「君は、私の事をどう思っている―――?」


利吉は静かにそう問いかけた。
秀作は不思議そうに首を傾げたあと・・・口を開く。

「どうって・・・だから、好きですよ?」
「好きにも色々あるだろう?・・・君にとって私はどんな存在なんだ」

君の中で私はどんな位置にいる―――?
そう聞くと、彼はその質問の意味が分からないのか、また首を傾げて。

「どんな位置・・・?」

小さく呟きながら考えるそぶりをして。
しばらくして、やっと利吉の質問の意味が理解できたようにポンとひとつ手を打った。


「ああ!もちろん、友達ですよ!」


満面の笑みで残酷な事をサラッと言った彼は、少しはにかんだような顔で『あ・・・私の方が年下だし、友達なんて言ったら利吉さんに失礼かもしれないですけど』と、的の外れた気遣いを付け足した。

「そう・・・」

思ったより冷静な声が出た。
利吉は呟きのような返事を返した後、目を閉じた―――



・ 鬼と花 ・ ――二十八 ――



「それは・・・大変な思いをなさったな」

話が終わった後―――そう相槌を打った和尚に、利吉は首を横に振った。

「いえ・・・すべて私の未熟さが招いたことですから。自業自得です」
「いや、完璧な人など居はしない。君も私も、未熟。だからこそ人は向上しようと努力し、心の平穏を得るために仏に祈るのだ」

和尚は利吉をみつめて、そう答えた―――



ここは、学園長の旧友が住職をしている金楽寺。
あれからしばらくたったある日―――利吉は父に願い出て、この金楽寺を訪れた。
体の傷が癒えてきたので、今度は心の傷を埋めようと思ったからだ。

「それで、和尚様にお尋ねしたいのですが・・・」
「なんだね?」
「鬼が消え去るのを、この目でみましたが・・・私は、一度鬼と交わった身。この身に、もう本当に鬼は残っていないのでしょうか?」

鬼を何とかこの身から追い出したあの時、鬼は言った。
『お前の中で「鬼」と「利吉」は一つに混じり合った。混じり合って・・・もう、どちらがどちらなどとは、言えんのだよ』と。
そう言われて己の手を見たとき、鋭い爪が生えた鬼の手に変わっていた。
自分から切り離した方の鬼は、その後秀子に消されたが・・・この身に入り込んで混じってしまっていた『鬼』の部分はどうなったのだろう?
鬼の手が人の手に戻っていたから、あの場では目の前で消え去った鬼と共に消えたのだと思っていたのだが・・・。
療養の為に日がな一日床についていると色々なことを思い出し、自分の体から本当に『鬼』が消えたのか不安になったのだ。
不安を口にする利吉に、和尚は先ほど聞いた話を思い出すようなそぶりをしながら、言った。

「いや・・・思うに、『入り混じった』と言った鬼の言葉そのものが虚言だったのではないだろうか?」
「え・・・?」
「闇の住人は人を惑わせるのが本分だ。君の精神を狂わす為に、幻影を見せ、あたかも本当の事を言っているように思わせていたのではないか?」
「幻影・・・ですか?」
「少なくとも、君の手が鬼の手になったのは幻影だろう。その証拠に、君は鬼の手で顔を撫でたら頬の皮が裂けて血が流れたといったが、君の頬に傷なんてないじゃないか?時が経って癒えたといっても、痕まで消えるほどの日数ではないだろう?・・・そもそも、傷などつかなかったのではないか?」
「そ、そういえば・・・」

利吉は目を見開き、己の頬を撫ぜる。
そこに痛みもないし、傷跡に手が触れることもない。
鬼との戦いが終わって気を失い、目が覚めた直後も、体にはいくつも傷があり包帯が巻かれていたが、顔には何の治療もされなかった。
―――顔に、傷等ついてはいなかったのだ。

「君の体から追い出された時、本当はすべて切り離されてしまったのにもかかわらず、もう一度取り付く隙を作ろうと、虚言と幻影で君を追い詰めたのかもしれん・・・」
「確かに、『混じりあってしまった』と思った時、絶望しかけました・・・」
「君が絶望して自暴自棄になれば、またやすやすととりつける・・・だが、君は屈せずに立ち向かって、そして鬼は消えた。それに、鬼を消した清い気の者に触れられても君はなんとも無かったのだろう?ならば、私の目の前に居るのは、紛れも無い『山田利吉』だ。鬼ではない」
「和尚様・・・」

和尚の言葉に、利吉は肩の力を抜いて安堵の表情を浮かべた。
―――だが、和尚の言葉はそこで終わらなかった。


「今の君の中に鬼はいない―――だが、鬼はいつでも生まれる」


ハッと息を呑む利吉に、和尚は静かに続けた。

「もともと、あのような類のものは存在があって無いようなものなのだ。光に触れれば消え去るし、闇があればまたそこに生まれ出る。鬼が現れるのも現れないのも、すべて人の心の持ちようだ。・・・・・・もう、鬼を生んではいけないよ?」

