・ 鬼と花 ・ ――二十四 ――

 



鬼の気配が完全に消えた―――


秀子が駆け寄ってきて、膝をついて顔を覗きこんでくる。
そして、彼女が自分の名を呼ぶと同時に、頬にポタリと温かな雫が落ちてきたのに気付いて―――利吉は彼女の名を呼んだ。

「しゅう・・・こ。ないて・・・いるのか?」
「だ・・・だって・・・・・ひっく」

ひっくひっくとしゃくりをあげながら、返事もままならぬ様子の秀子を痛々しく思った。

「そんなに、ないて・・・・・」

利吉は、心配げに秀子へ視線を向ける。
鬼の気配が消えた安堵と疲労と出血で、今すぐにでも気を失ってしまいそうな利吉だったが・・・ それよりなにより、秀子の無事をこの目で確かめたくて、懸命に声のする方に目を凝らす。
だが・・・うまく見えない。
夜の闇の中という事もあるが、出血の所為で目が霞んでうまく見えないのだ。
鬼の呪縛から逃れ、やっと彼女を抱きしめることも出来るというのに、体が思うように動かせないばかりか、彼女の姿さえよく見えない。
それを歯がゆく感じながらも、利吉は秀子の状態を確認しようと、張り付いたようにうまく声が出せない喉を懸命に動かして、声を掛けた。

「きずが、いたむ・・・のか?はやく、いしゃに・・・」
「医者が必要なのは利吉さんの方ですよ!」
「だが・・・きみ・・・も、さされて・・・」
「私は大丈夫です!」

叫ぶように答えて―――覆いかぶさるようにして、秀子は利吉を抱きしめる。
彼女が触れてきた時、利吉は一瞬体を強張らせた。
先程、秀子に触れられて消し飛んだ『利吉』のように、自分も消えてしまうかもしれないとの思いが、一瞬頭を掠めたからだ。

だが―――秀子に抱きつかれても、己の体は消えてしまう事はなかった。

それにホッとしつつ、自分の胸に擦り寄って涙を流す彼女の髪を撫でてやろうとして・・・直前で手を止め、握りこぶしを作ってみる。
先程までのように、長く尖った異形の爪が、自分の肌を傷つける感覚はない。

『もう、鬼の手ではなくなった・・・?』

利吉は小さく息をはいて、彼女の頭に手を伸ばす。
彼女の髪を指で梳くようにして撫でながら、思った。


『やっと・・・鬼を振り払えた』


胸に感じる秀子の温もりに、それを実感する。
―――利吉は、ようやく安堵したように『大丈夫』だと言う秀子に返事を返した。

「そう・・・か・・・・・」

確かに彼女は刺されていたのだから、大丈夫だとの言葉に疑問が残るが・・・。
だが、彼女は今現在ちゃんと動いていて、声にも力がある。
それを感じて、利吉はホッと息を吐きつつ、もう一度彼女の名を呼んだ。

「しゅう、こ・・・」



君が無事で良かった―――



利吉はそう呟いて、ゆっくりと目を閉じる。

「利吉さん?利吉さん!?」

秀子が己の名を呼ぶのを聞きながら、利吉はとうとう意識を失った―――



******



目が覚めた時―――利吉は、暖かい光の中にいた。

眩しさに目が眩み、一度閉じてから・・・またゆっくりと瞼を持ち上げる。
目を細めつつ、辺りを伺うと・・・見慣れた風景。
そこは、忍術学園の医務室で―――そして、こんなに眩しいのは、今が昼だからだと知る。

「ここ・・・は?」
「利吉!?目覚めたか!」

声の方に視線を動かすと・・・視線の先に、心配げな父の顔が見えた。
その後ろに、土井先生・新野先生の姿もある。

「私が分かるか?」
「・・・・・ええ、父上」

そう答えると、心配げな父の顔が安堵の表情に変わる。
長い間会わなかった訳でもないのに、父の顔がずいぶん老けて見えた。
―――かなり、心労を掛けてしまったのだろう。

「父上・・・申し訳ありませんでした」

本当に申し訳なくて、素直に謝罪の言葉を言うと・・・父の顔が一瞬泣きそうに歪んだ後、一言だけ言葉を返して寄越した。

「馬鹿者」

短い叱咤の言葉に色々な意味合いが含まれているのを感じて、利吉は眉を下げながら、もう一度謝罪を繰り返す。

「すみません・・・」
「無事に帰ってきたのなら、もうよいわ」

父の表情がいつもの顔に戻ったのを見て、ホッとしつつ・・・他の二人にも声を掛けた。

「土井先生。新野先生。ご心配おかけしました」
「いや。無事に戻って良かったよ」
「本当に・・・意識は戻ったが、体の方はまだ傷と疲労が残っているからね?無理をしてはいけないよ」

