「何をしている!!」
「!!」

意識を飛ばしていたエドは、突然の怒号に、ハッと我に返る。
それでも突然のことで動かない体の腕を引かれ、手にもっていた薬品が床に転がった。
転がったビンの中身が、床にこぼれ、ジュッと音を立てる。

床は解けて、煙が上がっていた―――――




・  路の果て  ・ <4>




「劇物を扱う時に、呆けるんじゃない!!」
「・・・・・・すまない」

怒鳴りつけた赤毛の看守をノロノロと見上げながら、エドは謝罪の言葉を呟いた。
だが、まだ頭がはっきりとしない・・・・

『オレ、なにしてたんだっけ・・・・・?』

確か、レクター中将・・・いや、大将になったんだっけ?・・・から依頼された、
酸に強い金属を研究してて・・・・・・
やっと構築式が組みあがったから、さっき練成して。
ああ・・・・・それで、効果の程を試そうとしていたんだった――――

先ほど床に転がったのは、強い酸性の劇物。
それを練成した金属に垂らしてみようとしてたんだけど・・・・・・
なんだか、意識がはっきりしなくて。
よくは覚えていないけれど、手にでもかかりそうになっていたんだろう。
看守が体を引いてくれなければ、やけどを負っていたのかもしれない・・・・・。

「悪かったよ・・・・・」
「今日はもう休め」
「大丈夫だ・・・・・催促されてんだろ?」
「呆けて怪我でもされたら、余計に効率が悪い。これの他にも依頼されている研究がある」

冷たい調子で言い放つ看守に、エドは『わかった』と小さく呟いた。

手に枷を嵌められ、暗い廊下を看守に連行されて進む。
眼前の闇を見て、もう夜もふけていたのにやっと気付いた。

『こんな時間になっていたんだ・・・・・・・』

窓もない研究室に、夜も昼も無くこもる毎日だから、時間の感覚があまり無い。
廊下にある、小さな窓から見える風景は小さくて・・・・・あまり季節も感じられなかったが、
とりあえず研究室にあるスケジュール用のカレンダーのお陰で、日付だけは確認できていた。

『もう、あれから3年もたったのか・・・・・・・・』

気の遠くなるほど長かった気もするし
あっという間だった気もする。

テロに関わっていた罪を着せられ、中央刑務所に収監されて3年。
エドは18歳になっていた。

投獄されたエドの生活は、一般の犯罪者とはかけ離れたものだった。
毎日同じスケジュール通りに、管理された生活を送るこの国の犯罪者。
だがエドに課せられたのは、国の為に与えられた研究をこなす事。
そのため、生活時間など決まったものがなく、とにかく研究の成果を出すのが第一。
進められる時は昼夜を問わず没頭し、行き詰まったら休む・・・・そんな生活だった。

そのため、複数の人間が一室に詰め込まれることが多いこの刑務所で、
エドだけは他の囚人と一緒にされることはなく、個室が与えられた。
練成を無効化する練成陣が施されているその部屋では、練成が出来ない代わりに手枷が外される。
ただし・・・・ひとたび部屋から出るときは、必ず練成出来ないように手枷がはめられ、
エド専属の看守がついてくる。

そして、毎日長い廊下を歩き、与えられた研究室に通う日々。

そこでは手枷も外され、練成を妨げる陣も施されてはいないが監視役の警備兵が複数つき、
錬金術の心得のあるエド専属の看守が、依頼された研究と違うことをしていないかチェックする。
それでも、逃げようと思えば・・・・・逃げられた気がする。
だが・・・・未だ人質のように弟を監視している軍に、逆らう気がしなかった。
それに、ここから出るだけなら何とかなっても、ずっと逃げおおせるのは難しい事もわかっている。

が、それよりなによりも・・・・・・彼の言葉を信じていたから。

3年もたった。
自分の事など、切り捨ててしまったかもしれない。
頭の片隅でそんなことも浮かぶには浮かぶが・・・・・

『あの男が、一度口に出したことを簡単に反故にするはずがない』

根拠もないのに、そんな自信があった。
きっとアイツは迎えに来てくれる。
だから、下手に騒ぎを起すのではなく、待っていればいい。
本来なら待つのは性に合わないが、このことに関してはそれが最善だとわかるから・・・