和尚の言葉に利吉は唇を引き結び、深々と頭を下げる。

「肝に命じて―――」

決意と共に、そう答えた。
そんな利吉に頷いて見せえてから、和尚はコホンと小さく咳払いをする。

「よろしい、精進しなされ。・・・ところで、話はこれで終わりかな?他にも何か悩みがあれば相談に乗るが?」
「え?」
「若い君は色々と悩むことも多かろう。拙僧でよければ、お聞きしよう」

労わるようにそう言われて、利吉は首を傾げた。
ここに来たのは、鬼についての和尚様の見解を聞く為だった。それは聞けて、納得も出来た。
その他に聞きたいことなど、特に・・・。
―――言われた事の意図が分からず困惑していると、和尚は再び咳払いをして言った。

「その・・・なぁ。鬼の事以外にも君が心に傷を負っていると、父君もかなり心配されておったのでな」
「・・・ああ」

その言葉にやっと合点がいって、利吉は苦笑した。
父は自分が秀子に惚れていたことを見抜いていたし、彼が私を友人としか思っていないことも知っていたのだろう。
それゆえ、傷が癒えるまでは会わせないように配慮までしてくれていた。
それなのに、あの時思いがけず彼に会って。あまつさえ、正体を知って気を失ってしまった。
その後すべてを知った私のことを、父はだいぶ不憫に思っていたようだったから・・・和尚に相談に乗ってくれるよう頼んでいたのだろう。

「その件は、もう・・・大丈夫です」

知った時は確かにショックでしたが、今は穏やかな気持ちになれました。
そう答えると、和尚は安堵したように笑った。

「それならば良かった・・・君は若く、人生はまだまだ長い。また良い出会いもあろう」
「・・・ありがとうございます」

和尚の言葉に、曖昧な笑みを浮かべて頭を下げた―――



******



利吉はごろりと斜面に横になると、空を見上げた―――。

ここは、秀子と出会ったあの場所。
金楽寺から帰って学園内に与えられた自室に戻ろうとした利吉だったが、思い直してこの場所に足を向けた。
鬼と壮絶な戦いを繰り広げたこの場所は、今は以前と同じ心安らぐ風景をみせていた。

光が暖かい、風の匂いがする。

それを感じて、息を吐く。
この場所に禍々しい気配が無いのにホッとして。
そして、鬼に取り付かれる以前と同じ匂いを感じられたことに安堵する。
安堵して、その場にごろりと横になって天を仰いだ。
今日はとてもいい天気で、青い空が清々しい。
流れる雲を見ながら、物思いに耽った。

―――とても長い夢を見ていた気分だ。

鬼に取り付かれていたのは、数えればそう長い期間ではない。
それなのに、何年も何十年も悪い夢の中にいたような気分になる。

『でも、夢ではない・・・』

姿形がその場その場で変わり、存在自体が曖昧な異形の者。
他人には見えないそれは、それでも確かに自分の近くにいて、まとわりついていた。

『鬼は消えた。そして、二度と鬼を生むつもりはない。・・・けれど』

利吉は、まだ誰にも言わずに迷っていることがあった。
それは、このまま忍として生きていいのかということ。
もう二度とあんな風にはならぬと心に強く刻んではいるが・・・こんな家業ゆえ、不安もある。

確実に、血が流れるのを見る場面に遭遇する。
命のやりとりする時も、必ずあるだろう。

忍すべてが鬼を見るわけじゃない。
父も土井先生も他の先生方も・・・鬼を見ることなく忍の道に生きている。
心強くあれば、鬼など見ることはないのだ。

でも、自分は鬼を見た。

そんな心弱い自分が、このまま忍を続けていっていいのか、心が揺れる。
忍の道を捨てたい訳じゃない。
幼いころから忍になると心に決め、生きてきた。
父のような忍になるのが目標であり・・・その為に血のにじむような努力をし、辛い鍛錬をこなしてきた。
・・・今更、他の仕事をしている自分など想像がつかない。
だが―――今回、自分の命を危ぶめたばかりでなく、いろんな人に迷惑をかけてしまった。

忍を辞めたくはない。
だが、今の自分に忍を続ける資格があるのか?
・・・再び迷惑をかけてしまったりすることは、絶対に無いと言い切れるのか?

延々と同じ事を考えて・・・しばらくして、空転する思考を落ち着かせようと瞳を閉じた。



その時、パタパタという足音と共に、耳に馴染んだ声が聞こえてきた。

「利吉さ〜ん!!」

寝そべったまま目だけ開けて、声の方向に視線を向ける。
そこには秀作がいて、こちらに向かって大きく手を振っていた―――


金楽寺の和尚様の口調が分かりません;;


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