グラリと―――利吉の体が揺らいだ。そのまま地面に崩れ落ちるように膝をつく。
それを眺めつつ、もう一人の『利吉』が呟いた。
「愚か者」
その言葉を聞きながら、利吉は血が滴り落ちるわき腹を押さえ、打ち伏してしまいそうな体を必死に起こしながら、『利吉』を睨みつけた。
睨みつけた視線の先で、『利吉』が冷ややかにこちらを見下ろしている。
「きさま・・・」
「一つになった方がお互いの為と思ったが・・・やはり『鬼』とは相容れぬものよ」
「・・・なに?」
「温情をかけてやろうとしたが・・・『鬼』は、やはり鬼。お前は消えるがいい」
自分が『人』で、こちらを『鬼』だとでも言うような『利吉』の物言いに、利吉はカッとして声を荒げた。
「戯言を・・・っ!鬼は、お前だろう!!」
「先程も言ったろう?己の手を見てみろ―――お前が『鬼』だ」
「違う!!」
「違わぬよ・・・お前の中には消しつくせぬ闇がある」
闇を持つ者よ―――お前が鬼だ。
底冷えするような『利吉』の声。
それにわなわなと震えて、利吉は俯く。
―――そのまま、だらりと腕を下げ動かなくなってしまった。
『そろそろ落ちるか・・・』
これ以上神経が耐えられまい。
『利吉』はそう心の中で呟き、口端を上げる。
そのまま利吉の肩に手を掛けようと近寄るが・・・
「む・・・ぅ」
『利吉』は、己の胸をしげしげと見下ろす。
心の臓のど真ん中・・・寸分たがわぬその場所に、忍びの武器『千本』が深々と突き刺さっていた。
「・・・油断したわ」
そう呟く『利吉』を、利吉が鋭い眼差しで睨んでいる。
腹から血を滴らせ、意識も朦朧としているだろうに・・・もう力尽きたと見せかけて、最後の反撃にでたのだ。
死にかけていながら、眼光だけで相手を射殺してしまいそうなすさまじい表情でこちらを見据える利吉に、『利吉』は感嘆のような溜息を吐きながら言った。
「さすがよのぉ・・・」
『利吉』はそう言って、胸に突き刺さる千本に手を掛けた。
それをずぶりと抜く様を見た利吉の瞳が、大きく見開かれる―――抜き取られた傷口からは、血一滴も落ちなかった。
『そ・・・んな』
さすがに絶望の色が見える利吉の眼前に、カランと乾いた音をたてて千本が転がる。
千本を投げ捨てた『利吉』は、冷たい声で言った。
「まこと、惜しい・・・」
―――ここで、殺してしまわねばならんとは。
その言葉を聞き終わる前に、利吉の肩口から血が噴出す―――いつの間にか『利吉』の手に握られた忍刀で袈裟懸に切りつけられたのだ。
咄嗟に身を引いたり利吉だったが、間に合わず・・・今度こそ地面に崩れ落ちる利吉に、『利吉』はもう一度繰り返した。
「まこと、惜しい」
だが―――と、続ける。
「だが、『利吉』は一人でいい・・・一つにならぬと言うのなら、消えろ」
『利吉』は再び忍刀を振り上げる。
利吉は打ち伏した体のまま首だけを動かし、朦朧とした頭でそれを見つめた。
『血を流しすぎた・・・』
ここで逃げねば終わるのに、体が動かない。
避けるどころか、視線を向けるだけで精一杯―――もう、逃げられない。
とうとう・・・利吉は目を閉じた。
『秀子』
頭に秀子の姿を思い描く―――
『すまない・・・』
己の業に、彼女を巻き込んでしまった。
もはや、助けるどころか・・・彼女の安否を確かめる事すら、叶わない。
『本当に、すまない・・・秀子』
私は、闇を振り払えなかった―――
鬼の言う通り、自分の中には闇がある。
どうやっても消せぬ闇が、確かに存在する。
―――だが。
『闇に全てを支配など、させない』
せめて・・・と。
闇に染まった己の心の中に光の一点を残すべく、刀が振り下ろされる刹那に、利吉は彼女の姿を思い描いた。
光溢れる、彼女の笑顔を―――
「わたしが『利吉』だ」
宣言と共に、刀は振り下ろされる・・・・・・・筈だった。
「あなたは利吉さんじゃありません」
聞こえた声にハッとして、利吉は閉じていた瞳を開けた。
目の前には驚愕に顔を歪めた『利吉』。
刀を振り上げたその手には、背後から白い手が絡みついていた。
―――利吉の目が見開かれる。
「やめろ・・・触るな」
『利吉』の、嗄れた声が上がる。
彼の背後から、秀子の顔が現れる。
「私は利吉だ・・・秀子、いい子だから、私に触るんじゃ・・・」
引きつった声が、秀子に己から離れよと言い募る。
だが、闇の中から現れた秀子は、大きな瞳に涙をいっぱい溜めて、言い放った。
「あなた・・・利吉さんじゃない!!」
どちらかが消えなければならないなら、あなたが消えて!!
背後から『利吉』の体に腕を回し、抱きついた格好で思いっきりそう叫ぶ。
『秀子の体から、光が溢れて出ていく』
利吉がそう思った瞬間、『利吉』が叫ぶのが聞こえた。
「ぐあぁぁぁぁ・・・!おのれぇ、もうすこしでぇ!」
獣のような咆哮と共に、『利吉』は弾け飛ぶようにして、消えた。
―――後に残ったのは、ボロボロと涙を流した秀子。
「利吉さん!」
秀子は、利吉へと駆け寄る。
「利吉さんっ」
「・・・・・しゅう・・・こ」
呼び返す利吉の頬に、彼女の涙が落ちて、流れた―――