期間限定ながら『家』に落ち付き、『家事』なんてものこなしながら、『家族』と暮らす。
ついこの前までとは、まるで違う生活を送りながら思う。
今は慣れないこれらにも、そのうち慣れていくのかな・・・と――――――
朝食の後片付けをしていると、電話のベルが鳴った。
泡だらけの皿とスポンジを持ったアルが、テーブルを拭いていた兄を振りかえる。
「あ、電話だ。兄さんでてよ〜」
「おう」
使い終わった布巾をシンクの方に放り投げて、エドはバタバタと電話台に向かった。
5回目のベルと同時に受話器を取る。
「はい。マスタング―――」
『エディ、私だ』
「・・・・・ロイ?どうしたんだ?」
思わぬ相手に、エドは訝しげに眉を寄せる。
『君の声が聞きたくなって』
電話口から聞こえてきたのは、先程送り出したばかりの夫のふざけた科白だった――
・ 理想の結婚 ・ <その4 ”新生活”>・・・6
こめかみの辺りにピキリと皺を寄せ、ドスを効かせた声で返事を返す。
「・・・ふざけてんなら、切るぞ?」
『すまん、冗談だ。・・・実は忘れ物をしたんだが』
「忘れ物?」
聞くと、居間のテーブルの上に書類袋を忘れたらしい。
開け放しのドアから覗きこむと、確かに茶の書類袋があった。
「あったぞー」
『そうか。すまないが君、今から届けてくれないか?』
急ぎだから頼むと言われ、エドはしぶしぶながら了承し受話器を置いた。
「・・・しゃーねぇなぁ」
ブツブツと文句を言いながら弟に軍部に行って来ると言い置いて、コートと書類袋を掴んで乱暴にドアを開ける。
すると、通いで来てくれるようになったメイドのローザが丁度玄関前に着いたばかりだったらしく、驚いた様に目を丸くして立っていた。
「あ、ゴメン!ローザさん、おはよ」
「エドワード様、おはようございます。・・・お出かけですか?」
「ちょっと軍部に行って来る。悪いけど、洗濯と掃除頼める?アルも使っていいから」
「はい、お屋敷のことはお任せ下さい。いってらっしゃいませ」
にこりと笑うローザに手を振って、エドは走り出した。
******
門衛の敬礼を受けながら軍部内に入る。
東方より不慣れだが、何度か中に入ったことがある中央司令部。
案内は断り、『勝手知ったるなんとやら』でずんずん奥へと進んでいく。
だが、歩き出してすぐに後悔した。
自分に向けられる視線・視線・視線―――
視線に追われることはよくあったので、慣れてはいるが・・・
それでも、以前にも増して寄越されるそれは、居心地悪い事この上ない。
しかも、前よりバリエーションが増えている。
前は、男からの気色悪い視線が大半。
それが今はそれプラス、女の恨みがましい視線が混じった気がする。(中には何故かキラキラした瞳で見つめる女性達も?)
そして、男からの視線も、前より湿っぽく鬱陶しいものになったような?
