物音と一緒に聞こえた悲鳴に、ベルガーとロイ、二人同時にドアを振り向く。
二人が見つめるドアの向うで、今度はカシャーンと何かが壊れる音が響く。
―――途端に、ベルガーの顔色が変わった
「私のコレクションが・・・っ!」
宝石を棚の上に投げすて、ベルガーが蒼白の顔で部屋を飛出していく。
それを見送って、ロイは呟いた。
「本当に金や宝石より美術品の方が大事なようだな・・・」
今どうやってこの部屋を出ようと思案していたのに、お陰で易々ここから出られそうだ。
もしや・・・彼が私に目をつけたのは若い将校の中で一番の出世頭ということより、『焔の錬金術』に彼なりの価値を見出したということの方が大きいのかもしれない。
―――そう、ベルガー自ら開け放っていったドアを見つめて思った。
『美しいなどと言っていたしな・・・』
だが、あんなオヤジに好かれたところで嬉しくもなんともないし、ご自慢のコレクションの仲間入りをするつもりもない。
フンと鼻を鳴らして、足を踏み出す。
『さて、この機に我が愛しの妻を迎えに行かせてもらおうか―――』
エディ・・・無事でいてくれよ?
小さく呟き、ロイも部屋を出た―――
・ 理想の結婚 ・ <その5 ”蜜旅行”>・・・10
コレクションルームに戻ると―――壊れたランプの欠片が床に散らばり、ホテル従業員がランプが落ちた辺りの絨毯を必死に靴で踏みつけている。
どうやらそこに火がついたようだがすでに踏み消されたようで、従業員が踏みつけている絨毯には炎は見えず、黒い焼け焦げがあるだけだった。
焦げ臭さが充満する部屋の中視線を動かすと、動揺した招待客が入り口辺りを凝視しているのが目に入る。
―――見ると、そこには血まみれの男が倒れていた。
ロイは目を見開き、立ち尽くす客を掻き分けるようにして男の元へと進む。
「おい!しっかりしろ!!」
招待客が遠巻きに見つめる中―――
駆け寄ってその場に膝をつき、うつぶせの体を仰向けに起こしてやる。
見ると、このホテルの従業員の制服を着た、少年といっていいほど若い男だった。
肩の辺りから胸にかけてべったりと血のりがついている。
「医者を!」
先程火を消していたホテル従業員に向かってそう叫び、少年に向きなおる。
軽く頬を叩くと、小さいうめき声と共に、少年はうっすらと瞼を開けた。
「どうした!?何があった?」
「・・・よばれて・・・へやにいったら、きゅうに・・・さされ・・・て」
「誰に?」
「ほてるの・・・せんぱい」
止血を試みながら問うと、少年はそう答えた。
彼に傷を負わせたのは、どうやらこのホテルの従業員のようだ。
呼ばれていった部屋で急に刺されて・・・壁際の棚に倒れこむようにつかまったところにとどめを刺されそうになって、とっさに手元近くにあった置物で殴って部屋を出てきたという。
出血で朦朧とする頭で這うように廊下を進んできたところに、この部屋に人が入っていくのが見えたので、ここに助けを求めにきたらしい。
「わかった、その男はこちらで捕らえる。もうしゃべるな」
出血の酷い彼にそう言ってやりつつ、ロイは顔を上げた。
「医者はまだか!」
「は・・・あの・・・」
顔を上げて、ロイは顔を顰めた。
何故なら、先ほど医師を呼ぶように指示した従業員がまだそこに立ったままだったからだ。
ロイに睨まれた従業員の男が、戸惑った顔でベルガーの方をチラリと窺う。
それに違和感を感じて眉を寄せた時―――少年が苦しそうに息をしながらロイの腕を掴んだ。
「・・?どうした?」
「どう、しよう・・・あのおきゃくさん、あぶない」
「客?」
「きんぱつの、きれいなおきゃくさん・・・」
「!?」
―――金髪?
