくはないかい?」
エドはロイの言葉に目を見開き―――そして再び目を伏せた。
「苦しい、な」
「彼も同じだよ。愛してるから傷ついて欲しくないというのは」
だから、元に戻ると言う悲願を諦めてでも、旅を止めようと決意して・・・・・言ったのだ。
「でも・・・・・・だからって、アイツの体を諦めるわけには――――」
「諦める必要はない。ただ、君の偏った思考を何とかすればいいだけだ」
「オレの、思考・・・・・」
「弟の為、ではなく『二人の体を取り戻す為』に旅をしなさい。
弟の幸せのために自分の全てを捧げるのではなく、二人で幸せになるために行動しなさい。
・・・・・・・そのためには可能性があるからといって、闇雲に危険な行為に走るのではなく、
きちんと食事をし・ちゃんと睡眠をとり・万全な体調で見極めて――――君自身が元気に前に進む事。
そして、保護するだけではなく・・・・・もっと弟を頼ったらいいんじゃないかな?」
大抵の人間は、与えられるだけでは満たされない、与えられるだけでは苦しくなる。
―――――それが愛する者からなら、尚更だろう?
「焦る気持ちはわからないでもないが、その為に君が命を落としたら、
―――――――――――――――今度こそ、君自身が弟を確実に不幸に陥れる事になる」
「・・・・・・・確かに、な」
「急がば回れというだろう?がむしゃらに進むより、休憩を入れて体調を整えて進む方が効率がいいと思うぞ?」
私を見なさい。いつも緩急織り交ぜて、息を抜きつつ行動している。
お陰で、29歳にして大佐、だ。
そう言ってウインクしてみせるロイに、エドはやっと笑顔を見せた。
「アンタの場合、息抜き過ぎだっつーの」
「抜きすぎたら注意してくれる副官がいるから、いいんだ」
「中尉に頼りすぎだよ・・・・・中尉、苦労してんだろうなぁ?」
「頼る所は頼る、それで万事うまくいってるんだから、いいだろう?
――――それに、彼女も同じ目標に向かっている同志だ。」
目指すものに向かって、支えあいながら一緒に進むのはあたりまえだろう?
ニヤリと笑うロイを、エドはじっと見つめて
「そう、だな・・・・・一緒に進めば、いいのか。そうしたらアルも『諦める』なんて、もう言わないのかな?」
「ああ」
頷くロイをもう一度見つめて―――――エドはふわりと笑った。
ロイはその笑顔にしばし見とれる。
『この笑顔ならば―――――――』
天使にしか見えない。と、そう思った。
そして、また二人で横になって。
エドは当然のようにロイの腕の中に身を滑り込ませて、彼の胸に顔を埋める。
くぐもった声で言った科白は『サンキュ・・・・・』だっただろうか?
いつもこうなら可愛いものを・・・・・と苦笑して目を閉じると、今度ははっきりとした声が届く。
「明日――――――アルのところに帰るよ」
それだけ言うと、エドは瞳を閉じて―――――うつらうつらし始める。
瞳を閉じたエドの顔を見つめて、思う。
こうして眠るのも、今夜で終わりか――――――と。
・・・ロイは、ふと感じた喪失感のようなものに気づいて、一人苦笑いを漏らす。
『やはり、私は君に振り回されてばかりだな・・・・・』
心の中でだけ呟き、寝息を立て始めた小さな体を抱く腕に、ロイは少しだけ力を込めたのだった。