そう思っていると―――エドの予想に違わず、どこからか『エドワードさん、なんであんな男と・・・』という暗い声と、ぐすっと鼻を鳴らす音が聞こえてきた。
げんなりとした気分で、胸の中で呟く。
『受付に預ければよかった。それか、側近か誰かに受付に来てもらうとか・・・』
しかし、今更受付に戻るのもバカらしい。
さっさと渡してとっとと帰ろう―――
そう思いつつ、エドは視線を振り切るように、足を速めた。
だが―――
『チクショウ!』
どの廊下に出ても、どの角を曲がっても同じような視線が纏わりついてくる。
中には物理的に追いかけてきている者までいる。
エドは眉をよせ、今度は走り出した。
追われる者の恐怖を感じながら、逃げるように走って走って走って・・・
軍人達が多数行き来する、広い廊下でやっとロイを見つけた。
ぱあっとエドの表情が輝く―――走りながら、名前を呼んだ。
「ロイ!」
『これで帰れる!』
解放される安堵感に、我知らず微笑んでスピードを上げる。
・・・結果、まるで体当たりのように突進してしまった。
こちらに配属なってからの部下らしき男に何かを指示していたロイは、驚いたような顔をして腕を広げ、エドを抱きとめる。
「エディ?」
「これ・・・」
彼の腕に掴まって肩で息をしながら、その胸に封筒を押し付ける。
ロイは困惑したような顔をしてそれを受け取ってから、先程話をしていた部下にその袋を預けて先に行かせ、エドを振向いた。
「ありがとう。・・・すごく急いでくれたんだね?」
「・・・ここまで急ぐつもりはなかったんだけど、あまりの居心地悪さに走らずにはいられなったんだよ」
口を尖らしてボソリと呟くエドに、ロイは辺りをさりげなく探る。
気がついたのは、寄越される視線。
・・・状況を察して、苦笑した。
「・・・なるほどね」
その視線にあからさまに嫉妬が混じり、みるみるそれが膨れていくのを感じる。
―――エドもそれを感じて、ピクリと身じろいだ。
『さっさと離れよう・・・』
オレも居心地悪い事この上ないが、多分それはオレよりこの男の方が大きいだろう。
オレと違って毎日出勤している訳だし、なんたって軍部は圧倒的に男性の比率が多い。
・・・・・つまり、軍部内に限って見れば、オレよりこの男の方が不快な視線や嫉妬のオーラを向けられる事が多いのだ。
『いくら図太いこの男でも、毎日それじゃ辛いだろ・・・』
刺激与えて、これ以上大変な思いさせるのも気の毒だしな。
そう思いつつロイに掴まっていた腕を離そうとしたのだが、彼の手が自分のそれに重なり、止められた。
驚いて見上げると、そこにはニヤリと笑う男の顔があった。
「エディ・・・そんなに私に会いたかったのかい?」
「は?」
「さっき家を出たばかりなのにしょうがないな・・・でも、嬉しいよ」
「ちょ・・・ロイっ!」
抱き寄せられて、焦る。
『これ以上煽るなって!!』
抗議しようとして・・・感じた気配に、息を詰めた。
さっきまでの嫉妬だったものが変化して―――まるで、殺気に近いものになっている。
「つっ・・・!?」
「もう少し一緒にいてやりたいが・・・これからすぐに会議なんだ。せめて下まで送ろう。おいで?」
だが、ロイはそれを気に留めた風もなく、エドの腰に手を回して。
顔色をなくしたエドをエスコートしながら、歩き出した―――
******
歩きながら、周りには聞こえぬくらいの小声で話し掛ける。
「アンタ、馬鹿か?」
「ん?」
「あの視線、気がつかなかったのかよ!?」
「ああ、あれね・・・・・」
「そうだよ、あんな煽るようなまね・・・」
責めるような口調でそう言ったエドだったが―――
「なかなか、気持ちよかったね?」
「・・・・・・・は?」
「羨望を一身に受けるというのは、なかなか快感だ」
男はこちらを見つめ、ニヤリと笑った。
「クセになりそうだな」
楽しげに笑うロイを、エドは唖然と見上げた。
「アンタ・・・やっぱり馬鹿だろ?」
「どうせなら『大物』とでもいってくれたまえよ?・・・・・前にも言っただろう『楽しみたまえ』と。それに、あんな視線など取るに足らないよ」
「は?」
「あんなのに負けていては、上には進めないよ。強敵はうようよいるんだからね?」
君の夫はそんなにヤワじゃないよ?