だから、自分は彼を待つ――――


・・・・・そう分かっていても、つらい時もあるのだが。

疲労で重くなった体を引きずりながら、ふと顔を上げた。
看守達の詰め所の一つに差し掛かった時、灯りの落とされた部屋の窓ガラスに自分の顔が映った。

『なんか、女みたいになっちまったなぁ・・・・・』

そこに映った顔を見て、エドは顔を顰めた。

昼夜問わず、研究に明け暮れる日々。
この三年、窓から以外、外の景色を見たことがなかった。
折角、鍛え上げていた筋肉はすっかり削げ落ちてしまった気がする。
なまった体を思うと、少しため息が出た。
あれから三年も経つのに、背もたいして伸びていない・・・
いや、いくらかは伸びたのだが・・・・・18歳の男としては全然足りないだろう。
自分は特別待遇ならしく、食事はちゃんと与えられているのに、何故なんだろうと思う。

あまり伸びなかった背、筋肉が落ちて痩せてしまった体、日に当ることない肌はますます白くなって。
・・・・・自分が思い描いていた18歳予想図とは、かけ離れてしまっていた。
伸びたのは、この3年間も一度も切らなかった髪の毛―――
無造作に後で束ねた髪は、もう腰に届いていた。
切りたいと言えば切れただろうが、切りたくなかった。

『お気に入りだから』

あの男が言った、ただ一言が忘れられなくて――――
我ながら女々しいとは思いつつも、アイツが誉めてくれた唯一の物だから、大切にしたかった。
が、その長い髪のせいもあって、容姿がますます女のようになってしまった気がする。

『・・・だから、あんなトチ狂った奴が次々と・・・・』

今朝方の出来事を思い出して、忌々しげに眉間に皺を寄せた。



******



夜も昼もなく暮らしているエドの睡眠は不定期で。
昨夜はキリのいいところまで研究を進めていたため、眠ったのはまだ薄暗い明け方になってしまっていた。
独房のベットでうとうととまどろんでいたら、突如息苦しくなった気がして目を開けると・・・・・
自分に圧し掛かっている、男の顔が見えた。

看守だった。

またか、と歯噛みをしながら、抵抗するものの・・・・・
手はいつの間にかベットに拘束されていて、思うように動かない。
しかも、萎えてしまった筋肉では、屈強な看守に力では叶うはずもなく・・・・・
あっという間に押さえつけられてしまい、首筋に生暖かい息がかかって、鳥肌がたった―――

ここに入ってから、何度かこういう目に合った。
囚人達がギラギラとした目で自分を見ることはあったが、奴らとはいっしょにされることはないし、
管理されてるあいつらには、手出しなど出来ない。
だが、管理する側の看守達の中に、たまにこんなたちの悪い輩がいる。
・・・・・見回りの同僚に金でも握らせたのか、余裕の表情で舌なめずりをする男。

触れてくる手に、吐きそうなほどの嫌悪感を感じながら、成す総べなく目をぎゅっと閉じると―――



「何をしている!!」

そんな怒号と共にドアが開けられ、入ってきたのは・・・背の高い、赤毛の男。
エド専属の看守・ハワードだった。
突然の事に目を丸くしている男は、殴られて・・・外に引きずり出された。
ハワードは外にいた同僚に指示して、そのたちの悪い看守を連れて行かせた。
そしてこちらに向き直ると、ベットに固定された手を解放してくれた。
擦れて赤くなった手首を擦りながら、ハワードを見上げると、相変わらずぶっきらぼうな表情。

「新しい着替えを、後で持ってきてやる」

そう言われて、やっと囚人服が破られていることに気が付いた。
「・・・ああ、わりぃ」
視線を落としてそう小さく呟くと、
「まったく・・・厄介な奴だな。」
珍しくそう無駄事を口にして、ハワードは立ち去って行った。

