利吉は苦しげに喘ぎながら問いかけた。
「らく・・・えん?」
『おお、楽園ぞ。』
鬼はよどみなくそう言って、にぃ・・・と笑う。
利吉は、顔を歪めた。
―――――こいつ、やはり喋っている―――――
いつから喋れるようになったのだ?
それとも、前から喋れたのだろうか?
―――口に出さない利吉の問いに、鬼は答えた。
『前は、喋ってもおぬしには聞こえなかったのだ。・・・我も、力が足りなかったからな』
だがなぁ・・・と言って、鬼はまた口の端を持ち上げた。
『力を、おぬしが与えてくれたからな?』
鬼の声は、前に聞いたようなキィキィとした鳴き声のとはまるで違う―――低く、響く声。
その声が、まるで言霊のように自分を縛っていくのを感じる。
『貴方のお役に立てて光栄です』とでも言ってしまいたくなるほど、鬼の声は利吉の感覚を麻痺させて思考を奪っていくようだった。
―――――利吉は、唇を噛んだ。
「与えて、やったのでは、ない・・・お前が、奪って、いったのだろう?」
切れ切れながらも、鬼の毒気に当てられた答えを返してしまわぬよう、利吉は力を振り絞ってそう言った。
そんな利吉を、鬼は少し驚いたような顔で見つめる。
『まだそんな口をきけるのか・・・さすがぞ。まぁ、あの娘のせいでもあろうな』
やはり邪魔だな、あの娘――――
鬼の言葉に、利吉はニヤリと笑って見せた。
「やはり、あの娘が、苦手か」
『ああ。我等とは合い入れぬものだな』
「ざまあみろ、だ。娘は、もうすぐここに来る」
『知っておる――――忌々しいから、消してしまおうか?』
牙をむき出して見せる鬼に、利吉は声をあげて笑って見せた。
「消えるのは、お前だろう?あの娘の前には、現れる事もできないくせに。・・・あの娘は、今日より、私の側に・・・ずっと、いるのだ』
―――――消えるのは、お前の方だ。
額に玉の汗を浮かべならも、不敵に笑って見せる利吉。
だが、そんな利吉を嘲るように鬼は笑い声を上げた。
『確かに、我はあの娘に触ることができぬ。・・・だがな、今までも娘とおぬしが会うときに、消えてしまっていたわけではないぞ?』
「・・・どう、いう・・・ことだ?」
『あの娘の体からあふれ出るものが、我には毒だったのでな・・・隠れておったのよ』
おぬしの体の中に・・・のう。
おぬしの内にいれば、あの娘の毒気は届かんからな。
鬼の舐めるような視線に、利吉は嫌悪を感じて・・・それを消し去るように吐き捨てた。
「・・・・・同じ、ことだ。隠れたまま出て、来れぬなら・・・消えたも同じだ」
『今までは、お前の内にいる時はたいした事はできなんだ。だがなぁ・・・・・』
鬼はそう言うと、小さな両腕を大きく横に開いた。
そしてそれをゆっくり胸元に近づけていく。
――――何をしているのだ?――――
戸惑ったようにそれを見つめていた利吉だったが、ある事に気がついた。
・・・未だ、己の足元に纏わりついていた、何十何百と言う小鬼達が、一斉に目の前にいる赤い小鬼に向かってきたのだ。
最初に近づいてきた一匹が、赤鬼の中に重なるように、消えた。
二匹目も、三匹目も、四匹目も。
・・・・・次々赤鬼の中に消えていく鬼達。
そして、利吉は気がついた。
一匹消えるたび、鬼の体が大きくなっていく―――――
『こ、れ・・・・・・は』
利吉は、今まで麻痺していた『恐怖』という感情がじわりじわりと身の内に戻ってくるのを感じた。
ゾクリゾクリと背筋を何かが這い上がっていく。
戦慄く利吉のまえで、沢山の鬼が塊になって赤鬼にとりすがり―――
とうとう全ての鬼が赤鬼に取りすがった時、赤鬼の腕が胸の前で合わさった。
一瞬、目の前が黒いもやのようなものでかき消される。
―――次に利吉の視界が戻った時、
利吉の前には――――自分の身の丈と同じぐらいの赤鬼が立っていた。
地面に這いつくばったまま、利吉はぶるりと震えた。
赤鬼は一度膝をつき、そんな利吉の首を片手で持つと、そのまま持ち上げ立ちあがった。
立った鬼に、首を持って吊るされたような格好で立たされて、向かい合う。
「ぐ・・・っ」
『今までは、おぬしの内の入ると何も出来なかったがな。じわりじわりとおぬしから力をもらったせいで、今はいろいろ出来るようになった』
例えば、まるで人形のようにお前をあやつることもなぁ。
にぃと笑う鬼に恐怖しながらも、利吉はなおも言い放った。
「誰が・・・お前、などにっ」
『そうか?・・・見よ、空を―――』
苦しげに息をしながら・・・何とか空を見る。
さっきまで明るかった空は日が傾き、薄暗い・・・。
いくらもたたないうちに、辺りは真っ暗な闇に染まるだろう。
――――利吉は、ハッと目を見開いた。
『昼間なら、少しは望みもあったがな・・・今、ここは程なく闇に染まる』
闇は、我の領域ぞ。
――――鬼はそう言って利吉を見つめた。
『抗う事など、かなわぬ』
鬼の宣告に、利吉の口からひゅ・・・と、息を飲む音が聞こえた。
それを見てもう一度口の端を持ち上げた鬼は、ゆっくりと空いていた片腕を持ち上げた。
利吉の心の臓あたりに、ヒタ・・・と当て、そのままゆっくりと押し進む。
すると―――あろうことか、その腕はそのまま利吉の胸にめり込み始めた。
痛みもなく、ずぶずぶと鬼は利吉の中に入っていく。
ゾワリと這いあがる恐怖に、たまらず利吉は叫んだ。
「やめろ!!」
だが利吉の耳に届いた言葉は、
『己の手で、娘が引き裂かれる様を見ているがいい。さすれば、我に心を明渡す気にもなろうぞ?』
という、残酷な鬼の言葉だった―――――
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「はっ・・遅く、なっちゃった、なぁ・・・」
秀子は通いなれた道を息を切らせて走っていた。
もう日は大分傾き、完全なる闇の一歩手前。
普通なら、利吉のことより自分の足元の方が心配・・・という状況。
だが今の秀子の頭の中は、この闇の中待っているだろう利吉のことでいっぱいだった。
薄闇をものともせず、走っていく。
だが―――
「・・・・・っ」
急いでいたので、小枝で手の甲を引っ掛けてしまった。
うっすらと血が滲むが・・・それをペロリと舐めただけで、秀子はまた走り出した。
そんな事より、利吉が心配だった。
そのまましばし走ると――――やっといつもの場所が見えてきた。
『利吉さん・・・倒れていないといいけど』
そう思いながら、薄闇の中目を凝らすと・・・彼の人の背中が見えた。
しっかりと立っているその背中を見てホッとしながら、駆け寄る。
「利吉さん、お待たせしてすみません!!」
彼の後ろに立って、はぁはぁと荒い息を整えながらそう声をかけた。
その声に、利吉はゆっくりと・・・ゆっくりと、振りかえる。
だが、振りかえった利吉はうつむいていた。
「利吉さん?」
もう一度声をかける。
すると――――利吉はまたゆっくりと、顔を上げた。
・・・・・そして。
「待っていたよ―――――――――秀子」
にぃ、と。彼は笑った―――――――