次の日―――利吉はやはりあの場所に来た。
よろよろとそこに辿りついた途端、利吉はその場に倒れふし・・・そして、意識を失った。
それからしばらくして、その場所に叫び声が響いた。
「利吉さん!?」
少し遅れてきた秀子は、倒れている利吉をみつけて駆け寄った。
慌てて抱き起こし、おろおろと利吉の名を呼ぶ秀子。
だが・・・抱き起こしてほどなく、利吉は自ら上体を起こした。
「利吉さん!?・・・・・・大丈夫なんですか?」
「ああ。もう大丈夫だ・・・・・・・驚かせたね?」
何事もなかったように、立ち上がってこちらに手を差し伸べる利吉。
あっけに取られながらもその手を取って、秀子も立ち上がった。
近くなった距離で視線が絡む。
そして――――――
『あ・・・・・優しい、顔』
間近で微笑んだ利吉は、ここで出会ってから初めて見る表情をしていた――――
******
少し場所を移動し、丁度良い木陰を見つけて腰を下ろす。
座った途端、秀子はいつもの様にいそいそと包を開いた。
「今日はくるみだったっけ?」
「はいそうです!・・・利吉さん、平気ですか?」
「ああ、くるみは好きだよ」
「よかったぁ!じゃあ、これ・・・・・・・」
秀子はくるみダレのついた団子を一串を手に取る。そして――――
「はい、利吉さん。あ〜ん!」
にっこりと笑って、白い手が団子の串を差し出す。
利吉は面食らったような顔をして、じっと団子を見つめ・・・・・
迷ったそぶりの後、口を開けようとした・・・のだが。
「あっ、すみません!こういうのお嫌なんですよね?」
ついくせで・・・すみません〜!
秀子はハッとしたように一度手を引っ込めて。
そして、受け取りやすいように串の端の方に持ちなおして、再び利吉の前に差し出した。
「はい、どうぞ利吉さん」
利吉は少し複雑な顔をした後、それを受け取った。
団子を一口食べ、ぽつりと呟く。
「ずいぶんと店は繁盛しているようだね。・・・今日は特に『サービス』を頼む人が多かったんじゃないのか?」
「えっ?すごい利吉さん!!なんでわかったんですかぁ!?」
「・・・・・・なんとなくね」
鬼の呪縛から逃れて、正気に戻った頭であたらめて娘の顔を見ると・・・・
いつも通り明るいのに、顔に僅かながら疲労の色が見えた。
約束の時間より大分遅れてきたようだったし、先日断ったばかりなのに迷わず『サービス』しそうになったところをみても、今日は一日中その手の客ばかりだったのではないだろうか?と思われた。
そう、当たりをつけて聞いてみたのだが、やはり間違いなかったようだ。
『・・・・・まぁこの娘の場合、単に忘れっぽいのもあるだろうが』
そんな事を考えつつ視線を向けると、秀子はため息と共に眉を下げていた。
「そうなんですよ〜、今日は休憩前までずっと『サービス』を頼まれてばかりだったんです。・・・さすがに少し疲れましたぁ」
秀子はそういうと、ふにゃ・・・と体を丸くした。
だが、それは一瞬の事で。
彼女は何かを思い出した様で、ぴょこんと飛び跳ねるようにこちらに体を向けた。
「あ、そういえば今日サービス中に大変な事があったんですよ!」
「・・・何?」
「一つ目の団子をお口まで運んであげて、次の・・・と思ったら、私の顔を見て急にお客さんが苦しみだしたんです!私、てっきり団子を喉に詰まらせたのかと思って、お水を持ってこようと思ったんですけど、私の手を取って『違う』っていうんですよ。で、じゃあどうしたんですか?と聞いたんですけど・・・・・」
眉を寄せながら真剣に話す秀子をチラリと見て、利吉がボソリと呟く。
「君を見つめていると、胸が苦しい」
「え?」
きょとんと見上げる娘を、利吉は横目で見た。
「・・・客は、そう言ったんだろう?」
「利吉さんって、本当にすごい!!なんでわかったんですか〜?」
「・・・・・・なんとなくね」
小さくため息をついてから、利吉は言った。
「で・・・どうやっておっぱらったんだ、その客?」
「おっぱらった・・・?いえ、そんな!!病気で苦しんでる人追っ払ったりなんか出来ませんよ〜!私、どうしたらいいか分からなくてオロオロしてたら、そのお客さんが『人工呼吸してくれたら治まりそうだ』って言うから・・・」
「――――したの?」
利吉はさすがに、眉を寄せた。
「はい。―――――店のご主人のもさ助さんが」
「もさ・・・・・?」
「あ、私が働いてる店のご主人『もさの助蔵』さんっていうんです。外見もさ〜っとしてガタイもいいんですけど、太い指なのに小さな団子を繊細に作り上げるんですよ♪とっても優しいし!・・・・・で、人工呼吸なら肺活量が多そうなもさ助の方が絶対良いと思ってお願いしたんです」
「・・・・・・」
「もさ助さんがしようとしたら、なぜかお客さんすぐに元気になって転がる様に帰っていきました」
人工呼吸する前だったのに、何で治ったんですかねぇ?