「オレもそう思うよ・・・」

その後姿を見送りながら、エドはそう呟いた。



『君は自分を分かっていない』

男に声をかけられて殴り飛ばした話をするたび、怒ったように、アイツが口にした言葉。
ここに入れられて、やっとその言葉の意味が分かった――――

『オレって、男にそう言う対象に見られる体質なんだな・・・・・』

昔は女と間違えられているとしか、考えたことがなかった。
そんな自覚のないオレを、アイツは心配してくれていたのだろう。
よく、真剣な表情で小言を言われ、一人で行動するなと注意された。
それでも、何故そんなに怒るのか突っ込んで問うと、途端に困った表情。
最後には、『分からなければいい。・・・君はもっとゆっくり大人になりたまえ』などと、
自愛のこもった笑み付きで、頭を撫でられた。
その後、オレが『子ども扱いするな!!』と暴れて・・・・いつも、その質問はうやむやになった。

アイツにとって、オレは手のかかる、子供だったと思う。
厄介で、心配ばかりかける子供を、それでもアイツは守ってやろうとしてくれていたのだろう・・・
いつも、優しく差し出される手―――
それはオレが期待するような心情ではなくて、多分・・・・・・父性愛のようなもの。

『男受けする体質なんて不本意でしかないけど、それでも好きな人の気を惹けるっていうのなら、
少しは救いもあるのに・・・・・・』

好きな人には全く効かず、あんなのしか寄ってこないなんて、厄介なだけだ―――

『こんな日は、ますます惨めな気持ちになっちまう』

膝を抱えるように丸くなって、再びベットに潜り込むが・・・・・結局寝付けない。
そしてエドは、着替えが届けられると、そのまま研究室に向かったのだった。



******



「なぁ」
「・・・・・・なんだ?」
「よく考えたらさ、今日アンタに助けられたの、2度目だったな」
「・・・・・お前に何かあれば、こっちもただじゃ済まん。もっと気をつけろ」

ぶっきらぼうで、職務に忠実なこの男。
優しい言葉をかけられたこともなければ、笑顔さえもこの三年一度も見た覚えがない。
レクター大将からの命令を直接受けているらしいこの男は、とにかく与えられた研究をこなさせることだけに躍起になっているようだった。
必要以上には、無駄な会話を交わすことさえない。
3年も四六時中一緒にいるのだから、看守と囚人の立場といえど、もう少し打ち解けてもいいだろうに?
そう思って話し掛けたときもあるのだが、相変わらず取り付く島もなく、この頃はすっかり諦めている。
でも・・・・・研究を滞りなく進める為とはいえ、彼は幾度も自分を助けてくれていた。
今朝方のような目にあったのも、1度や二度ではないのだが、いつも寸でで彼が来てくれた。
自分に対して全権を与えられているらしいこの男には、他の看守や所長さえも口を出すことができないらしく、不埒な輩はこれまで全て排除されていた。
この男が好意でやっているわけではないとしても、やはりエドにとってはありがたかった。

「ああ、気をつけるよ。・・・・・・・・・・いつも、ありがとう」

思いがけない素直な礼に、一瞬男は表情を崩した。
めずらしいな・・・・とそれを眺めていると、視線はそらされ・・・上に向けられた。

「今夜は、満月だったな」

呟かれた囁きに、エドも彼の視線を追って上を見上げる。
廊下の高い位置にはめ込まれた小さな窓から、まん丸の月が見えた。

「ほんとだ・・・・・」

また歩き出したハワードについて、エドも足を踏み出す。
だが、その瞳はまだ名残惜しそうに、小窓の月に向けられていた。

――――なぁ・・・・・アンタのとこからも、この月、見えているか?―――――



******



「少将、まだ残っておられたのですか?」
「ああ、ホークアイ少佐。君は夜勤だったか?」
「はい」

書類を捲りながら、ペンを走らせている男を、リザはじっと見つめた。
昔、サボって逃げ出す彼に、銃を突きつけて連行していたのが嘘のようだと思う。

あの時から、彼は休むことをしなくなった。

あの少年が連れて行かれてから、彼は変わった。
もちろん、今までの無能ぶりも、彼のポーズだったのは気付いていた。
上層部の古狸達の視線をかわす為の、フリ。
そんな野心を隠したポーズを取りながら、抜け目なく上を目指していた彼。
だがあの子供を連れて行かれてから、そんなポーズをとることを止めた。
・・・・・多分、最短で上に行く為に、そんな悠長なことをしていられなくなったのだろう。

