イルカはカカシの顔をじっと見つめて、顔を歪めた。
「・・・やっぱり、暗示・・・解けてないんですね?」
嗄れた声。
額に浮かぶ汗。
・・・正気を失いかけた、瞳。
全てを悟ったイルカが、そう呟く。
「暗示を解く薬が今無いのは火影様から聞いて知っていました。でも、あなたが・・・黒髪の女性のもとを渡り歩いているというのも聞いていたので、大丈夫だろうと・・・そう思っていたんです」
なのに、何故そんな状態なんですか!?
責めるようにそう叫ぶ。
・・・だが、次の瞬間、掻き抱かれていた。
きつく抱きしめられて、苦しくて口を開けたら唇を塞がれ、舌を捕らえられる。
自分の状態を教えるように擦り付けられた腰に、思わず震えた。
身を硬くするイルカの耳元に、一時的に唇を解放したカカシが呟く。
「アナタじゃなきゃ駄目なんです・・・・・イルカ先生」
嗄れた・・・懇願するようなカカシの呟きに、イルカは息を呑み。
そして、瞳を揺らして彼を見つめた後、目を閉じた――――
★カカ誕2009★ 『魅惑の黒髪』・・・9 
闇の中―――
カカシは、隣に横たわる体を見つめる。
力なく投げ出された手足。
シーツの上に広がる黒髪。
そして、暗くてよくは見えないが・・・その顔には幾筋もの涙の痕、体にはちりばめられた赤い痕が無数にあるだろう。
―――もしや、痕だけでなく、傷さえあるかもしれない。
それを想像して、顔を歪め・・・クシャリと銀髪をかき混ぜた。
我慢できずに、またイルカを抱いてしまった。
彼の瞳に自分の姿が映っているのを見た時、かろうじて繋ぎとめていた理性の糸が切れた。
彼を抱きしめ、唇を奪い、彼に懇願したところまではしっかりと覚えているものの、後は記憶が酷く曖昧だ。
もちろん自分が彼を抱いた事をすっかり忘れてしまっている・・・などと言う事はないが。
彼をどんな風に扱ってしまったかという点においては、曖昧だった。
とにかく彼を抱きしめた後は、彼で自分を満たす事しか考えられなくなって。
思考はすべて『欲しい』という事だけで埋め尽くされてしまった。
我に返った時には、すでにイルカはぐったりと横たわったまま、意識も落ちていて。
カカシは、己のしたことを悟って、叫び出したくなった。
今は静かに眠る彼を起こすわけにはいかなくてかろうじて抑えたが、胸には重苦しい罪悪感が広がる。
「ごめんね・・・イルカ先生」
また傷つけてしまった。
たぶん体だけじゃなくて、心までも。
あの時、俺の身を案じて彼は再びこちらを見てくれた。
だが、その結果が、コレだ。
―――彼は、もう二度と俺を見ようとはしないだろう。
「それでも・・・その身だけは、預けてくれるんだろーね」
彼はもう俺を視界に入れたくないと思うだろうが。
それでも、俺が正気を保つ為に自分の身が必要だと知れば、これからも薬が出来るまではその身を俺に預けるだろう。
俺が、友達だったからではなく・・・彼は、そういう人だ。
困ってすがり付いてくる者を、無碍に出来ない人なのだ。
『イルカ先生・・・・・』
彼が、欲しい。
抱いたばかりで、暗示は治まっている筈。
なのに、欲しい。
黒髪だけではなく、その黒い瞳も、体も。
・・・・・でも、一番欲しいのは。
『アナタの心が欲しい・・・・・・』
暗示だけなら、黒髪の女でもいいはずだ。
それなのにこんな風に彼だけを求めるのは、自分の心が彼を求めているからだと思う。
『きっと、「友人」などと自分を誤魔化していた時から、ずっと・・・』
ずっと、あなたが好きだったんだ。
カカシが切なげにイルカを見つめた時、「ん・・・」と言う小さな吐息と共に、イルカが身じろいだ。
ゆっくりと目が開き、黒い瞳がぼんやりと辺りを見る。
やがて、ハッとしたように目を見開き、起き上がろうとしたイルカだったが。
「・・・・・つっ」
だが、すぐに呻いて動きを止めて、またベッドに沈み込んだ。
「イルカ先生!?大丈夫ですか?」
「カカシさん・・・?ここは・・・?」
「ここはアナタの家ですよ」
「ああ・・・そう、でしたね・・・・・」
辺りを見回して、イルカは嗄れた声でそう呟いた。
そして、そのまま黙り込んでしまった。
なんと声をかけてよいか、迷っていると・・・小さな呟きが聞こえてきた。
「・・・して・・・・・・・ですか?」
「え?」
途切れ途切れの小さな声が聞き取れなくて聞き返すと、
こちらは向いてくれなかったが、さっきよりはっきりした声が返ってきた。
「・・・俺でなきゃダメだと、おっしゃってましたね。どうしてですか?女性のところにも行ってみたんでしょう・・・ダメだったんですか?」
