気を失っていたのは、一瞬らしい――――――
再び浮上した意識と共に瞳をゆっくり開けると、
目の前にホッと安堵の息を吐く上忍の顔が見えた。
・ この腕に花を ・ <8
>
「あれ?俺・・・・・?」
「――――良かった、気がつきましたね?」
「え?あ!!」
覗きこんできた秀麗な顔に、イルカはやっと事態を思い出した。
上忍に昨夜の事を聞いて、意識を飛ばしてしまった。
忍たるもの、これしきのことで!!と、少し情けなくなるが・・・
この所ショックなこと続きだったので、精神的に少し脆くなっているのかもしれないなと思う。
なにしろ『女として生きていく』と腹をくくって数日たったばかり。
それなのに、早々男に食われてしまうとは思わなかった。
『俺、アホだ・・・』
”女”が自分を口説いている男の誘いに乗って、意識がなくなるくらいでろでろに酔っぱらう―――
知り合いの女がそんなことをしようとしていたら、自分は彼女に注意を促すことだろう。
それは『その男に”食べてください”と言っているようなものだ!』と。
自分も元は男・・・男が狼なのは重々承知の上。―――だけど。
『だけど、自分が”あかずきん”だなんて思わなかったもんなぁ(涙)』
決意はしたが、まだまだ新米の『女』。自覚はない。
それゆえこんな事態に陥ったのだ。
自分の不覚さに心の中で涙していると、隣からおずおずとした声が聞こえてきた。
「すみません、イルカ先生。・・・・・大丈夫?」
「はたけ上忍・・・」
「本当にごめんなさい」
謝罪と共にふかぶかと頭を下げられて、ぎょっとする。
「そんなにショック受けるなんて思わなくて・・・・すみません」
「えっと・・・・・」
なんといったらいいのか。
例えば手を出されたのが他の誰かなら『意識の無い者に手を出すなど、最低です!!』とカカシを断罪し、彼女を慰めるところだけれど・・・手を出されたのが自分の時は、どうすればいいのか。
『いや、自分の時だって怒っていいんだよな?・・・多分』
俺なんか抱いて果して楽しかったかどうかは疑問だが、ここはびしっと怒っていい所だ。
『上忍だからって、なんでもしていい訳じゃねぇぞ!?』
にわかに沸きあがった怒り(というか、無理やり沸きあがらせた怒り/笑)を胸に、カカシを見据えてイルカは口を開きかけるが・・・・
その口から言葉が出る前に、バツが悪そうに視線を逸らしたカカシがボソリと呟いた。
「あの―――夕べ、俺達何もありませんでしたから」
「いい訳は結構です。それより・・・・・って、ええっ!?」
ポカンと口を開けたまま、カカシを見つめる。
何もって・・・んじゃ、俺ヤラれちゃったわけじゃないんだ?
でも、それじゃ何故ハダカ!?