急激に頭角を現せば、潰されるリスクも増えてくる。
だが、足元を救われないように気を張りめぐらせて、なんとかこの地位まで無事にのし上った。
今では、上層部にも「追い落とそうとする者」と「引き入れようとする者」の力が均衡していて、簡単に追い落とされる心配は少なくなった。
色々な思惑を自分の有利になるように利用して、近々、彼はもう一つ階級を上げる予定だ。

しかし、それでも彼は力を緩めることなく、上を目指す。
その姿はまるで、休むことなど忘れてしまったかのようだった。

「少将、少しお休みになられては?」
「大丈夫だ」
「ですが・・・・・・・」

こんな生活で体がもつのかと、心配になってくる。
リザの表情で言いたいことが分かったらしく、ロイは苦笑した。

「大丈夫だよ、少佐。・・・・・まだ、私は倒れんよ」
「少将・・・・・・」
「だが、まぁ・・・確かに少し今日は疲れたかな。何か温かい飲み物をくれないか?」

ペンを置いて、上体をのばしながらそういうと、彼女はやっと表情を緩めた。

「かしこまりました。すぐにお持ちします」

そう言って退室していくリザの背中を見送ってから、ロイは椅子を回して、窓の外を見上げた。
外の暗闇にぽっかりと浮かぶのは、まん丸の月。

「・・・今日は、満月だったか・・・・」

月を見上げて、ぼんやりと思いを巡らせる。

『部下達には、いろいろと心労をかけるな・・・・』

――――しかし、立ち止まってなどいられない。
              あの子を取り戻すまでは――――――――

目を閉じて、彼の面影を思い描く。
最後に彼が見せた、笑顔―――
確かに彼は笑った。 ・・・・・・しかも、目が離せないほどの、美しく幸せそうな、笑顔。

なのに、思い出すたびに息が出来なくなるのではないかと思うほどの、苦しさに襲われる。
あの笑顔は確かに自分に向けられていたのに、
それに答えることも、側に居ることも・・・今は叶わない。

あの日、自分の中に無意識に閉じ込めていた思いに、気が付いた。

十以上も年下の、恋も初めてだろうあの子に言われて気が付くなど、情けないけれど・・・・・
それでも、やっと気が付いた。

なぜ、彼が気になるのか
なぜ、守りたいと思ったのか
なぜ・・・・・彼が笑うと、幸せな気分になるのか―――

自覚してしまえば、至極単純な答えが出た。
一度あふれ出た思いは、留まる事を知らず、堰きを切ったように次々にあふれ出てくる。
よくぞ今まで胸の奥に押し込めておけたものだと、自分で驚くほどだ。

伝えられなかった答えを伝えるには、権力を手にするしかない。
だから、上を目指す・・・・・・・一刻も早く、彼に会うために。
今、自分に出来ることはそれしかないのだ。

だが、あれから三年も経ってしまった。
彼は、子供の頃の恋心などとっくに棄ててしまって、
・・・・・もう答えなど、欲していないかも知れない。

それでも、伝えたい――――自分の思いを。

答えてくれなくても構わないから
もう一度彼の前に立って
そして、彼の自由を取り戻してやりたかった。

『絶対、取り戻してみせる』

ロイは、切なさを感じながら、もう一度そう誓い、目を開けた。


あれから一日たりとも、彼の面影が浮かばない日はないけれど・・・・・・
こんな月の綺麗な日は、特に切ない気持ちになる。
ロイは目を細めて―――彼の美しい髪を思わせる色のその月を、眩しそうに眺めた。


――――君は、この月を見れているのだろうか?―――――


ロイの呟きは、静まり返った執務室に散っていった。


く、暗っ・・・・・(汗)
一気にすっ飛ばして、話を進めようかとも思いましたが・・・・・
すこ〜し切ない気分を味わってもらう為に(いらん?)、獄中のエドを。
エド〜ごめんね、書いてて可哀想だよ、自分で(T_T)
でも、性的に酷い目に合うのは絶対嫌なので、寸止めで助け人を。(苦笑)
だって、愛してるんだもんエドを!・・・愛のないその手の展開は絶対書かん!!
次回から、一気にクライマックスに話が進みます〜。


back       next      小説部屋へ