「ええ・・・遊郭も、専任も、普通の人も・・・みんな、駄目で。切羽詰って男のところも行ってみましたが、だめでした」
「そうですか・・・それで、俺のところに。今は・・・どうですか?」
「落ち着いています」
やはり、鎮めることが出来るのは、アナタだけのようです。
そう言うと、イルカが小さく肩を揺らすのが見えた。
でも、動揺を見せたのはそれきりで、静かな声が返ってくる。
「そうですか・・・もしや、中途半端に掛かっていた術が、俺を抱いた時に補完されたのか・・・?」
本来なら、相手に自分の顔を刻み付ける事で完結する術。
それが途中でかわされ、黒髪だけを刻んでしまった。
その中途半端な状態だった術が、最初に抱いた人物の顔を取り込んで完成してしまったのか?と、
イルカはそう思ったようだった。
『違う・・・』
いや、そんな要素もあるかもしれないけれど・・・
少なくても、この胸の痛みは術の所為じゃない。
アナタを抱いて満足した体は、術にも影響されているだろうけれど。
抱いた後、アナタに嫌われたかと恐怖すら感じるこの気持ちは、術の所為な訳が無い。
『アナタが本当に好きだから・・・だから、こんなに怖いのよ・・・』
この気持ちを打ち明けたい。だけど。
『このタイミングで言っても、きっと信じてもらえなーいよね』
術の所為だとか、薬で混乱しているのだとか・・・そんな風に受け取られて終わりだろう。
愛を乞うなら、術の暗示が解かれてからでないと、きっと信じてもらえない。
カカシが切なく溜息を吐くと、その溜息を聞いたイルカの肩が、ピクリと揺れた。
「イルカ先生・・・?」
訝しげに名を呼ぶと、少し沈んだ声が返ってくる。
「・・・カカシさん。さっきずいぶん辛そうでしたけど、いつから症状がでてたんですか?」
「え?」
「いつからなんです?正直に答えてください!」
「あの・・・・・・里に帰った次の日からです」
突然の質問、しかも途中から口調が強くなっている。
カカシはそれに戸惑いながらも、おずおずと答えるが・・・その答えを聞いたイルカの目が、つりあがるのが見えた。
「なんで・・・」
「え?」
「なんで、俺のとこに来なかったんです!」
「!?」
その言葉に、カカシは目を見張る。
カカシが見つめる中、イルカはこちらから目を反らしたまま、吐き捨てるようにいった。
「そりゃ、こんなもっさい男を二度も抱かなきゃならんのが嫌だってのはわかります!俺だって、そんな立場だったら勘弁してくれと天を仰ぎたくなるでしょう。だけど・・・体は俺の事欲しがってんだろ?抱かなきゃ、狂うんだろ?なら、そのぐらい我慢しろよ!!」
一気に言い放って、イルカは顔をあげた。
黒い瞳がカカシを見つめて・・・揺れる。
「もし・・・あんたが狂っちまったら、俺はどうすればいいんです・・・・・」
一度抱いて治まったんだから、俺のところに来れば治まるって分かっているはずだ。
あんたが綺麗な女の人が好きなのは知ってますけど、えり好みなんかしてる場合じゃないでしょう?
そう言って、イルカは唇を噛む。
「俺なんかをそんな対象に見れないなんて、知ってます。・・・でも、あんたを失ったら、俺は・・・」
泣きそうに顔を歪めるイルカを、カカシは愕然と見つめた。
彼は、俺を嫌って瞳を逸らしていたんじゃ無かったのか・・・?
呆然としたまま、カカシは訊ねた。
「イルカ先生・・・それって、どういう意味?」
「え?」
カカシは、ベッドに縫いとめるようにイルカの両肩を抑えると、彼の瞳を見つめた。
「今の・・・友達として言葉?それとも・・・」
詰め寄ると、イルカの瞳が見開かれるのが見えた。
そして、焦ったようにうろうろと視線が彷徨い、逸らされる。
瞳を逃がさぬように、カカシはイルカに顔を寄せ、その瞳を覗き込んだ。
「イルカ先生、俺の目を見て答えて・・・最初に抱いた後、アナタが俺を見てくれなくなったのは、俺を嫌悪してのことじゃなかったの?」
イルカの瞳を捕らえてそう聞いたカカシだったが―――
その視線はイルカの答えを聞く前に外され、窓に向けられた。
「・・・何の用?」
不機嫌な声を窓に向かってぶつけると、カカシとは反対に明るい声が返ってきた。
「やーっぱ、ここでしたか、先輩!」
「梟・・・なにか用?」
「お取り込み中すみませんが、火影様がお呼びなんで、お迎えに」
「綱手様が・・・?」
「どうやら、薬が出来たみたいですよ?」
「!」
カカシが肩を揺らすのと同時に、イルカが息を飲むのが聞こえた―――