・ 鬼と花 ・ ――十――

 



今日こそ、聞こうと思ってたのに。


利吉は、途切れていく意識の中で、そう呟く。
が・・・・・どうにもこうにも、眠くて仕方がない・・・・・。
抗いがたい心地よさに引きこまれて、利吉はとうとう瞳を閉じた。

薄れゆく意識の中で聞こえた歌は―――――――――子守唄。



******



「・・・・・・うまい」
「よかったぁ!いっぱい食べてくださいね」

今日の団子はいそべ。
のりの風味と香ばしい醤油味が口の中に広がって、とてもうまい。
利吉はあっという間に一串平らげると、秀子に手を差し出した。
おかわりをねだられ、彼女は嬉しそうにいそいそともう一串を取り出して、渡す。
それをまた利吉が黙々と食べていると・・・・・じっと見ていた秀子が聞いてきた。

「・・・・・・・利吉さん、もしかして―――すごく、お腹空いてるんですね?」
「ん?まぁ・・・・・ね」

確かに腹は空いている。

――――なにせ、ここの所この場所で秀子に会っている時以外は、利吉は半死半生のような状態に陥っているのだ。
何もする気にならず・・・・・・ただ、ぼんやりした意識の中でただよい、天井を見つめているだけの生活。
もちろん、食事もとれずにいるので・・・・・彼女の持ってくる団子が、このところ利吉の唯一の食事になっていた。


「ちょっと訳あって、このところまともに食事がとれなくてね・・・がっついて、すまないね」


利吉はそう言って苦笑した。
『・・・・・なんだか、食事も用意する事が出来ないくらいの甲斐性なしがタカリにきてるみたいだな。そう思われたら、ちょっと情けないかも・・・・・・』
そんな事を思いつつバツが悪そうに謝ると、秀子は慌てて首を横に振ってきた。

「え?そんな、いいんです!!食べて欲しくて持ってきてるんですから。・・・でも、やはり体の調子がお悪いんですね?」

お帰りになってから、あまり食事が進んでないんですね?
秀子はそういって心配そうに眉を寄せた。
――――どうやら、飯も食う事が出来ない貧乏人・・・とは、思われずに済んだようだ。
それに内心ホッとしつつ、利吉は頷く。

「そうなんだ・・・帰ると何も喉が通らなくて。あまり眠れないし・・・でも、ここに来た時だけ一時的に回復するようだね」
「ああ!ここ空気もおいしいし、見晴らし良くて陽射しも心地よいし、緑や花も綺麗だし・・・すがすがしい気分になりますもんね!」

そういって笑う彼女に、利吉は心の中で意義を唱えた。

違う。
確かにここは気の休まる良い場所だが・・・・・。
美味しい空気も、素晴らしい風景も、美しい緑も――――『鬼』を消し去る事は、出来なかった。
『鬼』を消す事が出来るのは唯一、君だけ。
君の側にいる時だけ、私は『人』に戻れるのだ―――――

そこまで考えて、利吉はかねてから頭の中にあった疑問を思い出した。


『この娘は、いったい何者なのだ?』


最初は、父の差し向けた者―――――人外に身を落とそうとする自分に、人肌の温もりを思い出させる役目を負った女かと、そう思った。
だが、この娘はまったくそんな気配を見せない。
焦れて此方から手を出そうとしたら、わざとか偶然か分からない仕草でかわされた。
しかも、『団子屋で働いている』というのもどうやら本当のようで・・・着物の袖などに、良く団子のタレがついていることがある。
素性を隠す言い訳にそこまでするとも思えないので、やはり娘は事実『団子屋の看板娘』なのだと思われた。


――――ならば、最初から『父の手の者』というのは、思い違いだったのか?


そう思っていた矢先・・・・・父と土井先生の会話を聞いてしまった。




忍術学園での自分は、一日中部屋に引きこもっている。

飯も食わず、他者から与えられなければ水さえ取る事もなく、ただ横になっているだけの自分。
しかも横になっても眠る訳でもなく・・・・・ただ茫洋と天井を見つめている息子に、父はさすがに焦りを感じているようだった。
何度も様子を見に来る気配を感じながらも・・・それを気遣って笑いかけることも出来ない自分・・・僅かばかり残った心の奥底の『人』の部分で頭を下げながらも、どうしようもできないでいた。


正直、申し訳ないと思うのはほんの僅かばかりで―――――後は、疎ましいとだけしか、感じなくなっていた。


そんな中、昨夜も部屋で天井を見ていると。
回診に来た保健医の新野が、反応の殆どない自分を診察した後、口内に水薬を流しこんできた。
忍であるから、含まされたそれがなんだかすぐわかった。

―――――――眠りを誘うクスリ、睡眠薬。

ゴクリと飲み下すと、しばらく此方をうかがう気配。
瞼を閉じて見せると、安堵の息を吐くのが聞こえ・・・新野は部屋を出ていった。

毎日投薬されるそれは――――実は、全く効いていない。
もともと毒や薬のたぐいに耐性がある上・・・鬼に取り付かれてからは、酒でも酔わないような状態だった。
酒を飲んでも薬を飲んでも、気分が高揚することも沈むこともなく、ましてや穏やかな眠りに誘われることなどない。
ただただ―――――心の中が、冷えている。そんな状態。


