・ 鬼と花 ・ ――七――

 



部屋の中で、利吉はぼんやりと天井を見ながら寝転がっていた。
こんなふうに日がな一日寝て過ごすなど、子供の頃流感にかかって高熱を出して以来ではないか?
そんな事を考えながら、チラリと障子の方に目をやる。
そろそろ、時間だ。


――――――――あの娘が、あの場所に現れる時間。


利吉の瞳が迷うように、揺れる。
そして、その瞳は迷いを残しながら、一旦閉じられた。



******



昨日娘と会った後、鬼が消えているのに気がついた。

利吉は驚いた。
父のやることだ、無意味なものではないとは思ったが、こんなに早く効果が現れるとは。
しかし、何故?
――――――――――まだ、あの娘を抱いてもいないのに。

だが・・・そんなことはどうでもいい。
鬼が、いないのだ。
いる時はあれほどいるのが当たり前のように思っていたのに、
いない今は、今までがどれだけ異常な状態だったか、わかる。
利吉は学園ヘ向う道を歩きながら、己の心に人間らしさが戻っていくような気がして、微笑んだ。


―――だが、それはほんの一時だった。


学園までは確かに消えていたのだが・・・学園に帰り、あてがわれた自室に戻った辺りには、また当然の様に鬼は足元に纏わりついていたのだ。
・・・・・・まるで、先ほどまで見えなかった方が幻だったように。
そして、鬼を見た途端――――――――利吉の心は、また冷えていく。
先ほどまで大事なもののように思えていた手の中の包が、急に疎ましく思えた。


『馬鹿らしい』


風呂敷ごと、団子を部屋の端に放り投げて目を閉じる。
・・・・・・こんなもので、救われる訳がない。
利吉は板の間にごろりと横になった――――

夕食の時間を過ぎても、利吉はそのままそこに寝ていた。
食事もせず、明かりもつけず。
そのうち部屋の外のざわめきが聞こえなくなり、学園が静寂に包まれたあたりに・・・・・・やっと、利吉は身じろいだ。
起きて、障子を開けて空を見上げる。


そこには、月。


三日月でもなく、半月でもなく、満月でもなく。
中途半端に欠けた姿が、不恰好に見える。

『月が出ているのか』

忌々しい気持ちでそれを見上げていると、頬に風を感じた。
風が吹く、雲が流れる、月を覆い隠していく――――
それを見ているうちに、胸の奥に沸きあがるものがあった。



ああ、闇だ。・・・・・心地よい。



早くあの不恰好な月を覆い尽してしまえ。
覆い尽して世界が闇色に染まったら、俺は自由になれる。

フラフラと裸足のまま庭に下りて、利吉は進む。
闇が濃くなるたびに、気持ちが高揚していくようだ。
・・・・・・・・・・そう、あれこそ至上の色。
あの中でこそ、自分は安心できる。
光などいらぬ。
色などいらぬ。
闇だけでいい。
唯一見たい色があるとすれば――――――――――鮮血の赤。

『あの、赤が・・・・・』

うっとりとその色を思い出した、その時。


「どこへいく?」


突然現れた気配にビクリと利吉は体を揺らした。
ゆっくりと後を振向くと――――そこにいたのは、父。

「どこへいく・・・利吉」

もう一度同じ言葉で問う父に、利吉は口の端を上げて微笑んだ。



「月が綺麗でしたので」



月は、もうほとんど隠れて、僅かに姿を見せるのみ。
伝蔵は空を見上げてから、また息子に視線を戻した。

「月見は終いだ――――――部屋に戻る様に」
「はい」

背を向ける伝蔵に付いて、部屋ヘ向う。
縁側に近づいた時、利吉はもう一度後を振向いた。

どんどん濃くなった雲は、月をすっかり覆い隠して。
月は、何とか僅かに残った隙間から、弱弱しい光を覗かせるのみになっていた。
その隙間さえ、あといくらももたないだろう。
事切れそうな、弱弱しい光――――――まるで、月の断末魔の喘ぎのようだ。
この光景に、利吉はどこかうっとりとしたような声を上げた。


「ああ、美しいな・・・・・」


利吉は口の端を持ち上げ、そう呟く。
前を歩いていた伝蔵の肩が、ピクリと僅かに揺れた。
が、利吉が再び歩き出したのを感じ、何事もなかった様に自分も歩き出した―――



******



次の日、利吉は一日中部屋の中に居た。
土井が運んでくれた膳が、手付かずのまま部屋の隅に置かれている。

何もやる気が、起きない。
指一本動かすのさえ、億劫な気がした。
それでも僅かだけ体を動かして、足元を見る。

足元には――――――――――鬼。

きぃきぃと、聞こえるのは・・・鬼の鳴き声なのだろうか?
相変わらず、足を地中に引きずりこもうと躍起になっている鬼を見ながら、思う。


――――――そろそろ時間だ。


もう少しで、あの娘はあの場所に現れる。

『行くべきか・・・・・』

昨日、あの娘と居た時は確かに鬼は消えていた。
だが・・・鬼はすぐに再び現れた。
その上。

『・・・・・・だるい』

再び鬼が現れた後・・・・・鬼の邪気が強くなったのだろうか?
利吉は今まで感じた事のない倦怠感に襲われていた。
だるく、重く、気力が沸かない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・何もしたくないのだ。
今まで、たとえ鬼が纏わりついていようとも、こんなことはなかったのに?
そう考えた後、利吉は深く息を吐き、瞳を細める。

『・・・・・・思考さえ、億劫だ』

考えるのさえ、嫌なのだ。
・・・・・・・・・もう寝てしまおう。
何気なく鬼に視線を向けながら、瞼はゆっくりと降りていく。



『娘の事など、どうでもいい』



そう思った直後、急に利吉はまぶたを閉じるのを止めた。
――――それどころか、その瞳は見開かれたのだ。

『こいつ・・・・・!』

利吉は、気力を振りしぼり・・・立ち上がった。
重い足をひきずるようにして、門に向う。
鬼が、『ちぃ』と鳴いた。
それにチラリと視線を向けながら、思う。

『やはり・・・・・』

鬼の顔は何所か悔しげに見える。


『やはり、こいつらは・・・・・・私をあの娘に会わせたくないのだ』


この体の不調も、鬼達のせいなのかもしれない。
私があの娘に会うのを、邪魔しているのだ。
利吉はともすると膝を折ってしまいそうな倦怠感に必至で抵抗しながら、足を前に進めた。ここで足を止めたら、鬼達の思い通りになってしまう。


『ちぃ』


鬼がまた、舌打ちのような鳴き声をあげる。

間違いない。
先ほど、あの娘に会うのを止めようと思った時・・・・・鬼は、確かに笑ったのだ。



『・・・あの娘に、会わなければ』



利吉は、唇を噛んで必至に足を動かした。




コマちゃんが側にいないと、ずんどこに暗い利吉;
助けて、こまちゃ〜ん!(苦笑)


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