力つきたように気を失った少年に「ありがとう」と小さく礼を言い・・・。
掴んでいた手をそっと下ろしてやってから―――胸の中で、苦々しく呟いた。


『エディ・・・やはり、すでに敵の手の内に落ちていたか』


やはり、離れるべきじゃなかった―――。
後悔の念が沸き上がるが、過ぎたことを今更言ってみてもどうにもならない。
そんな暇があるなら、一刻も早く彼の元へと行くべきだろう。
だが・・・。

―――ロイは、目の前で力なく横たわる少年を見つめた。




・ 理想の結婚 ・ <その5 ”蜜旅行”>・・・11




『彼の行動は、さそがし誤算だったことだろう』

闇の策略に巻き込まれ、訳も知らないまま闇に葬られるはずだった少年。
だが、彼は自分の運命を自分で変えた。
シナリオにない彼の行動が、敵の計算を狂わせて―――結果、私は危機を回避するチャンスを得た。
今なら間に合う・・・すぐにエドワードを救いに行かねばならない。
しかし、この少年の方も一刻を争う・・・出血が酷く、すぐに治療が必要だ。
彼のお陰で、エドワードの危機を知ることができたのだ―――絶対、見殺しに出来ない。
・・・けれど、今彼を託す人物がここにはいなかった。

『間違いなく、この少年をこんな目に合わせたのはベルガーの息がかかった者だ』

その証拠に、部屋にいたホテル従業員に医師を呼べと言ったのに、戸惑ったように動かない。
―――ロイは、そっと視線をベルガーに向けて、彼の様子を窺う。
先程までコレクションを失うかもしれないという事態に動揺して取り乱していた彼だったが、壊れたのがランプだけで、その火もいち早く消し止められたのを見て落ち着きを取り戻していた。
落ち着きを取り戻し、自分の失態に気がつき、失態に至る原因となった少年を射殺しそうな目で見下ろしているベルガー。
他の招待客の目もあるので、直接彼に『医師を呼んでください』と声を掛ければ、流石に呼ぶフリくらいはするだろうが・・・彼に預けたが最後、少年の命は今度こそ事切れる。

彼の息がかからぬ、誰か信用できる者に預けたい・・・。

だが、このホテルはベルガーが所有する物・・・従業員の誰に預けても、結果は同じことだろう。
招待客も少し見知った者がいる程度で、完全に信用できる者はいない。
それどころか・・・この部屋に呼ばれている時点で、信用できない。たぶん、全て彼の影響下にある者だ。
彼を預けるなら、このホテルから出て外の病院に預けるべきだ。
ロイ自身が今すぐに病院に運んでやりたいところだが・・・しかし、それではエドワードの方が手遅れになるかもしれない。
―――どうにも手詰まりな状態に、ロイは忌々しげに顔を歪めた。

『手を打つのが遅すぎたか・・・』

実は、ベルガーのパーティに招待されていると知ってすぐ、自分の部下にこちらに来るように指示を出していた。
電話での会話は内容を盗聴される可能性があるので、暗号化した指令を電報で送った。
・・・何か、いやな予感がしていたからだ。

『だが・・・到着は早くても明日だろう』

連絡を入れてすぐに東方を発ったとしても、ここに到着するのは早くても明日だろうと思われた。
胸の内で舌打ちをした時―――背後に近づく人の気配を感じて、振り向く。
振り返った先にいたのは、ベルガーの娘・ディアーナだった。

「マスタング様、何か私に出来ることはありませんか?」
「ディアーナ嬢・・・」

そう申し出るディアーナを見つめる。

『まてよ・・・彼女は、知っているのか?』

彼女はベルガーの娘だが、今回の計画に荷担していないとしたら?

『もともと見合いの話だって・・・先程のベルガーの様子では、父親の方が積極的進めた話だろう』

ベルガーは自分の思い通りになる後継者が欲しくて、私に目を付けたのだ。
娘が気に入ってというより、父親の意向での見合いだったと思える。
彼女が私との見合いを『どうしてもと望んだ』というのが誇張であるならば・・・ベルガーの策略などあずかり知らぬのかもしれない。

『彼女が善であれば・・・他の者よりは』

彼女自身は父親の所行は知らされていない只の善良な令嬢であったとしたら、ベルガーの支配下にある従業員や顔色を伺う招待客よりは、少年を救える可能性が・・・?
・・・実の娘だからこそ、父親に物申すことも出来るかもしれない。

