呆然と彼を見上げていると―――
「それは、大変だねぇ〜」
本当に大変だと思っているかどうか疑わしいような、のんびりした声が落ちてきた。
その声を聞いて、利吉はフリーズ状態から抜け出した。
『・・・この際、贅沢言ってる場合じゃない』
背に腹は変えられない。
このチャンスを逃がしたら、もうここでのたれ死ぬしかないのだから。
利吉は意を決し、声を張り上げて訴えた。
「頼む。助けてくれないか!?」
「うん、わかった〜〜〜〜〜!」
利吉の言葉に笑顔で頷き、しゃがんで穴を覗きこんでいた秀作は立ちあがる。
そして、穴の中の利吉に向って、もう一度にっこりと笑った。
「じゃあ、今から行くからね〜?」
『は?』
秀作の言葉に、利吉は目を見開いた。
―――――行くって・・・・・・・まさか!?
「せ〜の〜〜〜〜!」
掛け声をかけて、ジャンプする為に膝を曲げた秀作に、利吉は息を飲んで。
「ま・・・まて、まて、まて〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」
穴の中に、利吉の悲痛な叫びがこだました―――――
・ その日、見上げた君 ・ ――4――
必死の形相で叫んだ利吉の願いを、神様は聞き届けてくださったらしい。
「え?」
秀作は、ギリギリのところで、穴に飛びこむのを止め―――辛うじて、地上に留まっていた。
ホッとして一度息を吐いてから、ふつふつと沸きあがる怒りを抑えることなく、怒鳴った。
「君は馬鹿か!?穴に落ちた者を助けるのに、飛びこんでどうする!!」
「あ、そういえばそうだねぇ?君、頭良いなぁ!」
「・・・・・・・(はぁ・・・だからこいつは苦手なんだ)」
「んじゃ、どうしようねぇ?」
「・・・・・カギ縄は持ってないか?」
「あるよ」
その言葉に、利吉は更にがっくりと肩を落とした。
『あるなら、使えよ・・・・・』
カギ縄があるのに、何故この深い穴に飛びこんで助けようとしたのか、理解できない。
『やっぱり、こいつ・・・・・苦手だ』
未知の生物にでも遭遇したような気分になりながら、利吉はもう一度声を張り上げた。
「その縄を穴に垂らしてくれ。それを登るから」
「あっ、なるほど〜!待ってね!・・・・・・う〜んと、あった!!じゃ、入れるねー」
ごそごそと胸元を探しだした秀作だったが、何故か取り出したのは背中からだった。
『何故背中に!?・・・いや、考えるな!混乱するだけだ』
利吉は頭に沸いた疑問を、無理やりねじ伏せる。
こいつの行動にいちいち驚愕したり憤慨したりしていると、こっちの身がもたない。
・・・・・元来短気な利吉は、それはそれは理性を総動員して、何とか怒鳴りたくなるを抑えこんだ。
今は一応生死の瀬戸際。冷静さを欠けば、とりかえしのつかない事になるかもしれない。深呼吸をして、彼に「たのむ!」と告げた。
「いくよ〜!」
「・・・まてっ!縄の先を木の幹に縛り付けてから、垂らしてくれ」
こいつなら、今度は縄を全て投げ落とすとか、フツーにやりそうだ。
いかんせん、それは免れたとしても・・・登りだした俺の体重を支えられず、穴に自分ごと落ちるなど、すっごくありえそうだっ!!
―――――深呼吸の効果があったのか、若干冷静さを取り戻した利吉は、次の展開を(次のトラブルともいう)を予想しながら、指示を出す。
秀作が頷き、少し間があってから縄が降りてきた。その後彼がまたひょっこり顔を出す。
「結んだよー」
垂らされた縄を手にとって、力を込めて何度も引いてみる。
しっかりとした手応えがあり、緩む気配もない。これなら大丈夫そうだ。
利吉は、一度屈んで母が持たせた荷物の中から、手紙だけを抜き取り懐に入れ
そして、縄を両手でしっかりと掴むと、小さな足を穴の土壁に掛けた。
『くっ・・・キツイ』
いつもの自分なら、苦もなく登りきるような壁。
だが、幼児の体・・・しかも、穴の中に三日も閉じ込められて体力を消耗した後の体には、かなりキツイ作業だった。
だが、ここで手を離せば穴に逆戻りなばかりか、落ちた衝撃で怪我をしてしまう可能性が大きい。
利吉は歯を食いしばって登るが・・・あと、少しというところで、力尽きそうになった。
『だめ・・・・・だ』
もう握力がもたない――――そう思った時。
「もう少しだけ掴まってて!離しちゃダメだよ?」
その声に上を見上げると、急に強い力でぐいんと縄が引かれた。
そのままぐいぐいと引き上げられて。
『眩しい』
そう思った時には、利吉は穴の外にいた。
四つん這いの格好で荒い息を整えていると、目の前の地面が陰った。
顔を上げると―――そこには腰を屈めて上から自分を覗きこむ秀作の顔が見えた。
「大丈夫?」
柔らかく笑う彼の顔を、利吉はぼんやりと見上げた――――