まぁ、治ったのはよかったんですけど、顔色は苦しがってる時よりとんでもなく悪くなってたのが気になるんですよねぇ、今ごろ大丈夫でしょうか?
首を傾げる秀子を見ながら、利吉はなにか腹の底がもやもやとするのを感じた。
何気に、声が尖る。
「少し気をつけた方がいいんじゃないか?」
「え?」
「いつもそんなにうまくかわせるとは限らないだろう?」
イライラとそう言い放つと、秀子はきょとんとして・・・それからポンと手を打った。
「そうですね!いつそんな風に緊急事態が起こるかわかりませんもんね!常備薬とか用意したほうがいいですかね?ああ、一番近いお医者様の場所とか確認しておいた方がいいかも・・・」
「そうじゃないっ!!」
思わず怒鳴ってしまい、利吉はハッと口を押えた。
『何をムキになっているんだ、私は・・・』
謝ろうと秀子を見ると、彼女はじっと利吉を見つめていた。
何故かそれに焦りを感じる利吉。
だが、利吉の動揺に気付く様子も無く、秀子は二人の間にあった団子の包を脇によけ・・・ずいっと身を乗り出す様に体を近づけてきた。
「し、秀・・・・・・」
「利吉さん・・・・・」
秀子の顔が近づく。
分かっているのに、何故か動く事もできなくて・・・只微動だにせず、息をつめる。
何故か心臓の音だけが煩く聞こえる中、秀子の顔が更に近づいて。
―――――――――コツリ、と額と額がくっつけられた。
「・・・・・秀子?」
恐る恐る問いかけると、彼女はゆっくり額を離して首を傾げた。
「熱は、無いようですねぇ?」
「は?」
「利吉さん、なんだかイライラとしていらっしゃるし、顔色も悪いからやっぱりお加減が悪いんじゃないかと思って」
「顔色?」
「さっき私が話していた時、少し顔が青いなぁと思ってたら、今度は少し赤くなって怒り出したから・・・」
「・・・・・・・っ」
言われた科白に動揺した。
言い返そうと思って、何かうまく言葉が見つからなくて・・・・・
結局、一言だけ返した。
「・・・・・そんなことない」
「そうですか?それならいいんですけど・・・・・」
でも、ここに来た時倒れていたから、心配で。
そう彼女は眉を寄せた。
どうやら、倒れていたことをずっと気にかけていてくれたようだった。
「ああ・・・・大丈夫だ。少し、疲れただけだ・・・」
彼女が安心する様に、微笑んでみせる。
それに少しホッとしたのか、秀子も笑顔を返した。
「あ、お疲れなら横になったら良いですよ!私、起きるまでお側にいますから」
「え、午後の仕事は?」
ここでの秀子との時間は、いつも極短いものなはずだ。
「もさ助さんが『嫌な思いをしただろう、今日はもう休んで良いよ』と言ってくれたんです。
別に嫌なことなんてなかったんですけど・・・・・疲れたのが顔に出てたんですかねぇ?」
「そう・・・・」
「でも、お店忙しいのに悪いっていったら、『じゃあ午後の仕事は休んで閉店後の明日のしこみを手伝ってくれ』って言われて。だから、夕方まで時間があるんです、私」
そう行って、にこりと笑う。
利吉は少し考えて・・・・ぽつりと言った。
「そうか・・・・・・・なら、お言葉に甘えようかな」
そのまま草の上にごろりと横になり・・・そして、秀子の手を軽く引いた。
引かれて後ろに倒れかけた秀子は、驚いたように腕で体を支えた。
「利吉さん?」
「君も疲れているんだろう?一緒に休もう・・・・・大丈夫、ここに人はこないから」
ここには人は来ない。
・・・・・この娘以外には。
「そうですね・・・・・・じゃ、私もお言葉に甘えます」
秀子はにっこりと笑って、ころりと利吉の横に体を横たえた。
体を並べて横になって、視線を絡めて―――――二人はどちらからともなく笑った。
「おやすみなさい、利吉さん」
そう言って目を閉じた彼女は、程なく寝息をたて始めた・・・どうやら、本当に疲れていたようだ。
彼女の瞳が自分を写さなくなった事に少し寂しさを感じながら・・・
それでも、彼女のやわらかな呼吸音が心地よくて。
利吉は彼女の体にゆっくりと手を伸ばすと、その体を包み込む様に自分の胸に引き入れて、目を閉じる。
草の匂い、鳥の声、暖かい陽射し・・・・・・人の肌の温もり。
鬼を見るようになってから一切感じなくなっていたものが、一つ一つハッキリと感じられて――――
利吉は微笑んで、久しぶりの穏やかな眠りに落ちていった。