ザーザーザー・・・水音が響く。
だが、上から降り注いでいるのは水ではなく、温かい湯。
その温かな湯がエドの髪をぬらし、体をぬらし、滴り落ちていく。
気持ち良さそうに目を細め、シャンプーを手にとって。
――――エドは、ふと思い出したように呟いた。
「あ・・・・・そういや、またぶん殴り損ねた」
『理想の結婚』
<その3 ”結婚式”>・・・3
「ところで・・・そっちの封筒は何だったんですか?」
一騒ぎ終わった後。
アルはウエディングドレスを丁寧に仕舞いながら、思い出したようにロイに問いかけた。
それを聞いて、何やら凹んで項垂れていたエドも顔を上げる。
「ああ・・・そう言えば忘れていたな」
アルの言葉に、ロイもやっと思い出したようで・・・A4サイズの封筒を開け始めた。
中に入った紙の束を取り出して一枚目を読み出したロイを見て、アルは声をかける。
「あ・・・・・お仕事だったら、僕は席を外しましょうか?」
「こんなもんと一緒に入ってくるって事は、軍務じゃねぇだろ?」
ロイが答える前に、エドは忌々しそうにドレスの箱を睨んでから、ひょいと横から書類を覗き見る。
「あっ、いくら婚約者だからって駄目だよ・・・・・・」
慌てて嗜めようとしたアルだったが、エドは書類を覗き見た途端、呆けたような声をあげた。
「なに、これ・・・?」
覗きこんだ書類には一軒の家の写真が貼ってあり、その家の詳しい間取りなども記されていた。
「家だな」
「いや、そりゃ見れば分かるよ。誰の家なんだ?」
「私達の」
「は?」
「私達の新居だよ」
にっこりと笑うロイに、エドは唖然と口をあけた。
「新居・・・・・?」
「ああ、何しろ結婚するのだからね・・・・・愛の巣が必要じゃないか」
「あ・・・あいの・・・・・・・す?」
呆然と呟くエド。
兄が言葉を詰まらせている向かい側で、アルは、あれ?と首を傾げた。
「あれ?・・・でも大佐って、確かもう家をお持ちでしたよね?」
「確かに今も一軒家に住んではいるが・・・あれは実は私の持ち物ではないんだ。貸家でね。」
転勤が付きものの職場だからね、おいそれと家を買うなどできないし。
身軽な独身だったのでね、貸家で十分だったんだよ――――――――今までは。
その言葉に、アルは驚いたように身を乗りだした。
「えっ・・・じゃあ、この家は兄さんとの結婚の為に義兄さんが用意してくださったんですか?」
「そうだよ。・・・と、言いたい所だがね。残念ながらこれは違う。―――将軍職についた者には、屋敷が貸し与えられるんだよ」
「え・・・・・将軍職って・・・・・」
呆然と聞き返すアル。そして、エドも驚いたように顔を上げた。
そんな二人に、ロイはにっこりと笑って見せる。
「正式にはまだなんだがね・・・・・・・実は、先ほど内示が来たんだ」
「えっ、昇進ですか!?おめでとうございます!!」
「有難う。二ヶ月前テロ組織を壊滅させてからその噂はあったんだがね・・・頑なにストップをかけていたお偉方いたようで、立ち消えになっていたんだが。
・・・どうやら、うるさがたの将軍閣下が折れたようだな。昇進と同時に中央召還だ」
「・・・・・」
意味深に流し目を寄越すロイをエドは見つめた。
――――この男が軍功を上げているのは知っていた。
だが、昇進はいつも噂ばかりでなかなか叶わず、東方に閉じ込められていた感があった。
・・・己の地位が脅かされるのでは?と怯える、地位だけは高い将軍達の妨害が大きかったからだ。
軍というのは、力のある後ろ盾を持つ者が有利。能力はあれど、それが無いものは煮え湯を飲まされ、耐えるしかない。
この男もその通りで―――能力はあったが、後押ししてくれる者が居なかったため、押えつけられていたのだ。だが、今回の結婚話により、それは一転した。
将軍達を黙らせたのは、言わずもがなの大総統だろう・・・どうやら、約束は守るつもりのようだ。
――――それにホッとしつつも、同時に後戻りできないのも再確認して、エドは唇を引き結んだ。
「大佐の次は・・・准将ですか?」
「そうだね」
「・・・・・准将?」
顔を曇らすエドに、ロイはニヤリと笑って見せる。
「准将じゃ不服かい?」
「・・・・・・だって」
「エディ、物事には順序というものがあるのだよ」
君の為にも私の野望の為にも、また昇進してみせるよ!