唯一感情があふれ出て高揚するのは、血の色を見たときだけだった。


だから、この薬も全く効いてはいないが・・・効かぬと分かるとまたいろいろとかまわれるのがわかっているから、眠ったフリをしたのに過ぎない。
新野が部屋を出た途端再び目をあけ、遠ざかるであろう気配を探っていると・・・その気配は何故か部屋の前から動かなかった。
代りに、新野の気配に他の二つの気配が近づく。

「新野先生」――――父の声。
「様子はどうです?」―――――土井先生の声。

二人は声を顰めて、ひそひそと新野に話しかけた。

「大丈夫。眠り薬が効いたようで―――今、眠りました」
「そうですか・・・・・」
「それはよかった」

あからさまに、ホッとした気配。
だが、それはまた心配の色を濃くした。

「しかし、どうしたものか・・・・・」
「ええ・・・なぜ、突然こんな状態になったのか」

父の呟きに、土井が頷く。

「ここに来た時は、内からあふれ出るものはあったけれど、表向きはいつもと変わらない様子でしたよね?食事だってとれていたし、子供に声をかける事すらあったのに――――」

土井の質問に、新野が困惑した様に答えた。

「それは私にもわかりかねますが・・・・・利吉君は自分の内面で何かと戦っているように感じます。・・・・・あんな風に動かなくなってしまったのは、『何か』に彼が抵抗している結果なように思われるのですが」
「ええ、私もそう思いますな。あやつは未だ戦っておる。もし負けたのなら、あんな風にはなるまい・・・・・その『何か』に屈服したなら、あからさまに牙をむき出すか、一時的に牙を隠し狡猾にここを出ていくか――――」


――――それか、死んでいるだろう。


父は、淡々とした声でそう言った。・・・意識して感情を押えているようだった。

「・・・・・・・・・私達にどうかしてやることはできないのですか?」
「――――心の闇を取り除くのは、難しい事です。やはり、自分で打ち勝たねば」
「それでも、こんな食事もとれない様では体力が心配ですよ」
「いえ・・・・・・それは大丈夫でしょう」
「え?」
「彼は、食べていますよ」

新野の言葉に、土井が驚いたように聞き返す。

「・・・・・新野先生の兵糧丸ですか?」
「いえ。彼は午後に毎日ふらりとどこかに行きますよね?その時何かを食べてくるようです」

帰ってきてまたあんな風になった後診察しましたが、胃が動いているのが分かりました。
彼はもともと体力があるし・・・一食でも食べていれば、死ぬ事はありませんよ。
新野はそう言った。

「・・・・・まさか・・・・・・・」

土井の声が動揺する。
闇にとりこまれたものが好むもの―――――血。
獣や鳥の類なら、いい。・・・よもや、人、などは・・・・・・・
土井の心の内を察して、新野が苦笑を漏らした。

「違いますよ。血臭はしませんし、そんな類の汚れはどこにも見当たりません」
「そうですな。――――それに、あやつはフラフラ出歩いとるが、学園の敷地内からは出ておらん」

出れば、分かるようにしておりますからな。――――学園内の人物が消えたと言うのも聞かんし。
頷く父に、新野は頷き返した。

「そうです。そのような類のものではなくて・・・なにか、甘い物ですね」
「甘い物・・・?果実とか?」
「そこまではわかりませんが、口内に甘い匂いが残っている時があります」

でも、果実と言うよりは、砂糖のような甘さの気がしますねぇ?
そう首を傾げる新野に、父と土井は顔を見合わせたようだった。

「・・・・・あの女が、食わせているのか?」
「え、以前おっしゃっていた?」
「ああ・・・・・・・わしが利吉の為に用意した、あの女だ」

父は唸る様に言った後、ブツブツと文句を言い出した。

「来ているなら来ているで、報告をよこせばいいものを。手違いがあったのかと気を揉んでおったじゃないか!・・・一見たおやかな娘に見えて、中身は気位の高い自信家だからの。『私に全てお任せ下さい、手出しはご無用です』とか言っておったが、依頼主に報告するくらいは義務だろうが!」
「・・・じゃあ、その方が利吉君に食事を用意しているんですね?」
「そうとしか、おもえん」

確かに人目につかぬように抜け道から入るようには言ったが、着いた時くらい挨拶来るべきじゃないか。―――そう、憤慨する父。
だが、新野がそれをなだめる様に声をかけた。

「ああ、前に聞いていた方ですね・・・心配しましたが、無事任務を果されているようなら良かったじゃないですか?なら、しばらく様子を見るべきですね」
「・・・え?でも、利吉君の様子を見ると・・・・・」
「確かに、今の状態は危ういですが・・・彼はこんなになっても、時間になるとその方に会いに行っているようじゃないですか?」

利吉君のこの反応が『内なる戦い』の結果だと仮定して―――こんなふうに彼が戦いだしたのは、午後に抜け出すようになってからです。
―――つまり、その方が彼に己の闇と戦わせる力を与えたということですよ。
新野の言葉に、土井は『なるほど』と頷いた。それに続いて、父も頷いた様だった。

