瞳を見開いて、息まで止めている少年に、老人は驚きつつも声を掛けた。
「彼を知っているのかね?」
「・・・・・・・」
言葉もなく、ただただ呆然と空ろな瞳を彷徨わせる姿に、途方にくれる。
『知り合いなのは間違いなさそうだけれど・・・そんなショックな事を言ってしまったのだろうか?』
どうしたものかと、周りを見回して・・・腰をあげた。
「・・・・・・お茶が冷めてしまったね。入れなおしてくるよ」
老人がキッチンに向かっていって、一人になった後
エドの顔はゆっくりと俯いていき・・・・テーブルを見つめたまま動かなくなった。
『約束』・・・・・・11
「さぁ、どうぞ。クッキーもおいしいよ?」
入れなおした紅茶と、丸い缶に入ったクッキーを目の前に置かれる。
紅茶の湯気がふわりと顔に当たって、やっと覚醒したかのようにエドは視線を上げた。
「遠慮しないで、食べてみて―――――」
「アイツが」
「え?」
「・・・・・准将が、その注文をしたのって・・・・・いつなのかな」
「ああ・・・・・・確か、一年前ぐらいだったかな?」
将軍職に居るあの人物を『アイツ』呼ばわりする少年に少々驚きつつも、老人は記憶を辿って答える。
彼がこの注文をしたのは、丁度一年位前だったと思う。
以前にも錬金術書を求めて、何度か訪れていた軍人。
年若いのに結構な位についているその男は、同じ地位を持つ者達より気さくな青年だった。
地位に見合った確かな威厳を感じるのに、一般市民に対してはそれをひけらかす事もない。
尊大な態度で接する軍の高官が多い中、彼だけは只の古本屋の主人にしか過ぎない自分に対して、
いつも年長者に対する礼を欠かすことなく接してくれていた。
それに好感が湧いて、彼の欲しそうな物が入った時声を掛けてから、親しくなった。
そんなある日、久方ぶりに店を訪れた彼が、あの注文をした――――――
******
「注文?」
「ええ。このメモの本を集めてほしいのですが」
渡されたメモを見て、老人は驚いた。
そこにあるのは錬金術関係の本だか、希少な物ばかり。それも沢山。
これを集めるにはかなりの時間と金がかかると思われた。
「これは・・・かなりの金額になるよ?もちろん時間もかかるし。全部集められるかも約束できない」
「ええ、分かっています。特に期限はつけませんから、とにかく集められるだけ集めていただきたい。
金額もどのくらいになるか分かりませんが、とりあえずこのくらい前金で入れておきます」
足りなくなった時点で連絡いただければ、また入金しますから。
そう言って差し出された小切手を見て驚いた。
それは、大金で。
確かにこの本を全部集めたらこの位にはなりそうだが、
まだ一冊も集めていない時点でこの金額をポンと出す青年に驚いた。
たとえ高給取りだろうと、信頼がなければ出きる事ではないだろう。
それを感じて老人は嬉しくなり、決意と共に頷いた。
「わかりました、頑張ってみましょう。・・・・・・他ならぬ君の為だしね?」
そう言うと、青年は嬉しそうに笑って『宜しくお願いします』と軽く頭を下げた。
「しかし、君がこの分野にも興味があったとは知らなかったなぁ」
「いえ、私が読むわけではないんです・・・・・・婚約者のために・・・ね」
「おお、ご婚約されたのか!!それはおめでとう」
「ありがとうございます・・・ちゃんとした婚約ではないのですがね、一応は了解の返事をもらえたので」
苦笑しながらも嬉しそうに、どこかはにかむような笑顔を寄越す青年を見て、老人は目を丸くした。
『彼にこんな顔をさせるとは・・・・・・』
しかも、この青年ならどんな女性でも色よい返事をよこしそうなものだが、やっともらえたような口ぶり。
彼にこんなに惚れられるとは、よほどの美人だろうか?