「あの、それじゃあ・・・服は?」
「昨日、アナタ飲み過ぎてしまって・・・・・吐いちゃったんですよ」
「ええっ!?」
「それで汚れた上だけ脱がせて・・・服はクリーニングしてくれるように女将に頼みました」
起きそうもなかったんで、そのまま離れに泊まっちゃったんですけど・・・
あ!下は汚れてなかったから脱がせてないので、安心してください。
―――言われて、恐る恐る布団の中を覗きこむと、脚半などは外されていたが、ちゃんとズボンもパンツも穿いていた。
「勝手にしてすみません・・・でも、アナタ起きないし、忍の体を一般人に触れさせるのもマズイと思ったんで、俺が脱がせました。その・・・忍服だけで下着には手を掛けるつもり無かったんですが・・・・・・アナタ、下着はつけてなくて――――俺もちょっとびっくりしたっていうか」
ポツリポツリと話すカカシの言葉に、イルカはかあっっと頬を赤らめた。
確かに女になったし、覚悟もできたが、まだ女物の下着は買っていなかった。
胸が揺れて邪魔なので何とかしなくてはとは思っていたのだが、正直まだブラジャーを買う勇気もつける勇気もなくて、いつものように忍服を素肌の上に一枚着たきりだったのだ。
ベストを着ていた時は気がつかなかったろうから、服をめくったカカシはさぞや驚いたことだろう。
「そ・・・・・それは、なんというか―――ご迷惑を」
いたたまれない気持ちになりなって、先程より更に顔を赤くしながらなんとかそう謝った。
食われちゃったのかと憤ったが、真相は人の金でバカ高い酒を飲みまくった挙句に―――――吐いたのか。
『もったいねぇ・・・・・』
しかも、上忍に後始末もさせてしまったとは・・・・・怒鳴る前にわかってよかったー(汗)
心の中で冷や汗をかいていると、カカシが慌てたように手を横に振るのが見えた。
「いえ!迷惑って言うより役得っていうか!!・・・俺の方こそすみません」
意味深な発言をしてしまったことを詫びるカカシ。
その中の”役得”と言う科白に、イルカはまたかあっっと顔を赤らめる。
恥ずかしさも手伝って、俯いて少々拗ねた口調で返した。
「そうですよ・・・あなたがあんな風にからかうから、俺・・・」
「からかった訳じゃありませんよ」
「んじゃ、なんだってあんな!」
「アナタが昨夜のこと勘違いしてくれるなら、その方がいいと思って」
「は?」
「アナタ、情が深そうだし・・・関係があったと勘違いすれば、俺の事無下には出来ないでしょ?」
「はあっ!?」
何を言われているのか理解できず聞き返そうと顔を上げると、目の前にブルーグレーの瞳。
・・・いつのまにか間近に迫ったカカシが自分を見つめていた。
焦って身を離そうと体を後ろに引くが、伸びてきた腕がイルカの体を腕の中に閉じこめる。
「は、はたけ上忍っ!」
「カカシって呼んでっていったでしょ?」
「・・・じゃ、じゃあ・・・カカシさんっ!ふざけないでくださいっ!!」
「ふざけてなんかいません」
腕の檻の中で焦るイルカとは対称に、カカシの声は落ちついていた。
じっとイルカを見つめて、そして――――
「アナタが好きです―――」
真摯な声色に、思わず息を呑む。
「でも・・・・・・アナタ、断るつもりでここにきたでしょ?」
「あ・・・」
バレてたのか?
思わず言葉に詰まるイルカに、カカシは自嘲的な笑みをもらした。
「本当は昨日から気がついていたんです。昨日もアナタがすぐに断ろうとしているのがわかったから、ズルイとわかってて返事を先延ばしにして、ここに呼んだんです」
ここで話をしながら、俺の事を少しわかってもらって・・・もう一度口説こうと思った。
だが、アナタはここについた途端断りの言葉を言おうとしているのが、分かって――――
「だから酔わせました・・・体だけでも最初に手に入れてしまおうと思った」
「なっ!?」
本当に狙われていたと知って、イルカは絶句する。
「アナタが具合を悪くしてしまったから、流石に止めましたが・・・どうしてもアナタが欲しかったんです。今逃したら他の男に取られるかもしれないし」
「だ、誰が取るっていうんです・・・?俺、今までモテたことなんてありませんよっ!」
「・・・・・その自覚の無さがますます不安だったんですよ」
苦虫を噛み潰したように渋い顔をして、カカシは唸る様に言った。
「布団に運ぼうと服を脱がせて、驚きました。アナタ下着を着けてなくて・・・その気で来てくれたのかと、一瞬喜んだんですけど」
「ちっ、違います!違いますッ!!」
単に女性物の下着を持ってないだけなんです〜!!!
