翌日、資料を返しに来たエドは、再び差し出された物に、驚きの声を上げた。
「大佐、これって・・・・・!!」
エドは、手渡された文献のタイトルを見て、息を呑む。
・・・・・それは、前回ここを訪れた時に、ふと『読みたい』と漏らしてしまった本のタイトル。
どうしても読みたくてあっちこっち探したのに、とうとう手に入らなかった本。
散々探し回って探し疲れた辺りにここに寄ったので、そのことをブツブツとロイに愚痴った覚えがあった。
それを今、差し出されたのだ。
「読みたかったのだろう?」
ロイは書類を捲る手を休めず、視線も机に落としたままでそう言った。
それを唖然と眺めて・・・・・・・エドは、続けた。
「いいの?」
「ああ。但し、借物だからな・・・大切に扱え」
「うん、それはもちろん!!だけど・・・どうやって?」
「丁度、知り合いが持っていたんだよ」
「もしかして・・・・・・アドレー家?」
それは、この本を持っていると聞いて訪ねて行ったが、門前払いを喰わされた東部の旧家。
「さて?」
「・・・・・・は?なんだよ、それ」
「出所は気にしなくてもいいだろう?”読める”ことにはかわりないんだから」
そう言うと、ロイはデスクの上の受話器を取った。
別室に中尉を呼ぶと、彼女は程なく現われる。
「お呼びでしょうか」
「これを確認してくれ」
差し出された書類を受け取り、リザはパラパラと捲りながら視線を動かす。
「結構です。全て揃っています」
「では、私はこれで失礼するよ」
「はい、お疲れ様でした」
「えっ、大佐・・・あがり?」
立ち上がってコートを手に取ったロイに、慌てたようにエドが聞く。
確かに定時ではあるが、この男が定時で帰った所など、見たことがなかった。
「少し予定があってね。ああ、この本は三日後に返してくれたまえ」
そう言うと、ロイは執務室を出ていった。
それを見送りながら、エドは顔を顰めた。
確かに出所はどうでもいい事かもしれないが、隠さなければいけない事でもないだろう?
あんなに苦労しても手に入れられなかったものが、大佐なら簡単に手に入るというのもなんだか面白くないし、
第一、はぐらかされるように会話を切られてスッキリしない。
『中尉なら、何か知ってるかな?』
そんな期待を込めて、エドはリザの方に振り返った。
「ねぇ、中尉。―――――予定って、なんだか知ってる?」
「パーティに呼ばれているらしいわよ?」
「パーティ?・・・ハッ!アイツ、好きそうだよな?どうせ女に囲まれて鼻の下伸ばしてんだろ?」
ケッ、と言い捨てると、リザは苦笑しつつ続けた。
「それが、今回は違うらしいのよ――――東部のアドレー家って知ってるかしら?」
「!?」
「そこのお嬢さんからのお誘いらしいんだけど・・・・・変なのよね」
頬に指を当てて首を傾げるリザに、エドは少し枯れた声で聞いた。
「変・・・って?」
「アドレーのお嬢さんって、以前から大佐に熱をあげていたんだけど・・・・・
大佐自身は『気位ばかり高くて好きじゃない』っておっしゃってたのよ」
だから今まで誘われても適当に誤魔化して断ってばかりいたのよ?
それが突然今回は受けられて。
よほど暇だったとかなら少しは分るけど、大佐、今お忙しいのよ?
それなのに休憩も取らずに、とりあえず急ぎのものだけ無理矢理終らせてまで出かけるなんて。
確かに女性好きでいらっしゃるし、サボリ癖もあるんだけど、
―――――――本当に大事な仕事の時は、ちゃんとなさる方なのよ?
「どうもおかしいわ・・・・・・・エド君!?」
呆然としているエドに気がついて、リザは慌てたように声をかける。
「どうしたの?体調でも悪いの?」
「――――――――――どう、して」
「え?」
エドの両肩に手をかけて顔を覗き込み、聞き返すリザ。
そのまま黙り込んだエドだったが、しばらくして漸く首を横に振った。
「なんでもない。・・・・・・中尉、オレここの資料使いたいんだ。資料室のカギ、いいかな?」
「・・・・・・ええ。それはかまわないけれど。でも、本当に大丈夫?」
「うん、平気・・・昼飯食いそこねたままだったから、少しぼーっとしちゃったのかも」
「あら、それはいけないわ!―――後で、差し入れに行くわね?」
笑顔を作って誤魔化すと、彼女は苦笑しながらカギを渡して寄越した。
「サンキュ・・・じゃ、借りてくから」
彼女に礼を言い、エドは足早に執務室から出て行った。
******
廊下を早足で進み――――――
何故か上手くカギが開けられなくてイライラしながらも、何とか開けて。
資料室に入ってドアを後ろ手で閉めると、そのまま力が抜けたようにドアに背を預けてもたれかかった。
「どう、して・・・・・・」
さっき、リザの前でも思わず漏らしてしまった呟きが、もう一度口をついて出た。
偶然・・・か?
それにしては、タイミングが合い過ぎる。
でも・・・でも、アイツがそこまでしてオレに文献をくれる理由なんて、無いはずだ。
オレにとってアイツはいけ好かない上司で、アイツにとってオレは少々生意気な手駒。
――――――そんな事をしてもらうくらい良好な関係でもない。
それこそ、『好意』と称して与えられる資料や文献だって、
『代価』として返す言葉がなかなか言えないオレの態度が面白くて―――だった筈だ。
そこまで考えて・・・・・今更のように思い当たった事実に、愕然とした。
『いくらからかうのが楽しいからって・・・・・普通、そんなものを与えるか?』
アイツから与えられるのは、貴重な資料や、希少な文献――――――飴玉をやるのとは、訳が違う。
苦労して手に入れたものを、からかった代価として、ポンと差し出す。
―――――――――――そんなこと、普通ありえるか?
いつも、からかわれて悔しい思いをしていたから、『等価』だと自分の中では思い込んでいたけれど。
冷静になって考えれば、あの約束させられた言葉に・・・与えられてきたものと同じ価値などある訳がない。
エドは顔を歪め、近くにあった椅子まで進み、それにドサリと腰を下ろして。
カギをテーブルの上に放り投げようとして―――――――手を止めた。
・・・・・第二資料室のカギ。
第一と違い、重要なものを収めてあるこの部屋のカギ。
本来なら、いちいち大佐の許可を貰わなくては入室できないその部屋のカギを、自分は簡単に渡してもらえる。
それは、大佐が『自分が休みの時にでも、鋼のには渡していい』と許可しているからだと、以前少尉に聞いた。
その時は、『ラッキー!大佐のわりには気が効くじゃねーか?』くらいにしか思っていなかったけれど―――――
エドは手に持っていたカギをギュッと握り締めた。
いつもからかって、怒らせて。
時には、冷たい・・・酷い言葉を投げつけて寄越すくせに。
そのくせこんな風に―――――オレ自身が気づかぬ間に、素知らぬ振りで手を貸してくれる。
「・・・・・訳、わかんね」
エドは、唇を噛んだまま俯いて。
そして――――突然ハッとしたように顔を上げた。
「言うの、忘れてた・・・・・」
今日は、『代価』さえ払っていなかったのに、気がついた。