不敵な笑みを浮かべるロイをポカンと見つめて・・・
やがて、エドもニッと笑った。
「だよな」
「そう、心配は要らな・・・」
「面の皮がセラミックで出来てそうなアンタが、あんな視線なんか気にする訳ねぇか」
「・・・・・それは誉めているのか?」
「一応ね?」
眉を寄せるロイに、今度はエドが可笑しそうにくくっっと笑って見せる。
先程まで不快で堪らなかった視線も、あまり気にならなくなっていた。
『確かに、こんなものに負けてらんねーよなぁ』
そう思った辺りに、外へと続く扉が見えた。
「んじゃーな」
別れを言いながら振り向くと、男の手が顔に向かって伸びてきた。
「ああ・・・気をつけて帰りたまえ」
指が、名残惜しそうに頬を滑るようになでてくる。
その感触にピクリと体を震わせて、ちょっと赤面した。
『・・・なんでコイツの仕草っていちいちエロくさいんだっ!!』
赤くなった顔で睨むと、クスリと余裕の笑みを寄越してから、指が離れて行く。
心の中で悪態をつきながらそっぽを向くと、いつの間にこんなに集まったのか?と思うほど大量の嫉妬と嘆きの視線が目に入った。
さすがに一瞬怯んでからロイを見上げると―――それを一身に受けても、男はやはり涼しい顔で笑っている。
むう・・・と、少し口を尖らせながら、思った。
『ま、そのぐらいじゃなきゃ、オレも困るけどさ』
なんてったって、この男には大総統に上り詰めてもらわなくてはならないのだから。
そう思いつつも、自分だけ慌ててコイツはこんな涼しい顔でいるのが、なんだか悔しい気がする。
『たまには、焦らせてやりてぇ』
こんな視線にも負けたくないが、コイツにも負けたくねー!!
俯いて少し考えてから―――悪戯をおもいついたようにニヤリと笑って、ロイを見上げた。
「ロイ」
「ん?」
手招きすると、笑顔のままで夫は少し身を屈めてくる。
その肩に手をかけて、頬めがけて背伸びした。
ちゅ
見えたのは、ぽかんとした夫の顔。
次に聞こえたのは、辺りの阿鼻叫喚。
やはり、『エドから』というのはインパクトがあったようで、辺りに今までにない強烈な嫉妬のオーラが広がる。
―――我に返ったロイは、責めるような目でエドを見つめた。
「・・・・・エディ、やりすぎだ」
「そう?・・・・・少し五月蝿くなったけど、アンタなら余裕だろ?」
ニヤリと笑って、ロイからスルリと身を離す。
「仕事、頑張れよ」
後ろ手で手を振って、さっさと出口に向かった。
出る直前にチラリと後ろを覗うと、ロイの渋い顔が見えた――――
******
「エドワード様、おかえりなさいませ」
「ただいまー」
「兄さんおかえり、ご苦労様・・・」
アルはそう言って兄を振りかえり・・・そして、怪訝そうに首を傾げた。
「兄さん・・・・・・なんか、機嫌がいいね?」
家を出る時は機嫌悪そうだったのに、今は鼻歌でも歌い出しそうな雰囲気だ・・・
そう思いつつ問いかけると、兄は満面の笑みをよこした。
「そうか?――――――ロイの顔見たから・・・かな?」
その言葉にアルはあっけにとられた顔をして、ローザと二人顔を見合わせた。
二人はもちろん愛し合って結婚したのだけれど、兄は照れくさいのか、自分から義兄を好きだというそぶりを見せる事はほとんどない。
(義兄さんの言葉やスキンシップに真っ赤になってることはよくあるけどね/笑)
『・・・いったいどう言う気持ちの変化だろう?』
困惑するアルの隣で、ローザは嬉しそうににこりと笑った。
「それはようございましたね」
「うん」
笑って答える兄を見つめながら、『少しは素直になってきたってことかなぁ?』と、とりあえずそう納得する事にして。
「・・・ごちそうさま」
弟はそう呟いて、苦笑したのだった――――
******
「あの顔・・・何度思い出しても、笑えるな〜」
一人になったエドは、くっくと笑い・・・
そして、『いつまでも負けてられるかってんだ!』と、舌をだした。
『楽しめ・・・って言ったのは、アイツだしな?』
最初はこんな生活耐えられるのか?と思ったけれど・・・・・
家事だけでなく、色々『慣れて』いくものなのかもなー?
―――――そう思いつつ、ロイの顔を思い出して一人笑うエドだった。