―――そう言って、ロイは不敵に笑う。
「そう、君が望むならもっと上にのぼりつめてみせる―――――それこそ、すぐにでもね」
余裕の笑みを見せるロイに―――――別に大総統が約束を値切った訳では無い事を知って、エドはホッと息を吐いた。
多分、その『内示』を受けた時に、大総統から説明もあったのだろう。
いかに大総統といえど、戦死した訳でもないのにいきなり二階級特進をさせるのは難しかったのかも知れない。・・・それこそ余計な反発を招いても、こちらもやり辛い事になるし。
とはいえ、少将に昇進するのもロイの口ぶりではそんなに先のことではなさそうだ。
――――エドは、肩の力を抜いて答えた。
「・・・別に、どうでもいいよ。オレはアンタの地位目当てで結婚するわけじゃねーもん」
そう。地位だけじゃなく・・・・・・・・・重要機密入手とか、スト―カー回避とか、秘密保持とかも目当てで結婚するのだ(笑)
にっこりと笑いかけるエドに、ロイもまたにっこりと笑い返す。
「ああ、エディ・・・・・君の深い愛には感動するよ」
「ロイ・・・」
「エディ・・・」
「あ、あの・・・・・今度こそ、僕は失礼させて・・・・・・」
見詰め合う二人を見て、慌てて腰を浮かせたアルに・・・・・エドは密かにほくそえむ。
『すまん弟よ、悪いが少しだけ二人きりにさせてくれ?――――だって、やっぱり一発殴りたい』
エドの唇の端が僅かに上がる。
・・・・・だが、敵は百戦錬磨。そう簡単には思い通りにいかなかった。
「いや。アルフォンス・・・もう少し付き合ってくれ」
ロイはあっさりとそれを却下して、アルをもう一度座らせる。
エドが内心舌打ちをする横で、ロイは手に持っていた書類を広げて、二人に見るよう促した。
エドとアルが覗きこんでみてみると・・・先ほどエドが盗み見た物だけでなく、家の写真が添付されている書類は何枚もある事が分かった。
「さて、どれがいいかな?」
「・・・えっ、じゃあ・・・これから好きな物件を選んで良いって事ですか?」
「よりどりみどり・・・ってか?」
「ああそうだよ――――もちろん、君が気に入ってくれたら、だがね?
元々、昇進うんぬんが無くても新居は用意するつもりだったから、気に入らなければ辞退して別に探してもかまわない」
なんてったって『愛の巣』だ。君の希望は全て叶えてあげたい。
―――そう言って肩を抱き寄せてくるロイに、エドは内心で『うぎゃあ!!』と悲鳴をあげる。
さっきの二の舞は、是非とも回避したい!
・・・エドはロイの胸をさりげなく押し返しながら、引きつった笑顔を返した。
「無駄金使う事無いよ!折角貸してくれるって言うんだ、この中から選ぼうぜ」
「君はしっかり者だね・・・それでこそ私のエディ。安心して家庭を任せられるなぁ」
はははと笑う、白々しい笑顔を無視しつつ・・・エドは家の書類に視線を走らせる。
―――元々根無し草の自分。最初の一ヶ月はそこに住まねばならないが、後はたまに帰るだけ。
・・・別に、どんな家でもかまわない。
考えねばならぬとしたら――――オレの好みより、日常的に住まねばならないこの男の使い勝手の良さだろう。
エドは一通り見定めると、その中の一枚を指差した。
「これなんかいいんじゃねぇか?」
「これが気に入ったのかい?」
「いや、気にいったっつうより、ここが一番中央司令部に近いじゃん。通勤に便利だろ」
「ああ、私の事を考えてくれたのか・・・なんて君は思いやりがあるんだろう」
だがね、といってロイはウィンクした。
「通勤に関しては送迎の車がくるからね、そんなに気にしなくてもいいよ。―――それより、他の付加価値を考えたほうがいい」
私としては、これなど良いんじゃないかと思うんだが?
