ずりっ ずりっ ずりっ。
静かな山道に、何かを引きずる音が響く。
がっ・・・ずりっ がっ・・・・・・・・ずりっ ずりっ。
途中、何度も音は途切れるが、そのまま止まる事はなく、また引きずる音は続いていく。
引きずる音は、ある男の足元からしていた。
山道を這いずるようにして進んでいくその男――――――――利吉。
木の枝につかまり、身が倒れふせば道に生えている草を引き毟る様にして進んでいく、利吉の足。
そこには何も見えない。
何も見えないが・・・・・額に玉の汗を浮かべて必死に歯を食いしばっている利吉だけには見えている。
利吉の両足には、もう何匹かなど数える事ができぬほどの小鬼が群がり
その足の歩みを止めようと引っ張っていた
その鬼の塊は、
まるで夕日に照らされて伸びた影のように、利吉の足から長く長く、伸びていた―――
******
霞んだ視界に、あの場所が見えた。
どさりと音がして、利吉の体はその場に倒れ伏す。
だが、何とか意識は失わず・・・その瞳はうっすらと開いた。
―――朦朧とした頭で、やっとそこに辿りついたのを知る。
『やっと、辿りついた・・・・・』
途切れそうな思考の中・・・・・利吉は手に結ばれた手ぬぐいに施された、鳥の刺繍を見つめた。
『あの、娘のところに・・・・・』
既に、顔は思い出せない。名さえ、わからない。
『早く・・・・・・くる、しい』
ただ・・・その娘に会えさえすれば、この苦しみから解放されるのを何とか覚えていた。
娘に会い、その身に触れれば苦しみから逃れられる。
そして、今日より娘はずっと側にいてくれる――――それは、この苦しみから永遠に解放されるという事だ。
はやく はやく はやくっ!
そう利吉が念じた時――――――頭の中に、声が響いた。
『苦しいか?』
利吉はぎょっとして、瞳を見開いた。
『そんなに苦しくば、何故抗う?』
利吉が緩慢な仕草で、それでも必死に声の主を探す中―――更に声は続けた。
『我に身を任せればよい――――苦しみは、たちどころに消えよう』
利吉の視線が、ある一点で止まった。
『役に立たない思考など、やめろ。心を、我に差し出せ』
―――倒れた利吉の頭の横に、それは立っていた。
身の丈三寸ほどの、血に濡れたような赤の薄汚れた体。
醜悪な顔。
頭には、鈍く光る二本の尖った角。
以前、利吉に笑いかけた小鬼だった。
――――――利吉の瞳が、更に大きく見開かれる。
『――――――――さすれば、楽園へと連れてゆこうぞ』
にぃ、と。それは笑った。
******
「ご苦労さん。・・・・本当に、ありがとうな」
「いいえ、そんなっ!・・・こちらこそ、お世話になりました!」
店じまいの後、店主のもさ助は娘に労いの言葉を言いながら、深く頭を下げた。
それに慌てた様に手を振って見せてから、娘・・・秀子は、きちんとたたんだ白くふりふりした前掛けを差し出す。
それを受け取りながら、もさ助は申し訳なさそうに頭を掻いた。
「すまねぇなぁ、秀。こんな格好までさせちまってよ」
「え?」
「だってなぁ・・・・・・・・・・・・おめぇ、本当は・・・・・」
もさ助はバツが悪そうに眉を下げた。
「いいんです、これも修行のうちですし♪楽しかったですし!」
「・・・そっか、そう言ってもらえると、少しは気が楽だが・・・」
「それより・・・・私、本当にお役にたてたんですかねぇ?」
ドジして、もさ助さんが心を込めて作ったお団子だめにしちゃった事も一度や二度じゃないし。
クマから助けてもらった上に、もさ助さんが新しいお店を作るために準備してたお金を谷底に落としちゃった償いには、足りてないんじゃ・・・・・
