「あ、利吉さん!来てくださったんですね〜!!」
先に来ていた秀子は、利吉の姿が見えると大きく手を振って、走り寄る。
目の前までいくと、利吉はふらりと秀子の胸に倒れこんだ。
「利吉さんっ・・・!?」
倒れ込んできた体に慌てて腕を回し、支えながら焦ったように利吉の名を呼ぶ。
そんな彼女の肩口に頭を預けて、利吉は荒い呼吸を整えた。
「あのっ、お加減悪いんですか?」
利吉の様子がおかしいのに気付き、おろおろと心配げな声で問いかけてくる。
だが、利吉は答えず目を瞑ったまま、肩で息をするのみ。
しかし――――
「苦しいんですか?利吉さん!?」
いたわる様に、秀子の手が利吉の背をさする。
その瞬間、利吉はフッと体が軽くなるのを感じた。
ゆっくりと彼女の肩から頭を離して、足元を見る。
―――――――――――そこに、鬼の姿はなかった。
******
じっとそのまま足元を見つめる利吉に、秀子はまた心配げな声を上げた。
「利吉さん?どうしたんですか?」
「ああ・・・・・すまない。少し眩暈がしたようだ」
「それはいけません!!はやく座ってください」
彼女の手に導かれるまま腰を下ろし、もう一度足元を確める。
『やはり、居ない』
鬼達は、その痕跡さえ残さず、消えている。
・・・・・・まるで、最初からそんなものなどいなかったかのように。
『何故・・・・・』
眉を寄せる利吉の前に、そっと何かが差し出された。
視線を向けると・・・それは、竹筒を切って作った湯のみだった。
「飲んでください。落ち着きますよ?」
「ああ・・・・すまない」
受け取って口に含むと、麦茶だった。
ひんやりとした感覚が、喉を降りていく―――心地よかった。
「うまい・・・」
「よかった!・・・・・今日も一緒に食べようと思って、お団子持ってきたんですけど」
「団子?」
「はい。お約束どおり、あんこのを」
でも、具合が悪いなら、無理ですよね?果物とかの方がよかったかも・・・
娘の科白を聞いた途端、利吉は急激に腹が空いてきた。
なにしろ、昨日団子を食べた以来、飲まず食わずだったのだ。
「食べたいな」
「え、大丈夫ですか?」
「ああ。・・・くれるかい?」
利吉がそういうと、秀子は満面の笑みを浮かべていそいそと包を解き出した。
「どうぞ!こしあんとつぶあん、どちらにしますか?」
「・・・こしあん」
どうぞと差し出されたそれを受け取って口に含む。
が、利吉は一口食べただけで、考え込む様に手を止めた。
「利吉さん・・・?お口に合わなかったですか?」
秀子が心配そうに覗きこんでくる。
その声に意識を引き戻されて、利吉は一度瞬きをしてから首を横に振った。
「いや、違うんだ・・・この餡の味がね、母の作る物と似ていて・・・」
「お母様のものと?」
「ああ。私はあまり好き嫌いはないんだが、餡は正直得意でなくて。でも母が作るものだけは好きだったんだ」
餡は得意ではないけれど・・・折角彼女が持ってきてくれたのと、腹がすいていたのとで手を出した。
だが、正直―――味に期待はしていなかったのだ。
なのに、寄越された団子は甘さが控えられた上品な味で、小豆本来の風味がよく出て。
――――母のものと、優劣をつけがたい味だった。
「これ、うまいな」
そう言うと、秀子はそれはそれは嬉しそうに微笑んで。
それを見たら、子供の頃・・・母の作ったおしるこを『おいしい!』と食べた時のことを思い出した。
******
あまりあんこの味が好きになれなくて、母が折角おしるこを作っても食べなかった子供の頃の自分。
そんなある日、母がおしるこを差し出して、言った。
「利吉、食べてみて?」
「母上・・・ぼく、おしるこは・・・・・」
厳しい母上。好き嫌いなどしたらまた怒られると思いつつも、おずおずと言ってみた。
すると、母は怒らず・・・微笑んで器を手渡して寄越した。