そう心の中で叫びつつ、ぶんぶんと千切れんばかりに首を横に振ったら、ぎゅう・・・っと、抱きしめられた。
「わかってます・・・だから、アナタがさっき勘違いしてると知ったとき、そのまま誤解させてしまおうと思いました」
「・・・・・・」
「でも、アナタは気を失ってしまって・・・」
そんなに嫌なのかと、ショックでした―――――
落ちこんだ声でそう言うカカシを、イルカオロオロと見上げた。
確かに男に食われたと思いこんでショックを受けてしまったのだが、別にカカシ自身に嫌悪を抱いて・・・と言う訳ではない。
「反省しました。もう力ずくでどうこうしたりしないと誓います!約束しますから・・・俺と付き合ってくれませんか?」
「カ、カカシさ・・・・・」
「アナタの心が俺に向いてくれるまで、触れるのは待ちますから・・・」
――――だから、断らないで。
カカシは切ない声で、そう囁く。
しがみ付くように人を抱きこんで懇願するカカシに、イルカは困惑しながら問いかけた。
「な、なんで俺なんかに、そんな・・・?あなたなら、よりどりみどりでしょうに?」
「他の人なんて関係無いでしょう?俺は、アナタが欲しいんです」
「ほ、欲しいって・・・・そんな、猫の子じゃないんですから、ホイホイとあげる訳にはっ!」
「こんな気持ち、初めてなんです」
真剣な表情のカカシに、イルカは追い詰められて冷や汗を流す。
『ど、どうしよう・・・・・この人、マジだ』
逃げ場のなくなったのを感じ、またクラクラと眩暈がしてきた。
だが、ここで気を失ったら今度こそ本当にいただかれてしまうかもしれない!
なんとか気力で意識を保ちつつ、イルカはぐるぐると考える。
―――――その時、思い出した。
「か、カカシさんっ!!俺、実は男なんです・・・っ!!」
イルカはそう叫んだ。
『そうだった、これを言えば良かったんだよ!』
今まで言いそびれていたが、今こそこれを言うべき時だった!!
『さすがにこれでこの人も・・・・・』
これでこの話も終りだろうと思いつつ、カカシの顔を見上げると――――
「・・・そんなに、俺が嫌いですか?」
「へっ!?」
「アナタが変化しているかどうかくらい、俺はわかりますよ?」
そんな嘘までついて断りたいですか?
―――悲しそうにそう言うカカシに、イルカはどっと冷や汗をかく。
「確かに俺も悪かったですけど・・・・・・酷いです」
いかにも『傷つきました』という風情で肩を落とすカカシに、イルカはおろおろと慌てた。
「あ、あのっ!そうじゃなくてですね・・あなたが嫌いとかそういうわけじゃなくてっ」
「本当ですか!?なら、付き合ってくれるんですねっ」
「あ、いや・・・それは」
「・・・・・・・・・・・・やっぱり、俺なんかあなたにふさわしくないですよね」
俺の手は血に汚れているから・・・あなたが嫌悪する気持ちはわかります。
目を伏せるカカシに、イルカは目を見開いた。
確かにこの人は他の人より沢山血を見ているだろうが。
身を削って里を守り支えるこの人を、尊敬こそすれ嫌悪する気持ちなど微塵も無い!
「バカな事言わないで下さい!!あなたは汚れてなんていませんよ!?嫌悪などする訳がない!!」
力を込めてそう言うと・・・目の前の瞳が、優しく笑った。
「ありがとうございます・・・」
「え、あ・・・いえ」
「イルカ先生、大好きです」
「!!」
愛しげに抱きしめられて、イルカはさぁ・・・っと、顔色を青くした。
自分を卑下する彼を叱咤激励しただけだったのに、どうにもマズイ方向に話が向いている。
「・・・・・・・俺、大事にしますから・・・ね?」
愛しさと色気の混じった視線を向けられて、イルカはゴクリと唾を呑み込んだ。
これを言えば確実、相手の方から断られるだろう思っていたのに、信じてさえもらえないなんて――――
『俺、間違えた・・・?』
どうにも、言うタイミングを間違えたらしかった―――――