「・・・医師の手配をお願いできますか?一刻を争う」
「わかりました。・・・ダニエル先生をここに」

ディアーナが指示を出すと、ロイが言っても動かなかった従業員が、一礼してすぐに部屋を出ていった。
それを見送って、ロイはディアーナを見上げた。

「感謝します、ディアーナ嬢」
「いえ、貴方のお役に立てて嬉しいですわ」

そう言って、彼女は微笑む。

「すぐに医師がきますから、ご安心なさって?・・・あ、マスタング様」
「え?」
「手に、血が・・・」

レースのハンカチを取り出したディアーナは、血に汚れたロイの手に押し当て微笑みかける。
それを見て―――ロイは僅かに眉をひそめた。

『やはり・・・か』

彼女の見せる柔らかい笑み、慈愛の言葉。
・・・だが、やはり。

『やはり・・・そちら側の人間か』

医師を呼んでくれ、優しげに微笑むが・・・彼女は死に瀕した少年を見ようともしない。
応急処置の布から滲み血の雫が伝う少年の手には目もくれず、無傷の私の手に付着した血を拭う女などに、この少年を預けられる訳がない。
ロイは、目を閉じて唇を引き結んだ―――。

「マスタング様?」

不思議そうに名を呼ぶディアーナの声を聞きながら、エドワードの姿を思い描く。
この少年は、私達を巡る思惑の所為でこんな目にあった―――だから。

『・・・この子を見殺しにしたら、君は私を許さないだろう?』

心の奥で呟くと、ロイはディアーナの手をハンカチごと押し戻した。

「ディアーナ、やはりこの子は私が病院に運びましょう」
「えっ?」
「この子を死なせたら、私は妻に愛想を尽かされてしまう・・・彼に、顔向けできなくなる」


―――この世にこれ以上恐ろしいことはありませんよ。


ディアーナと、その背後からこちらを見つめるベルガーにそう言い放って、ロイは立ち上がった。

『エディ』

私との交渉に使うつもりなら、エディは殺されてはいないはず。
かと言って楽観できる状況ではないが・・・危機にあろうとも、彼は自分で窮地を脱しようと全力を尽くしているはずだ。
彼は強い・・・だから。


困難にあろうとも、きっと―――自分が行くまで持ちこたえてくれる。


自分に言い聞かすように胸の中で呟いて足を踏み出そうとしたとき、ドアの方から声がかけられた。

「その少年は私が引き受けます」

その声に目を見開く。
確認するように振り向いた入り口の向うに居たのは―――。

「中尉・・・」
「遅くなって申し訳ありません」

そう言って、リザはピシリと敬礼をした。
続いて入ってきたハボックとファルマンも、それに倣う。

「少将、ご指示を」

リザの言葉に、ロイは頷く。

「少年に一刻も早く治療を。賊がまだホテル内にいる可能性がある、少年の身柄の保護を」
「承知しました」
「マスタング君!」

ファルマンが少年をロイから受け取っていると、後ろからベルガーが声を掛けてきた。
振り向いた先で、視線が交差する―――。

「医者は先程呼んだろう?彼は私のホテルの従業員だ、こちらで治療をしよう」
「・・・ベルガー殿、犯人はまだホテルにいます。治療は外で行うべきです。ここはお任せください」

行け。
ファルマンを行かせると、ロイは苦々しい顔のベルガーから視線を外して、部下に振り返った。

「中尉、ハボック、ついてこい」

先に立って走り出すロイについて、三人は廊下に出た。

「いったい何があったんです?」
「あの少年は私を巡る策略に巻き込まれて刺された」
「策略?」
「黒幕はベルガーだ。このホテルにいる者は一切信用できない」
「わかりました」

ハボックが、走りながら声を上げる。

「少将、血の跡があの部屋から!」
「まだ気を失ったままなら、少年を刺した犯人はあの中だ。捕まえて連行しろ・・・ベルガーが口封じに出るかもしれん。二人で行け」
「少将は?」
「エディが敵の手に落ちた・・・助けに行く」

二人に言い置くと、ロイはエドがいる部屋へと走った―――



******



少年が伝えてくれた部屋の扉を錬金術でぶち破り、中に入る―――。

爆発の衝撃で上がった煙の中を進むと、ベッドの上に人影が見えた。
人影は二人。
組み敷かれているのは、エドワード。
そして、彼を組み敷く男―――。

「何をしている」

自分で驚くほど、冷たい声が出た。
それにハッとしたように動く男の手を、武器が持てないように焼く。
苦痛の悲鳴を上げる男を殴り飛ばし、エドワードの側に寄り、名を呼ぶが。

「ろ・・・い」


―――彼を見たときの衝撃を、なんと言ったらよいのだろう。


それは、まるで体中の血液が沸騰してしまったかのような感覚だった―――



ほんともう、長々と・・・すみません(涙)
次回からやっと姫奪還です。


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