いや、プレゼントすると言う本の内容を考えても、ただ美しいだけではないだろう。
「君がそこまで惚れるのだから、さぞや美しくて賢い人なんだろうねぇ」
「ええ、まあ。とにかく知識を得るのが最高の喜びのようなのでね。贈るならやはり本かな・・・と」
「益々凄いねぇ、しかも内容がこれとは・・・・・・」
「ははは、あの子は確かに天才だと思いますよ。だが、只の天才ではない―――」
天武の才がありながら、努力する事を惜しまない。そんな人です。
そう言うと、青年は愛しげに目を細めた。
「だからこそ少々無理をし過ぎるところがありましてね。目的の為にがむしゃらに頑張っている。
錬金術の研究もそれが最優先で、本来の自分の興味のある分野の研究をすることも適わない。
今は目的を果たす為に仕方ないのですが・・・・・・・
全てが終わったら、思う存分好きなことをさせてやりたいと思いましてね」
――だから、目的を果たして自由になったなら、ゆっくりと自分の傍らでこの本を読んで欲しい――
彼はそう言って微笑んだ。
******
老人の言葉を、エドは反復する。
「自分の、傍ら・・・・・で?」
「ああ。・・・・・・?エドワード君!?」
声が震えているのを訝しく思いつつ、少年を見ると―――――瞳からこぼれる雫。
「ど、どうしたんだい?」
慌てて立ち上がり彼の側まで行き肩に手をかけると、ゆっくりと金色の頭がこちらを見上げた。
はらはらと金色の瞳から涙をこぼして頼りなげに見上げる彼は、
いつもの元気な彼とはまるで別人のようで。
老人は困ったように、とりあえずその金の頭を撫でた。
「・・・・・いったい、どうしたんだい?」
「――――だよ、な」
「え?」
「アイツ・・・・・馬鹿だよな、こんな・・・・・・」
「馬鹿?マスタング准将がかい?」
「アイツなら、もっとさ・・・選り取り緑だろうに、どうして・・・・・」
苦しそうに言葉を繋いで、目を伏せる彼の背中を優しく擦ってやる。
「・・・・・・・・そうかなぁ?私はその人を知らないからなんとも言えないが・・・。
でも、やはりその人は素晴らしい人だと思うよ?」
「なんで・・・・・そう思うの?」
「私は彼を買ってるんだよ、素晴らしい男だと。その彼が選んだ人だからね」
彼にあんな顔をさせられるってだけで、それはそれは凄い人だと私は思うがねぇ?
老人は優しげに微笑む。それはまるで自慢の息子の選んだ人を誉めるような・・・そんな顔。
「・・・・・傍から見て『どうして?』と思う事もあるかもしれないが、
地位とか、お金とか、容姿とか・・・・・そんなものだけで恋に落ちるわけじゃない。
理由などうまく言葉で表せなくても、他人にはわからなくても・・・確かに惹かれる瞬間があるんだよ」
彼もそうだったんじゃないかなぁ?
だって、確かに彼はその人に恋焦がれていたよ。
言葉で『好きだ』と言わなくても、声色から、表情から、仕草から。
――――――からだの全てから、その人への愛しさがあふれるくらいに―――――
そう言って老人は穏やかに微笑んだ。
老人の言葉に、エドは密かに体を震わせて。
そして、静かに瞳を閉じた――――――
******
外はようやく雨が上がって、ところどころ雲の間から光が帯のように差し込んでいた。
「ご迷惑かけました・・・・・いろいろと、ありがとう」
「いやいや、こっちに来た時はまた寄っておくれ。本を買いにじゃなくても、茶飲み話に付き合ってくれたら嬉しいよ」
そう言って微笑むと、少年はもう一度ペコリと頭を下げてから去って行く。
遠ざかる背中を見送っていると、日の光が差し込む場所に彼が差し掛かった。
すると、まるでその光が吸い込まれたかのように、彼の金髪が遠目でも分かるほどキラキラと輝いた。
「!!」
その光景を見て、老人はハッと息を呑んだ。
なぜなら、黒髪の青年が言った科白をもうひとつ思い出したからだ。
『どんな人なのかねぇ、是非会ってみたいもんだ・・・・・・』
興味津々でそう言うと、青年はクスリと笑った。
『そうですね・・・あなたはいつか会うかもしれませんね、ここに本を探しに来るかもしれませんから』
『ほう!特徴は?どんな人なんだい?』
『―――――――――あの子の特徴は、まるで日の光を集めたかのような金の髪と瞳、ですね。
・・・・・会われたら、きっとビックリしますよ?』
悪戯を仕掛けるように笑う彼に、『驚くほど美人と言うことだろうか?』とその時は首を傾げたが。
『確かに、驚いた・・・・・・』
去って行く少年の姿を見送りながら、老人はそう呟いたのだった。