目を開けると、心配そうに覗き込む複数の顔が見えた―――
「利吉、気がついたか?」
父の問いかけに頷くと、覗き込んでいた顔がみな、ホッとした表情に変わる。
良かった良かったと言う声を聞きながら、利吉は言った。
「またご心配掛けてしまいましたね・・・すみません」
「だから、しばし安静にしていろといったろうが、馬鹿者」
「申し訳ありません・・・」
謝罪の言葉を言ってから、利吉は少し考え込むように一度目を閉じ。
そして、ゆっくり一同を振り向いて言った。
「あの・・・少し、席を外してもらってもよろしいですか?」
「ああ、そうだね。君も少し一人になりたいだろう・・・」
「ですね、さぁ、お前達も行こう」
「「「は〜い」」」
利吉の言葉に新野が頷き、土井も子供達を連れて部屋を出て行く・・・伝蔵もチラリと利吉を見たものの無言で部屋を出て行った。
オロオロと皆の行動を見ていた秀作も、皆に続こうと立ち上がる。
だが―――。
「君は居てくれ・・・・・・少し、話がしたい」
呼び止められた秀作は戸惑ったような顔をしたが、襖を閉めて利吉の枕元に座った。
座ったものの・・・秀作は居心地が悪そうに体をそわそわと動かす。
何故なら―――話をしたいと言ったのに、利吉が何故かじっとこちらを見つめたまま黙りこんでいるからだ。
「あの・・・・・・ごめんなさい」
「・・・何故君が謝るんだ?」
「さっき倒れたの、やっぱり私の所為ですよね・・・?しばらく利吉さんに会わないように言われてたのに、うっかりここにきちゃって・・・ごめんなさい」
まだ体調が戻らないから、あまり人と合わせたくないと山田先生がおっしゃってたのに、私・・・。
そう言って、秀作は眉を下げる。
「・・・いや。私も君に会いたいと父上に食って掛かっていたところだ。別にここに来たのは悪くない」
「でも、それだけじゃなくて・・・毎日会っていたのに本名も言わなかったの、よく考えたらすごく失礼だったなって思って・・・すみません」
しゅんとした様子で謝る秀作に、利吉は静かに尋ねた。
「・・・なぜ、あの時偽名を?」
「私、女の子の格好でお店に出たほうがお客さんが来るって言われて、女装で店に出ていたでしょう?お客さんにはくれぐれも素性がバレないようにって釘さされて、あの時はずっと『秀子』で通していたから・・・」
「・・・私は客じゃない」
「そ、そうなんですけど・・・女装の仕方を教えてくださった山田先生が、『女装している時は女になりきらねばならん。いいか?この格好をしている時の君は秀作ではなく”秀子”だ。それを忘れないように!』と・・・」
『・・・父上・・・』
それでかと、心の中で溜息を付く。
彼女・・・いや、彼の性格からして、そう言われて頑なに守っていたという経緯はよく理解できた。
「利吉さん・・・怒ってますよね?嘘の名前なんか教えちゃって・・・」
「いや・・・。そう教えられたら、君の性格じゃ偽名の方を名乗るだろうし・・・それに君の行動は正しいよ。女装をしているのに、素性も知れぬものに本名の方を名乗るほうが不自然だ」
「でも・・・騙したみたいになっちゃいましたよね」
俯く彼を見ながら、心の中で呟く。
『ああ・・・まんまと騙されたよ』
我ながら、あの程度の変装が見破れないとは、情けなくて涙が出そうだが・・・。
―――ひとつ言い訳させてもらえるとすれば、彼の女装はとても自然だった。
女装を意識してシナを作ったりすることもなく、仕草も素のまま。
多分、彼は着物と化粧と・・・そして『名前』を変えただけで、それ以外は自然体だったのだろう。
自然体でいても女性と思って違和感のない態度の彼だったから、気がつけなかった。
自分の名を言いよどむ彼に『素性を偽っているのでは?』とは疑いを持ったものの、『性別を偽っている』とは思いもよらなかった。
『・・・さっさと触っておけば良かった』
父が用意した女と勘違いして、早々に組み敷こうとした。
あの時さっさと胸でも触っておけば、あの場で気づいたのに・・・と思う。
そうすれば、今こんな胸の痛みを感じることは無かったかもしれない。
『まぁ・・・それじゃあ、それ以降彼に関わろうとは思わなかっただろうから、後は会うこともなくて・・・今頃、私は鬼になっているな』
あの時男と気づかないでいたからこそ、こうして私は人でいられるのだ。
少々情けないが、そう思うと気づかなくて良かったと自分を慰めることも出来る。
『まぁ・・・消えない心の傷もついたけど』と、内心溜息を吐きながら―――彼を見つめた。
「・・・いや、気づかなかった私が迂闊だったんだ。それより・・・君には本当に迷惑を掛けたな。胸の傷・・・酷くなくて本当に良かった」
「ええ!さっき見ていただいた通り本当にたいした傷じゃないですから、安心してください!」
「でも・・・傷は浅かったが、ずいぶんと怖い思いをさせてしまったな・・・」
―――こうして二人きりでいて、怖くはないか?
