・ 鬼と花 ・ ――二十五 ――

 



新野が声をかけると、障子が静かに開いた。
入って来たのは、一人の女。
流れる黒髪も美しいその女は俯き加減で入って来たが、伝蔵の姿を見つけるとおもむろにガバリとひれ伏した。
その様に室内に居た者は皆一様に驚き、伝蔵も慌てて声をかける。

「お、おい・・・!」
「申し訳ありません!!」

いきなり謝罪の言葉を叫ぶ女に、皆面食らうが・・・伝蔵だけは謝罪の訳を知っているようで、溜息を吐いた。

「もう良い・・・」
「いえ、謝らせてくださいませ!私、深く恥いっております」

声を震わせながら顔を上げた女に、利吉は目を見開く。
『似ている・・・』と、心の中で呟いた。
見慣れた顔によく面差しの似た女を驚きつつ見ていると、伝蔵が再び溜息をついてから、彼女に声をかけた。

「任務を遂行出来なかった理由だけ、聞かせてもらおうか?」
「任務・・・?」

利吉が呟きに、伝蔵が振り返る。

「この人に、お前を人に戻す手伝いを頼んでおった」
「・・・!」
「あなたが、利吉様・・・?」

振り向いた女を見つめる。
年は、利吉より二つ三つ上・・・といったところだろうか?
流れる黒髪に、白い肌、美しい顔立ち・・・その顔は、母に良く似ていた。

「この人は、母さんの遠縁に当たる者でな・・・腕の良いくの一でもある。その腕を買って、お前の為に来てもらったのだ」
「この人が・・・?」
「そうだ。・・・私は事の次第を知るまで、お前を人に戻そうとしてくれていたのは彼女だとばかり思っておったのだが・・・いったい、今までどこに行っていたのだ?」

伝蔵にそう聞かれると、女はふるりと体を小さく揺らしてから、話し始める。

「実は・・・監禁されておりました」
「監禁!?」
「伝蔵様に依頼された仕事に向かおうと家を出たところで、捕まりまして・・・面目次第もございません」
「いったい誰に!?」
「・・・別れた、亭主です」
「お前さん、結婚しておったのか?」

驚く伝蔵に、女は顔を歪ませる。

「一年程前、若気の至りで結婚した男がおりまして・・・夫婦になってみれば見栄っ張りのつまらない男。すぐに別れようと思ったのですが、中々別れてくれず・・・。ですが、先日やっと別れられて。―――私としては終わったと思っていたのですが、まだ私に未練があったらしく、わざわざ忍を雇って捕まえにきたのです」
「大変だったな・・・」

話を聞いて、伝蔵は顔を顰める。
新野が、心配げに彼女を見て申し出た。

「治療が必要なら、私が診ますが?」
「あ、いえ・・・それには及びません」

監禁をされてはいましたが、捕まった時に忍に少々傷を負わされた以外は、乱暴はなかったです。亭主は、あくまでヨリを戻したかったようですから・・・。
そういう女にホッとしつつ、伝蔵は話を続けた。

「それにしても、よく脱出できたな?」
「捕らわれた時は複数で、しかも忍が相手で不覚をとりましたが・・・亭主は忍ではない普通の男です。監禁されてしばらくすると雇われた忍はいなくなりましたから、後は機を見て・・・」
「そうか・・・災難だったな」

そんなつまらぬ男と関わりあって、災難だったと思う。
だが、このプライドの高そうな女に恥を掻かせた亭主がその後どうなったろうと思うと、そちらも少し気の毒な気もしたが・・・どんな理由であれ、女を捕まえ監禁するような輩だ。自業自得というものだろう。

「不測の事態とはいえ、それに対処するのも忍の技量・・・本当に申し訳ありません」

そう言って女は再び深々と頭を下げた。

「ところで、ご子息の容態は・・・」

眉を下げて、女は利吉を見る。
美しく、忍の技にも長けているというその女は、普段はもっと自信に満ちた態度なのではないだろうか?
以前父がこの人の事を『気位の高い自信家』と言っていた事があったが・・・きっと、普段はそんな女なのだと思う。
だが・・・そんな女だからこそ、今は思いがけずしくじってしまった仕事のことを、心から恥いっているようだった。
プライドの高い女が、己の失態を恥じて小さくなっているのが少し気の毒な気かして・・・そしてなにより、母と面差しの似た女が辛そうな顔をしているのが嫌で、利吉は優しく声をかけた。

「大丈夫ですよ・・・確かにいくらか傷はありますが、鬼は振り払った。傷はそのうち癒えるでしょう」
「そうですか・・・申し訳ありません」
「もうお気になさらず。今回の事は、あなたにしても本当に不測の事態でしょうし。若輩の私がこんな言い方をするのは失礼かもしれませんが―――失敗は誰にでもあることです」
「利吉様・・・」
「私も・・・腕には自信がありましたが、心が未熟だったようで、妙なモノに取り付かれてこの体たらくですよ」

利吉はそう言って自嘲するように笑った。
本当に、自分は未熟だった・・・何でも完璧にこなせると思っていたのに、とんだ未熟者だった。

「昔から・・・わりと何でもこなせたので、人より優れていると驕る気持ちがあったように思います。そのうち、完璧を求めるようになって、人の失敗も自分の失敗も許せなくなっていた・・・完璧な人間などではないのに、自分はそうなのだと勘違いをして、無理をしていた。鬼は、そんな私の心の危うさを知っていたのでしょう」