「・・・金髪の客が、どうした?」
「ぐあいわるいって・・・、ろうかできをうしなったから・・・へや、に」
「気を!?宿泊していた部屋に運んだのか?」
「とちゅうあったおとこのひとが、ここだって・・・じぶんのつまだって・・・でも、おもいだした」
「おもいだした?」
「あのひと・・・あのおきゃくさんに、のみもの・・・もっていけっていったひとだ」
「!」
「あれのんで・・・おきゃくさん、ぐあいがわるくなったって・・・」
そこまで言って、少年は苦しげに咳き込んだ。
「本当にお医者さん呼ばなくて大丈夫かなぁ、あのお客さん・・・」
見習いホテルマンのトムは、廊下で気を失った客を部屋に送り届けた後、長い廊下を歩きながらそう呟いた。
その客はとても人目を引く人だった。
大人ばかりのパーティだったから、年若いというだけでも目立つ存在ではあったが・・・それ以上に、その客はとても美しくて・・・・思わず目を奪われた。
そんな人にドリンクを運ぶように言われた時は少しドキドキしたが、言われた通り渡す事が出来てホッとしていた。
「でも・・・男だったんだな、やっぱり」
気を失った彼を運ぶ際に触れたおかげで、図らずも確認してしまい・・・ちょっとだけ凹んだ。
タキシードを着ていたし、凛々しい振る舞いは彼が女性でないということを物語っていたけれど・・・とにかく綺麗な人だったし、パーティが始まる少し前に男の人に抱きしめられていたから、『もしやあんな格好だけど女の人なんじゃ?』と淡い期待を持っていたのだ。
でも、期待はあっけなく破られてしまい・・・トムは肩を落としながら、呟く。
「そういや、同性結婚出来るようになったんだった」
気を失ったあの人を抱えて慌てていると、突然現れた人に『私の部屋へ』と言われて戸惑った。
でも、『私は彼の夫だよ』と言われて内心驚きながらも、『そう言えば男の人と抱き合っているのを見たな・・・あれは夫婦だったからなのか』と思いつつ、彼を部屋に運んできた。
『同性結婚が認められたのは知っていても、本当に結婚する人なんかいるのかなぁと思ってたけど・・・あんなに綺麗な人なら、いいかも』
ぼんやりとそんな事を考えつつ、顔面蒼白な彼の顔を思い出して顔を顰めた。
「それにしても・・・よっぽどお酒に弱いんだな?」
言われて勧めたドリンクが酒だったのは、自分も知らなかった。
だから、年若いあのお客さんにも迷わず勧めてしまったのだが・・・でも、たった一杯だったのに?と、少し不思議に思う。
「頼まれて渡したんだけど・・・やっぱり俺の所為でもあるよなぁ」
落ち込んだ声で、呟く。
彼にドリンクを勧めた後―――慌しく仕事をする中でふと見ると、あの人の様子がおかしくて。
それが、見るたびに酷くなっていくようで心配していた。
とうとうよろよろと廊下を出るのを見て、勝手に持ち場を離れて後を追うと、廊下で倒れそうになっていて驚いた。
あのドリンクの所為かと聞くと、そうだと言うから、本当に焦ってしまった。
『どうしよう・・・やっぱりもう一度戻って・・・でも、大丈夫だって言われたしなぁ』
あの人のご主人に預けてきたのだし、自分が心配することではないのだろう。
そう思った時―――ふと思い出した。
『あれ・・・?』
あの綺麗な人が会場で抱き合っていたのは、黒髪の人だったんじゃ?
見たとき確か、『黒と金・・・映えるなぁ』と思ったのだ。
でも、今預けてきた人は金髪で・・・。
『え、じゃあ・・・ご主人以外の人とあんなに熱い抱擁を!?いや、違う―――』
トムはハッとして、立ち止まった。
よくよく思い出してみれば、あの『ご主人』・・・あの人にドリンクを持って行くよう言った人じゃないか?
頼まれた時は眼鏡を掛けていたので少々印象は違うが・・・確かに、さっきの『ご主人』だったと思う。
このドリンクをあの方に―――
慣れない給仕の仕事にあたふたと歩き回る自分を呼び止めた客は、そう言ってグラスを差し出した。
そして、『あの方とお近づきになりたくて料理長に特別に用意してもらったドリンクなんだ・・・必ずあの美しい方に届けるように』と念を押した。
お近づきになりたいという割りに、お客様からだとお伝えしますと言ったら、『いや、言わなくていい。ただ、「口当たりの良い、美味しいお飲み物です」とだけ言って勧めてくれ』と言われて不思議に思ったんだった。
『お近づきになりたいということは・・・つまり、初対面だってことで・・・』
さっきの人・・・本当はあの人のご主人じゃない!?