「今日のは自信作なの。どうしても駄目だったら残してもいいから、一口だけでも食べてみて?」
しぶしぶ箸を取りだし、一口食べる。
だが、その味は想像していたのとは全く違うもの。
『おいしい』と、素直に思った。
「おいしい!」
思わず、口に出た。
そのまま母を見上げると、そこにはとてもとても嬉しそうに笑う母の顔があった。
******
『――――あの時の母上。嬉しそうだったな』
秀子の微笑みに、母の微笑みが重なる。
そういえば、しばらく家に帰っていなかった。
もともと、忙しくてあまり頻繁に帰ってはいなかったが・・・鬼を見るようになってからは、意識して帰らないでいた。
最初は、鬼が纏わりつき出した事を、聡い母に知られたくなくて。
そのうちに・・・『帰ろう』という気持ちさえ、沸かなくなった。
――――鬼の影が濃くなってから、母さえ疎ましく思えてきたのだ。
何度言っても帰らぬ私に、母は手紙で『家に帰ることができなければ、せめて父上の所へ顔を出しなさい』と何度も伝えてよこした。
あまり無視すると山から下りて来かねないと思い、学園に顔を出さざるをえなくなった。
そして、顔を出した学園で父に見ぬかれ・・・・・留まる事になって、ここに居る。
『母上は、気がついていたのかもしれないな』
変わっていく息子を、憂いていたのかもしれない。
――――――――本当に、聡い人だから。
『親不孝ですみません、そのうち会いに・・・・・』
そこまで思って、利吉は唇を噛んだ。
―――――――――こんな状態で、母に会える訳がない。
今は見えない。だが、確実に鬼は私の側に居るのだ。
「・・・きちさん、利吉さん?」
はっ、っと・・・我に返る。
「利吉さん、どうかしましたか?」
「ああ・・・・すまない。ちょっと母のことを思い出してね」
しばらく帰っていないから。
そう目を伏せると、秀子はにこりと笑った。
「それなら、近いうちにお帰りになられるといいですよ!その時は、是非うちの団子をお土産にお持ち下さい」
利吉さんのお母様にも是非食べていただきたいです。
お帰りになる日が決まったら私に教えてくださいね、お届けにあがりますから!
秀子は笑って、利吉を見上げた。
「絶対ですよ?」
そう念を押してくる秀子をじっと見つめ。
しばしの間のあと――――――――利吉は、ふわりと笑った。
「ああ、そのうち帰るから・・・・・絶対」
その時は――――頼めるかい?
そう言うと、秀子は『もちろんです!まかせてください』と、微笑んだ。
******
「じゃあ、明日もこの時間に」
「はい。・・・・あ、でも――――」
「どうした?」
都合が悪いのか?
―――眉を寄せると、秀子は首を振った。
「私はいいんですけど・・・・具合悪いのに、無理してきてくれてるんじゃないですか?」
心配そうにそう言う彼女を、利吉は見つめた。
「・・・・・ここに来る時、私はまた様子がおかしいかもしれない」
「・・・・・・・・やっぱり」
病気なのか?と、秀子が問う前に・・・利吉はまた口を開く。
「でも―――――君に会うと、もどれるんだ」
「もどれる??」
意味がわからず戸惑う秀子の肩に片手を置いて・・・見つめた。
「明日も――――――ここに来てくれないか?」
秀子はそんな利吉を見上げて。
―――そして、肩に乗せられた手に、自分の手を重ねた。
「はい。――――――じゃあ、明日は”くるみ”を持ってきますね」
彼女の笑顔に、利吉も微笑んだ。
帰れば、またこの気持ちも掻き消えて、ここに来る気などなくなってしまうだろう。
だが、なんとしても・・・たとえ這ってでも来なければ。
利吉は重ねられた秀子の手にもう片方の手を乗せ、軽く握る。
この温もりを、忘れてはいけない――――――
刻み付けるように――――握った手に、力を込めた。