自分の心の危うさが、鬼を引き寄せた。
そして、鬼が見えてからも・・・プライドが邪魔をして、仕事を休んで自分を見つめ直すことも、父に助けを求めることもできなかった。
自分一人で鬼など振り払えると、それだけのことが出来る人間だと思いこもうとしていた。
鬼がもやのように見えていたあの頃に父に相談していたら、ここまで酷いことにはならなかったろうに。

「人は弱い生き物だというのを忘れていました。そして・・・弱いけれど、誰かと支えあえば強くなるということも、忘れていた」

呟くように言って、利吉は秀子の姿を思い描く。
ドジで天然ボケで・・・何をするのを見ても、ハラハラさせられる。
でも・・・彼女の心は、私なんかよりよっぽど強かった。
自分の犯した失敗を悔いてうな垂れて終わることなく、何とかその分、迷惑をかけてしまった人に尽くそうと、一生懸命に働いていた。
私の事にしても・・・確かに最初、転がってきた彼女を受け止めて助けてやったのは私だったが、その後は彼女に助けられてばかりだった。
あんな恐ろしい目に合わせてしまったのに、彼女は逃げることなく、自分が傷つくのも恐れず・・・私を助けようとしてくれた。
要領も悪く弱い部類の人間と・・・最初そう蔑みの目でさえ見た彼女は、実はしなやかで強い心を持った人だった。


「人に救われて、やっと気がつきました・・・命を拾った今、それを忘れずに生きて行きたいと思います」


そう言って微笑む利吉の顔を、女は見惚れるようにじっと見つめて、言った。

「今更ですが・・・私が、あなたをお助けできれば良かった」

俯いて、少し悔しそうにそう呟く。

「・・・でも、私ではお助けできなかったかもしれません」

―――私は、少し前のあなたと似ているかもしれません。
女はそう言って寂しげな笑みを浮かべた。
利吉の言葉に、自分と重なる部分を見つけたのかもしれない。

「・・・貴女は私ほど愚かではないと思いますよ?」

俯いてしまった彼女の表情を変えたくて、茶化すようにそう言う。
すると、女もやっと小さく口元に笑みを浮かべた。
―――そして彼女は、一同に深々と頭を下げて帰っていった。



******



女の後姿を見送った後、利吉は父に振り返って、ある問いを口にする。
―――それは、先ほどの女の事を紹介された時から、頭の中を占めていた疑問。

「父上。父上が差し向けた者があの人ならば・・・秀子は?彼女は、一体誰なんです?」

利吉の問いに、伝蔵は渋い顔をして・・・そして、諦めたように口を開いた。

「あの者は、私が用意したわけではない・・・偶然にお前に会ったのだ」
「偶然・・・」
「とはいえ、まったく見も知らぬ者というわけではない。この学園の関係者だ・・・」
「関係者?彼女も忍なのですか?」
「いや、そうではなく・・・・・・・あの子は」

伝蔵がそう言った時、バタバタと賑やかしい足音と共に、再び障子が開けられた。

「利吉さん、病気が治ったって本当ですかー!」
そう言って駆け込んできたのは、乱太郎。
「僕達、心配してたんですよ〜、いつ覗いてもボーっとしてたから!」
笑顔を浮かべる、しんべヱ。
「だいぶ休んじゃいましたよね、仕事。もったいなかったっスね?」
自分の懐に入る訳でもないのに、悔しがるキリ丸。
―――賑やかな足音の主は、忍たま三人組だった。

面食らったように三人を見た利吉だったが・・・そのうち、苦笑混じりで言葉を返す。

「心配かけてすまなかったね・・・もう、大丈夫だ」

そう言って笑って見せると、子供達はじっと利吉を見つめて。
―――そして、にっこりと満面の笑顔を浮かべた。

「いつもの利吉さんだ!」
「うん、利吉さんだぁ、もう怖くないや」
「戻れて良かったっスね〜」

子供達の言葉に目を見開いて、半助の方をチラリと見る。『知っているのか?』と、問いかけるように。
だが、半助は首を横に振って・・・苦笑混じりで小さく呟いた。「知らないけど・・・子供って意外に鋭いんだよ」と。
利吉は困ったような顔をして―――やがて、はにかんだように笑った。

「・・・もう大丈夫だよ」

ありがとうと言うと、乱太郎は『良かった』と心底嬉しそうに笑って。
しんべヱは『これ、お見舞いです〜』と、よだれを垂らしながらもカステラの箱を差し出す。
キリ丸はし『心配料』と言って手を差し出して、半助に拳骨を落とされた。
―――以前と変わらない光景に、利吉はクスクスと笑いを漏らす。


『本当に、私は戻って来たんだ―――』


そう心の中で呟いた時、開け放ったままの障子の向こうから声が聞こえてきた。

「こら〜!乱太郎君、キリ丸君、しんべヱ君、まだ入門表書いてないでしょ〜!」

バタバタと子供達と変わらないような足音を立てて近づいて来る者の、その声を聞いて、利吉は目を大きく見開いた。

「あっ、利吉君!まだ動いちゃ・・・!」

新野の制止を振り切って、痛む腹を押さえたまま利吉は立ち上がって、廊下に出た。
視線の先には―――

「もう、三人とも〜!・・・・・・あっ」

バインダーを持ってこちらに駆けてきた人物が、利吉を見て立ち止まり、言葉を止め、目を見開く。
癖の強い髪、白い肌、毀れそうな・・・大きな瞳。


「秀・・・子」


やっと見つけた愛しい姿に、利吉は泣きそうに顔を歪めた―――




会うだけで終わっちゃった・・・;次こそは!!


back     next    忍部屋へ