サアッと血の気が引くのを感じる。
あの客の正体は分からないが、自分はなにかとんでもない事の片棒を担がせられたんじゃないかと不安になった。
「と、とにかく、もう一度戻ろう!」
「トム」
「!?」
部屋に向かって駆け出そうとした時、名を呼ばれて振り向く。
すると・・・そこにはこのホテルで共に働く先輩従業員がいた。
「あ、先輩!」
「どうした?勝手に持ち場を離れて」
がっちりとした体格のこの先輩は少々怖いイメージの人でもあり・・・トムは萎縮しながらも、何とか状況を伝えなければと口を開いた。
「す、すみません・・・でも、今は緊急事態でっ!」
「緊急事態?」
「あの、さっきお客様の一人が具合悪そうだったので部屋に送ってきたんですが、ご主人だと言われて預けた人が、本当はご主人じゃなかったかもしれないっていうか・・・っ」
「なんのことだ?・・・とにかくここでそんな話をしてお客様に聞かれたらマズイ。ここに入ろう」
先輩に促されて側にあった使っていない客室に入ったトムは、先輩がドアを閉めたのを確認してから勢いこんで言った。
「気を失ったお客さんをご主人だという人に預けてきたんですが、よくよく思い出してみたら違ったんです!ご主人だと名乗ったあの人、気を失ったお客さんに飲み物持って行くように俺に言いつけた人だった!」
アレを飲んだ後、お客さん体調を悪くされたんです!あの男の人、何かしたのかもしれない!!
そう訴えると、先輩は考え込むように首を傾げて言った。
「・・・つまり、その男が飲み物に何か入れて、お前に持たせたと?」
「はい。持っていくよう頼まれた時、あのお客さんを口説きたそうだったんですよ・・・そんな人に、気を失ったあの人を預けてきちゃって・・・どうしよう、何かあったら・・・お、俺、やっぱりさっきの部屋に戻ってみます!」
トムは口早にそう告げて、ドアに向かおうとした。
だが―――。
「トム」
「え?」
振り向くと同時に、先輩の腕が自分に向かって振り下ろされるのが見えた。
次にドンという衝撃と共に、体に強い痛みが走る。
よろけながら痛みの走った場所を見ると、肩の辺りから血が噴出し、みるみる服が赤く染まっていくのが見えた。
痛みに呻きながら先輩を見上げると、彼は今までみたこともない冷たい視線でこちらを見下ろしている。
「余計な事はしなくていい」
そう言った彼の手には、鋭いナイフ。
銀色に光る刃には、べったりと血がついていた。
「せん・・・ぱい?」
「気付かないでいいことに気がつきやがって・・・」
そう言いながら、再び振り下ろされるナイフ・・・咄嗟に身を引くと、後ろのサイドボードにぶつかって倒れそうになった。
バランスを崩した体に向けてまたナイフが迫って、頭が真っ白になる―――。
・・・気がついた時には、自分の手にはブロンズの置物。
そして、目の前には先輩が倒れていた。
そのまま自分も倒れそうになりながらも、ここにいてはダメだという一心で、這うようにして部屋を出た―――。
気が遠くなりそうになりながらも、トムは必死に目の前の客の腕を掴んだ。
「あのひと・・・たすけて・・・・・・」
そんなつもりじゃなかったとしても、自分があの人を窮地に追いやってしまった。
このまま自分が気を失えば、あの人は・・・!
「おねがい、です・・・おねがい・・・」
ガンガンと痛む頭と、ずきずきと脈打つ傷口に痛みに耐えて訴えると―――目の前の客が、彼の腕にすがっていた自分の手首を掴んだ。
「大丈夫だ」
見上げると、黒い瞳がこちらを真っ直ぐに見ている。
「心配するな―――妻は、必ず私がこの手で取り戻す」
そう力強く言い切る彼は、漆黒の髪をしていた。
『ああ・・・』
この人だ。
この人が、あの人の・・・。
『良かった、今度こそ間違いない―――』
トムはホッとしたように息を吐いて、部屋番号をロイに告げると、とうとう気を失った―――。