「確かに、効果はあるようだな・・・・・昨日、帰ってきたばかりの利吉を見かけたが、まるで以前の奴だった」
「以前の?」
「ああ。闇に囚われる前の―――――――私のせがれに、だ」

全く以前の奴なのに驚いて、部屋に入る背中を追って部屋に入ったが・・・・・その時には、もう今の状態に戻ってしまっていた。
確かなことは言えぬが、あの女との逢瀬の後はもとに戻れているようだ。
それならば、このままいけば・・・・・あるいは、完全に闇を断ちきれるのかもしれん。
―――父の声は更につづく。

「とにかく、今もあやつは・・・・・・戦っておるのだ」
「そうです。今は注意深く気をつけながらも――――見守るべきですね」

心の闇は、ヘタに干渉すると余計奥底に沈めてしまうことにもなりかねない。
その方がうまくやっているようなら、それこそヘタな手出しは無用でしょう・・・・・・

新野の声を最後に、三人の気配は散っていった――――――




気配が完全に消え去った後も、利吉はやはり天井を見つめたままだった。
だが、無反応な瞳の中に・・・・・僅かばかり、揺らぎが見える。


―――――――『あの女』・・・・父は、そう言った。


・・・・・・やはり、彼女は父が差し向けた者だったのか・・・?
だから会っている時だけ、もとに戻れるのか?
――――利吉は、天井板の板の目を見つめる。・・・だが。


『・・・・・・・・どうでも、いいか』


――――父に直接問いただせば、答えが返って来るはず。
けれど・・・今の利吉にはそんな事を考える事さえ、億劫で。
また、思考を閉ざして、ただ天井を見つめた―――――――



******



それからはまた何を考えるでもなく過ごして。
それでも・・・・・・・何とか今日もいつもの時間に体を引きずって、ここに来た。
だから、すっかり忘れていたのだが・・・今こそ、この娘に真偽を問いただす絶好の機会なのではないか?
利吉はそう気がついて秀子に顔を向けた。

「秀子」
「はい?」
「君は・・・・・・」

そこまで言って、利吉は言いよどんだ。
なんと尋ねたらいいのか、迷う。
―――なにか・・・この娘に『父の命で伽に来た者なのか?』などと聞くのは憚られた。
でも、確か父上は『たおやかに見せて、中身は気位の高い自信家』とか言っていたな?
という事はこの仕草は演技だろうから、ハッキリ聞いてもいいか。
――――――――――でも。


『これ、本当に演技なのか??』


確かに可愛く華奢ではあるが、『たおやか』を演じている娘が土手を転がって来たりするだろうか?

「利吉さん?・・・・・どうしたんです?ぼんやりして・・・」
「あ・・・いや。その」
「やっぱり、お疲れなんですね?」

秀子は眉を寄せると、少し考えこむような仕草をして。
そして、おもむろに利吉の腕を引っ張った。

「し、秀子?」
「いいから、ここへ」

引かれるまま体を傾けると、頭に手を添えられ寝かせられた・・・・・頭の下ろされた先は、彼女の膝の上。

「こうすれば、少しでも体が休まるでしょう?ちょっとお行儀悪いですけど、今日はこのまま食べましょう」

そう言って秀子は微笑むと団子を箸でつまみ、膝の上から自分を見上げている利吉の、形の良い唇の前に差し出した。

「はい、あーん」
「・・・・・・・」

突飛な彼女の行動にしばらく唖然と見上げた後、利吉は素直に口をひらいた。



そのまま秀子の持ってきた団子を全て平らげて。
食べ終わったら、眠気が襲ってきて・・・利吉は大きなあくびをした。

「利吉さん、このまま少し眠ったらいいですよ?」

視線を向けると、秀子が微笑むのが見えた。
眠い。確かにとんでもなく眠くて・・・今にも目を閉じそうなのだが。

「でも・・・・君は仕事に戻らなくてはいけないだろう?」
「はい。それはそうなんですが・・・もさ助さんに利吉さんのことを話したら、少しゆっくり話をしてきていいよと言われたので」

昨日の様にはゆっくり出来ないんですが、もう少しだけならいいですよ?
彼女はそう言って、乱れた利吉の前髪を白い指で梳いた。


「そう・・・・・か」


繰り返されるその仕草が心地よくて、利吉の瞼が閉じていく。
膝の温もりも、気持ちがいい。
――――――抗いがたい心地よさに、利吉はうつらうつらと意識が薄くなっていく。

心地よい眠りの波に漂いながら
『結局、聞きそびれた・・・・・な』
そう思ったが――――父の時とは別の意味でどうでもよくなってしまった。

途切れ途切れの意識の中で、何かが聞こえてくる。



『・・・こもり、うた?』



声は違うけれど。
・・・偶然にも、それは幼い頃母が歌ってくれたものと、同じ歌だった――――






ヒミツの秀ちゃん。結局正体分からずじまい(苦笑)
だけどリッキーくんは、膝枕の気持ち良さにどうでもよくなった模様?(笑)


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