しばし穴の中を見つめていた利吉だったが―――
不意に穴から数歩離れて、辺りをキョロキョロと見まわした。
秀作はそんな彼を見ながら、不思議そうに首を傾げた。
「どーしたの?」
「しっ!」
言われた通り黙っていると、利吉は小さな石を一つつまみあげ、目を瞑り・・・そして、おもむろに藪の中に投げつけた。
すると――――
ギッ・・・
聞こえたのは、動物の声。
利吉は唖然とする秀作の横を通りすぎると、声がした藪の中に入っていき、見えなくなった。
そして、程なく戻ってきた彼の腕には、野うさぎが一匹抱えられていた――――
・ その日、見上げた君 ・ ――6――
それをきょとんと眺めていた秀作だったが、ハッとした顔で掛け寄って来た。
「利蔵くん!!」
「え?」
「ごめんね、ボク気がつかなくて・・・・・お腹空いてたんだね!?」
「は?」
「言ってくれれば、ボクおむすび持ってたのに・・・」
利吉の腕の中の兎を見ながら、泣きそうに顔を歪める秀作に、慌てて否定した。
「違う!・・・別に食べようと思って捕った訳じゃない」
「え、違うの!?・・・食べもしないのに、殺したの・・・・・?」
「殺してない」
「え?」
秀作が兎を覗きこむと、さっきまでぐったりしていた兎の耳がぴくりと動き、目がパッチリと開いた。
そのまま、ジタバタと動き出す兎を、利吉は必死で抱えなおす。
「うわっ、暴れるな!!」
その様子を見て、秀作はホッとしたように息をつく。
「なんだぁ〜よかった!でも・・・このうさぎをどうするの?」
利吉に近づき兎を押えるのを手伝ってやりながら、秀作が聞いてくる。
兎と格闘しながら、利吉は顔も上げずに答えた。
「穴に落とす」
「は?」
「私が落ちていた穴に落とすんだ」
「ええっ〜〜〜〜!?」
途端に、秀作は利吉の腕から兎を奪い取った。
突然のことに唖然と己の腕の中をしばし見つめてしまった利吉だったが、すぐに我に返って秀作を睨んだ。
「返せ」
「動物をいじめちゃ、ダメ!!」
「確めたい事があるんだ、邪魔するな!!」
「あんな穴に落としたら怪我するかもしれないでしょ!?それに、落ちたら出られなくなっちゃうよ!・・・利蔵くんと同じに!」
利吉の手の届かない位置に兎を抱え上げて、叫ぶ秀作。
その涙目で睨みつけてくる顔を見て・・・取り返そうと必死だった利吉は、動きを止めた。
『こんなに必死になることもあるんだ・・・』
自分の知っている彼はおっとりとしていて、いつもニコニコと笑っていた。
考えられないようなドジをしても、またすぐに立ちなおって笑顔を見せる。
サインをしないで学園内に入った者には厳しく、しつこく追いまわすこともあるようだけど・・・
それ以外は、ゆったりのんびり自分のペースで動いている彼しか、利吉はみたことが無かった。
―――そんな彼が必死になって兎を守って叫ぶ姿に、利吉は驚いてしまう。
しばし秀作の顔をじっと見つめ・・・・・利吉はポツリと呟いた。
「・・・・・酷い事はしない。紐をつけて、ゆっくりと穴に降ろすから。しばらく観察したら、また紐で引き上げて逃がすし」
「・・・そうなの?」
「ああ」
「うん。それならいいよ」
安心したようで、また秀作はにこりと笑う。
そして、利吉の腕に、そっと兎を返した。
「優しくしてあげてね」
そう言って利吉の顔を覗きこんで、微笑む秀作。
・・・そのやら笑顔から何故だか目が離せなくて、ぼんやりと見つめてしまった。
『こういうのを、邪気の無い笑顔っていうのか・・・な』
利吉の言う事を微塵も疑うことなく信用している顔。
自分が子供の姿をしているせいかもしれないが・・・。
それでも、子供たち以外でこんな顔をする者を、利吉ははじめて見た気がした。
人の目をくらまし、欺き、疑心を持って相手と接しなければならない『忍』という生業の利吉には、それが何か落ちつかないような気分になって。
さりげなく視線を外して、穴の方向に体を向けた。
「・・・・・・じゃあ、穴へ」
秀作から受け取った兎を抱えて、足を踏み出した利吉だったが―――
すぐに、その歩みを止めた。
そして、すばやく周りに視線を走らせて、息を飲む。
「どうしたのー?」
そのまま動かなくなった利吉に、秀作は首を傾げて歩み寄る。
こちらを見下ろす秀作を、利吉は神妙な顔で見上げた。
「穴が、ない」
「ほへ?」
きょとんと瞬きをした秀作は、次にキョロキョロと周りを見まわした。
穴は、確かにこの辺りにあったはずなのに・・・見まわす地面には、深穴どころか水溜り痕のくぼみさえなかった。
秀作は不思議そうに、間延びした声を上げた。
「穴・・・・・・・・きえちゃたねぇ?」
二人はそのまま押し黙って、穴のあった辺りの地面を見つめた――――