二人の労わりに感謝の言葉を返して・・・明るい障子を見つめた。

『日の光か・・・久々な気がする』

こんなふうに日の光を暖かいと感じるのは、久しぶりな気がした。
鬼に侵されてからは、長い間、暗闇の中にいた。
正しくは、闇に閉ざされた場所に閉じこもっていた訳ではないのだから、日の光だって浴びていたのだが。
それでも、半ば屍のように暮らしていたのだ。日の光を意識するどころではなかった。
それなのに、今は光が暖かく、心地よいと感じている。
―――やっと、闇の中からぬけだせたのだと、強く感じた。

『いや・・・?この身に鬼を宿していた時も、日の光を感じられる時があったな・・・』



あの場所で秀子と一緒に居た時だけは、光を―――



そこまで考えて、利吉はハッとしたように身を起こした。

「つっ・・・」

体に激痛を感じて、利吉は起こしたばかりの上半身の丸めて呻く。
慌てたように伝臓が手を伸ばして、息子の体を支えた。

「まだ怪我が治っておらぬのだ、起き上がってはならぬ!」

そう叱咤する父の腕を強く握って、利吉は叫ぶように言った。

「秀子!秀子はどこです!?無事なのですか?」
「秀子?・・・あ、ああ」
「無事なんですね!?・・・・・・良かった」

瞳を閉じて神に感謝の言葉を呟いてから・・・利吉は再び父を見上げた。

「彼女のお陰で鬼を振り払えた・・・彼女が、鬼を消してくれたんです」

彼女がいなかったら、自分はもう身も心も鬼へと変わってしまっていただろう。
救われたのは、彼女がいてくれたからに他ならない。
彼女への感謝と・・・そして、胸に芽生えた密やかな想いを胸に、父に問いかけた。

「彼女はどこです?会わせてください!」

秀子が無事な事に喜び、再び会える事に嬉しさを溢れさせる息子に―――父は、酷く複雑な顔をした。

「あー・・・利吉。小・・・いや、その・・・『秀子』は無事だし、事情も聞いて知っておるが・・・・・・・会うのは、お前の傷がもう少し癒えてからにしてはどうだ?」

口ごもりながらそんな事を言う父に、利吉は顔色を変えた。

「何故です?・・・もしや、本当は大怪我を!?」
「いや・・・本当に元気でいる」
「それならどうして・・・!あ・・もしや怯えさせてしまったのですか?」

鬼に取りつかれた私を怖がって、会いたくないと・・・?
みるみる落ち込んでいく息子に、父は慌てて背中を擦ってやる。

「あ、いや・・・全くそんなことはない。向こうもお前に会いたがってはおるんだが・・・」
「そうなのですか!?」

秀子も会いたがっている。
その言葉に、利吉の表情は瞬く間に明るさを取り戻す。
嬉しさに顔をほころばせながらも・・・利吉は首を傾げた。

「では・・・なぜ、後にしろなどとおっしゃるのですか?」

戸惑ったようにそう問うと・・・父は渋い顔をしてから、呟くように言った。

「その・・・な。ちとショックを受けるかもしれんからな・・・・・」
「ショック・・・?え、私が・・・ですか?」

父の言葉の意味が分からず、助けを求めるように半助に視線を向ける。
すると、彼もまた複雑な顔で困ったように言った。

「利吉君・・・まずは体を治して、充分回復するのが先決だと私も思うよ?」

後でちゃんと会えるから、心配しないで。
そう言って微笑む半助の顔は、引きつっている。
―――利吉は、眉を寄せた。

「・・・・・お二人の仰る意味が分かりません。私がこうしてここに戻ってこられたのは、秀子が助けてくれたからです!彼女に会って礼をいうのが、何故いけないのですか!?」
「ま、まぁまぁ・・・利吉君、お父上は『会わせない』と言っているのではなく、君の体が癒えてからと・・・」

声を荒げる利吉に、とりなすように新野が声を掛けた時、障子の向こうに人影が現れた。


「あの・・・・・入ってもよろしいでしょうか?」


聞こえた声に、四人揃って顔を向けた―――




鬼との対決が終わっても、一波乱?(笑)


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