そう言ってロイは一枚の書類を指差した。だが、覗きこんだエドは不満そうに眉を寄せる。
「これ・・・・・なんか中途半端じゃね?」
司令部への距離はこの中でも遠い方だし。
家の広さも一番と言って良いくらい、狭い。
建物は割と新しく小奇麗だが、それほど魅力ある物件には思えなかった。
「他の部分も見てごらん・・・ほら、離れがあるだろう?」
「離れ?」
確かに、屋敷にくっついてもう一軒小さな家がある。
二つの家は渡り廊下のようなもので繋がっていた。
「以前ここに住んでいた将軍閣下が増築したようだ。・・・ご子息の勉学の為に静かな部屋を用意したらしい」
・・・・・どうやら、これは子供部屋のようなものらしい。とはいえ、『子供部屋』と言うにはおこがましいほど広いのだが。
この位の広さに家族全員で住んでる人は、沢山いるはずだ。
「オレ達には必要ねぇだろ・・・子供が出来る訳でもあるまいし」
同性で子供などできるわけもないし、それ以前になんてったって仮初の夫婦だ。男同士でなくても子作りの予定など、無い。
「子供は望めないが、他にも家族がいるだろう?アルフォンス・・・ここ、君の部屋にどうかな?」
「え・・・・・」
ロイの言葉に、アルは唖然と彼を見上げた。
エドも驚いてロイを振向く――――
「最初は離れではなく一緒に住んだらどうかと思っていたんだが・・・先ほどから君の態度を見ていると、始終私達と一緒にいるのは気まずいのではないかと思えてね。・・・君も思春期の少年だものな」
さっきこれを見て、これなら君も気楽に過ごせるんじゃないかと思ったんだよ。
一緒に過ごす時は本宅にいて、一人になりたい時や静かにすごしたい時は離れの自室でくつろぐ。
・・・そんな暮し方もいいんじゃないかな?と、アルを見つめた。
「理想的におもえたんだが、どうだろう?・・・それとも、エディと少しでも離れるのは寂しいかな?」
それなら別な物件でもかまわないが?
―――そう聞くロイに少し間を置いてから・・・アルは途切れ途切れに聞き返した。
「僕・・・一緒にいて・・・・・いいんですか?」
「もちろんだ・・・・・・私は、エディの伴侶になると共に、君の兄にもなるんだよ?」
―――――家族は、一緒に暮すものだろう?
そう言って笑うロイに、アルは言葉を詰まらせて・・・・・そして、笑った。
「僕・・・・・これからは宿で一人で過ごすんだと思っていました」
「何故だい?」
「だって新婚ですよ?どう考えても僕、邪魔だろうし・・・でも、悲観してた訳じゃないんですよ?
