父が出ていった時の事を、今も覚えている。
玄関のドアを開け、トランク一つだけ持って出て行く背中。
こちらを振り返りもせずに出て行くその背中の夢を、何度も見た。
だから、夢の中で幼い姿になっている自分は、
『ああ、またあの夢だ』
そう思いながら、出て行くその背を見つめている。
が、その背が、急にこちらを振り向いた。
いつもは振り返りもせずに行ってしまうのに?
訝しげに見上げ、顔を見た途端―――――ハッとした。
こちらを振り向いた男は、悲しげな顔で言う
『さようなら、エドワード――――』
「!!」
がばり、と飛び起きる。
早鐘を打つ心臓。
背中にはびっしょりと汗。
荒い呼吸を整えつつ、辺りを見回す。
目が慣れてきて、やっとここが泊まり慣れた安宿なのに気が付いた―――
片手を額に当てて、もう片方の手でシーツをぎゅっと握り締めた。
「最悪・・・・・」
見慣れた夢で振り向いたのは、父ではなく、あの男だった―――――
『約束』・・・・・・9
「兄さん・・・・・なんだか顔色悪いみたい。大丈夫?」
昼食を摂りながら、アルフォンスは心配そうに声をかける。
それを聞いて、エドは現実に引き戻されたように、アルフォンスを見つめた―――
丸テーブルに向かい合って座る弟の前にも、食べかけの食事。
生身に戻った弟を実感できる瞬間。幸せなひととき。
元に戻って以来、エドは食事をする弟を
『兄さん、なんだか恥ずかしいよ・・・・・』
そう、彼が照れるほど嬉しそうに見つめながら食事をしていた。
だが、今日は弟の顔さえまともに見ていなかったのにやっと気が付いた。
「あ?ああ、なんでもないって!・・・・・ちょっと夢見が悪くてさ」
あの夢を見た日は、いつも一日気分が悪い。
その上、顔がアレだったから、気分はもう最悪で――――。
本当は食事もまともに喉を通らなかったが、アルに心配をかけるのが嫌で・・・・
エドは無理矢理目の前の食事を口に押し込んだ。
そんな兄に、アルはますます眉を顰めた。
朝食も摂らずに宿の部屋に閉じこもっていた兄を、何とか昼近くになって食事に引っ張り出した。
やっと食事に手を付け出したものの、進まず・・・無理をしているのがありありとわかる。
どうしたものか・・・と悩みつつ、兄に声をかけた
「・・・・・兄さん、これからどうするの?」
「・・・・・・・とりあえず、コレ、返しにいかなきゃだろ?」
フォークをおいて、ポケットから銀時計を引っ張り出す。
シャラ、と鎖が軽い音を立てた。
鈍く光る、銀色のそれをじっと見つめた。
『もう、一生手放す事がなくなったんだと思ってた・・・・・・』
ロイが必要としていたのは『国家錬金術師』としての自分だと思っていたから、
もうこの時計を返す事はないのだと、あの日からそう覚悟した。
返すどころか、あの青い衣を纏うかもしれないのだと・・・・・。
――――アイツが求めていたのが『錬金術師』ではなく『俺自身』だなんて、ありえない――――
でも、事実なんだと・・・・・一晩かけて理解した。
そして、自問自答する。
『オレは、アイツをどう思っている?』
愛せるか?と聞いたアイツへの答えは、いまだ出ない――――
悶々と考える中で、ある事実を思い出して、フッと脱力した。
『今更答えを出しても仕方ねぇか』
さようなら、と。そう言われた。
もう・・・・・今更答えを出す必要もないのだ。
だが・・・・・ずきずきと、胸の奥が痛む―――――
この痛みはなんなんだ?
恩を返せない事への心苦しさか?
約束を果たせない後ろめたさか?
愛情を注いでくれた人を悲しませた罪悪感か?
『この痛みの訳を誰か教えてくれ』
エドはぎゅっと銀時計を握り締めた。
コレを返しにいかなくちゃ。
でも、コレを返してしまったら、今度こそ――――――
『今度こそ、アイツとの繋がりが断たれてしまう』
そう考えた途端、目の前が真っ暗になった。
たとえようもない喪失感。
今までだって、数ヶ月に一度しか会っていなかった筈だ。
あった所で、ゆっくりと会話する暇もなく慌しく旅立って。
オレはいつも賢者の石とアルのことだけで頭をいっぱいにして・・・
アイツのことなんか、偶に思い出す程度だったはずだ。
なのに、今更・・・・・繋がりが無くなる位なんだというんだ?
恩人の進退が心配だったら、親しくなった側近達にこっそり教えてもらえばいい。
会えなくなったって、今までと大差ない。
たとえ、もう一生会う事がなくなったって――――
『・・・・・一生?』
エドは襲ってくる喪失感に思わず身を震わせた。
もう二度と、あの嫌味な笑顔をみることも、
無茶をするたび真剣に怒ってくれる、結構気に入っていた声も聞けなくなって。
肩の力を抜け・・・と、頭を撫でてくれる大きな手も、もう・・・・・
「兄さん!?」
驚いたようにアルが立ち上がり、テーブル越しに肩に手をかけてくる。
「大丈夫?どこか痛い?!」
「え・・・そんなことねぇよ・・・・・」
「だって、泣いてるじゃない」
「!?」
自分の頬に掌で触れて、エドは慌てて立ち上がった。
「オレっ、ちょっと散歩してくる!!」
「ちょ、兄さん!!」
弟の静止を振り切って、走り出す。
外は雨。
でも、構わず走り続けた。
あてども無く進みながらも、この雨が頭を冷やしてくれればいいと思った。
冷えた頭なら、ぐちゃぐちゃの心の中の真実がやっと読み取れるかもしれない。
そう思いながら―――――
『約束・9』終わり・・・10に続く
ベタですが、1回やってみたかった!!雨の中の反省会(笑)