鬼に乗っ取られた姿を彼は間近で見ている。
そして、私の姿のものに組み敷かれ、あまつさえ・・・命を狙われた。
彼のお陰で私は鬼を振り払えたが、彼の記憶は消えないだろう。
刺されたことも怖かったろうし、肌を撫でられ舐め回されたことも・・・女であろうと男であろうと、どんなに不快だったかと思う。
そういえば・・・陵辱されそうだというのに、どこかピンときていないような態度だったのは、彼が男だったからなのかもしれない。
―――それでも、怖い思いをさせたと思った。
だが、彼はにこりと笑って言った。
「もちろん、怖くなんてありませんよ!だって、今私の目の前にいるのが鬼なんかじゃなくて、私が大好きな利吉さんだって、ちゃんと分かりますから!」
「・・・っ」
にっこりと笑ってそんな事を言う秀作に、息を飲む。
『秀子』は私を好きだと言ってくれていた。
そして、今『秀作』である彼も、同じ言葉を言った
―――それは、どういう類の『好き』なのだろう?
ドキドキと、心臓が早鐘を打ち始める。
私のことを好きだと言ってくれて、ずっと一緒にいてくれるといった『秀子』。
彼女を女性と信じて疑わなかった時には、天然ボケで少々不安ではあったが・・・その言葉の中には当然、多少なりとも『男女の情愛』が入っているものと思っていた。
『だって、ずっと一緒にいてくれると言ったんだ。少しくらい気があると思っても仕方ないだろう!?』
誰に責められた訳でもないのに、そう心の中で言い訳をしつつ、秀作の顔をチラリと見る。
・・・確かに、一緒に居てくれと懇願した時は鬼から逃れたい一心であって、けっして邪な思いで言った訳ではないが。
それでも、女が男と『ずっと一緒に』と言うのだから、そう言うことだと思っていた。
自分は、あの時にはすでに『秀子』に惹かれていたから・・・一緒に居てくれるという彼女の言葉に、本当に幸せな気持ちになった。
『だが・・・”秀子”は男だった』
つまり、彼にしてみれば『同性との同居』。
・・・特に深く考えもせず了承したのだろう。
『今の「好き」も―――きっと友人としてだろう・・・な』
これ以上妙な期待をしてはいけない・・・。
そう己に言い聞かせようと必死になっている自分に気がつき―――利吉は肩を落とした。
結局―――正体が分かった今でも、自分は『秀子』が好きなのだ。
男と知っていても、『好き』と言われただけで胸が高鳴ってしまう・・・。
『今更どうしろっていうんだ・・・』
彼女を愛していた。
一緒にすごした時間は決して長くないけれど・・・初めて心の底から欲しいと思った女だった。
今更、『あれは仕事の為にしていた変装でした、私は本当は”秀作”で、”秀子”なんて存在しない』と言われたところで、彼女への恋情がそう簡単に消える訳がないではないか。
彼女への想いを、今更無かった事になんか出来はしない。
この気持ちを、どうしていいのか分からない―――。
傷の痛みより胸の痛みが大きくて・・・利吉は苦しそうに目を閉じる。
そんな利吉に、秀作は眉を寄せて言った。
「あの・・・利吉さん?」
「・・・」
「やっぱりお疲れなんですよね・・・私、おいとましますね?」
また、利吉さんの体調が良い時に改めてきますね?
そう言って立ち上がろうと片膝を立てた秀作だったが・・・立ち上がる前に、手を掴まれた。
「利吉さん・・・?」
利吉は布団に横になったまま、片腕を目の上の辺りに置いて・・・疲れて、眠ろうとしているように見える。
だが、彼のもう片方の腕は布団からでて、立ち上がろうとするのを引き止めるように秀作の腕を掴んでいた。
「りき・・・」
「さっき・・・私を好きだと言ったね?」
「え?・・・あ、はい!」
「秀子も・・・私を好きだと言った」
「は?・・・あの、はい。あの時も私、利吉さんのこと好きでしたから」
戸惑いながら答えると、利吉は塞ぐように目の上に置いていた腕をよけて、天井を見つめて言った。
「それは、どういう『好き』だい?」
「え・・・?」
「君は、私の事をどう思っている―――?」
彼の瞳が、まっすぐにこちらを見つめた―――