兄さんが幸せになるのはとても嬉しいから。本当に本当に嬉しくて―――でも同時にやっぱり寂しくもあったんです」
僕、ブラコンですからね・・・・・自嘲気味にそう苦笑するアルに、ロイは微笑んだ。
「エディにとっても、君はかけがえのない大切な弟だと思うよ。・・・・・だから、私も大切にしたい」
ここで一緒に暮してくれるかな?―――家族として。
―――そう問うロイをじっと見つめて、アルは立ちあがって右手を差し出した。
「――――――宜しくお願いします。・・・・・にいさん」
表情が変わらぬ鎧の顔。
だが、エドには嬉しそうに微笑む弟の顔が見えた――――
******
新居は先ほどの物件に決めて、エドとアルは二人で宿に帰ることになった。
――――ロイが『結婚しても一緒に住むとはいえ、結婚式まであと僅か。それまで兄弟水入らずで過ごしたほうがいい』そう、宿への帰宅を薦めたからである。
アルが先に出て、エドがそれに続きドアの前まで進む。
だが・・・ドアの前でエドは立ち止まり。弟に『玄関で待っててくれ』と言って、ドアを一旦閉めた。
「エディ?」
「・・・アルの事、何企んでやがる?」
「企んでいるとは・・・・・酷い言い方だな?さっきの説明では納得いかなかったかね?」
「オレだってアルの事は気になってたさ。結婚したら、やっぱり一人にしちまうことが多いと思うし。
・・・それでもアンタに何も言わなかったのは、一緒には暮せないと思ったからだよ。
一緒に暮せば・・・・・バレる可能性が大きくなる」
だからあえてアルには一緒に住もうとは言わなかったと、エドはロイを見上げた。
「そんなに神経質になることはないと思うが?・・・私達がうまくやればすむ事だ」
「24時間演技なんて出来ねぇ」
ムッと唇を引き結ぶエドに、ロイは苦笑して・・・・そして、その顔を覗きこむ。
「別に24時間ラブラブでいる必要はないだろう?―――本物の夫婦だって、一日中引っ付いている訳じゃない。
それに、何の為にわざわざ離れのある家にしたと思っているんだ。
・・・弟の目が、一日中私達に向けられる事などないよ」
普通に暮せばいいんだよ。―――それでも息を抜きたいと思うときは、それこそ彼の目の前でひっついてみせればいい・・・・・気の効く弟だからね、君が何も言わずとも自室にひっこんでくれるよ?
―――ロイは何ともない事だといった風に、気軽にそう言った。
「結婚したら、彼には猫でもプレゼントしようかと思っているんだ。――――飼うのは離れ限定と条件をつけてね。そうすれば、彼は喜んで自室に行くだろうし、楽しくすごせると思うよ?」
あの家は庭も広いし、動物を飼うのにももってこいだ―――――――だから、心配はいらないよ。
ロイはそう言って、エドの頬をスルリとひとつ撫でた。
いつもなら払い落とすその手を甘んじて受けてから、エドはもう一度確認する。
「・・・・・・アンタは、それでいいんだな?」
女のところに行きづらくなるかもしんないぞ?
そう聞くエドに、ロイはくっくと笑った。
「・・・まったく、君は理想的な妻だね。私に上に行くチャンスをくれ、浮気も容認・・・どころか、推奨してくれるんだからな?」
ロイはひとしきり笑った後、エドをじっと見つめた。
「私は弟から君を取り上げる気もないし――――君から弟を取り上げるつもりもないよ」
君のブラコン具合は痛いほど知ってるしね?―――そう言ってまたにやりと笑う。
「エディ。私達は確かに仮初の夫婦だがね・・・確かに世間も認める家族になるんだよ」
「・・・・・・・家族?」
「そう。君も君の弟も―――出来うるかぎり、守りたいと思う」
それが・・・家族だからね。と、ロイは微笑んだ。
『さあ、アルフォンスが待っているよ?・・・明日、またおいで』
そう言って――――ロイはエドの背中を押したのだった。
******
「家族か・・・・・・」
茶番だ。
仮初の夫婦、仮初の家族。・・・全部嘘っぱち。
皆を騙した上で成り立つ―――――偽りの、絆。
だが・・・アルは確かに嬉しそうで。
そして―――――――――――やはり、オレはアルと離れずに済んでホッとしているのだ。
「だから殴りそこねちまったんだよな・・・・・・」
オレにこんな茶番を演じさせるあの男を、絶対一発殴ってやろうと思っていた筈なのに。
でも・・・と、エドは俯く。
―――殴り損ねてしまったけれど・・・・・・・ありがとうも、言いそこねた―――
排水溝に流れる湯を見ながら、エドは小さくそう呟いた。
ここまで!と決めていた所まで書いたら、やたらと長くなりました(汗)
書くのも時間かかりましたが、読むのも時間がかかったかと・・・す、すみません。
ダラダラと長くなって申し訳ない。ああ、早く結婚式まで進みたい・・・(涙)