―――そう言って、今度は反対に秀子が眉を下げる。
だが、もさ助はそれに優しく笑って見せた。
「いや、お釣りがくるくらいだよ、ありがとな」
「そうですか・・・?なら、よかったです!」
やっぱり、キリ丸君のアイデアがよかったですよね〜♪
秀子は笑ってから、はっとしたように顔を上げた。
「あ、いけない!利吉さん待っているかも」
「ああ、あの毎日団子をもっていってあげてる人だな?なら、はやくいってやらないと」
「はい!じゃあ・・・もさ助さんお元気で。新しいお店できたら、必ず行きますからね!」
「ああ、待っとるよ」
「じゃ、私着替えてきます〜」
「へ?・・・き、着替えていくのか?」
「はい、そうですけど?なにか??」
「いや・・・そのお人、ショックなんじゃないかと思ってなぁ・・・・・・」
複雑な顔でそういうもさ助に首を傾げていると・・・閉めた表の板戸を叩く音がした。
訝しげにもさ助が板戸を開けると、そこには常連の若い男が3人ほど立っていた。
「あれ?皆さんどうしたんですか?」
「お秀ちゃん、やめちゃうって本当なのか!?」
「俺達、さっき米屋の旦那に聞いてビックリして!」
「嘘だろ、お秀ちゃん!!」
鼻水たらしながら涙目で詰め寄る男達に、秀子はいつものようににっこりと笑った。
「本当ですよ?」
今まで、お世話になりましたぁ。
明るい声で挨拶した秀子だったが、その挨拶は三人の阿鼻叫喚でかき消された。
三人はいずれも秀子の”サービス”目当てで、毎日通っていた者達だったのだ。
「どうしてもやめちゃうのか?」
「すみません、元々短期間だけのアルバイトだったんです」
「そんなぁ・・・・・」
「ごめんなさい、皆さんのことは忘れませんから・・・お元気で」
一人一人の手を取ってそう丁寧に挨拶をする。
すると、最後の一人が鼻水をすすりながら、言った。
「なぁ、お秀ちゃん。最後にもう一度だけ”サービス”やってくれねぇか?」
「え、でも・・・・・」
「そうだ、俺も頼むよ!!代金は倍払ってもいいから!」
「そんなこといわれても・・・」
「頼むよ、お願いだ!これで最後だから」
「最後・・・」
そうだ、この人達にこうして会うのも最後になっちゃったんだ・・・。
ドジして、着物にべったりごまだれつけちゃったこともあったなぁ。
それなのに怒るどころか、ふきんで拭いてあげたら喜んでくれたりして・・・気のいい人達だった。
――――秀子は、三人をじっと見つめた後、決心した様に言った。
「わかりました」
「お、おい・・・秀」
「もさ助さん、まだお団子いくつか残ってましたよね?」
利吉の為に残しておいた分以外にも、いくらか残っていた筈だ。
「ああ。・・・だが、ええのか?まっとるんだろ?」
「はい。でも、皆と会うのももう最後だから―――利吉さん、わかってくれると思います」
ぶっきらぼうに厳しい事も言う利吉だが、本当は優しい人だ。
いままでいっしょにいて、それがよくわかった。
あの場所にいくと倒れていたりするから、心配ではあるけれど―――。
利吉さんとはこれからずっといっしょにいるんだし、ほんの少しだけなら。
―――秀子はもさ助の持っていた前掛けを再び受け取ると、それを身につけた。
「じゃ、皆さんこちらへ・・・ひとり一本までですよ?」
「お秀〜〜〜vvv」
「じゃ、じゃあ俺が先!」
「何いってんだ!俺が先に決まってるだろう〜〜〜〜〜!!」
喧嘩をしだした男達を背に、団子の支度をしながら・・・窓から、外にうっすらと見え始めた月を見つめた。
『利吉さん、ごめんなさい。すぐに終わらせますから・・・』
もう少しだけ、待っててくださいね?
月に向って、秀子は小さな声でそう呟いた―――――