呻きながら何とか片肘を床について体を起こした男は、ロイを見上げた。
「久しぶり・・・だな」
「ああ。だが、もう二度と会うことはない」
ロイが白い手袋をした手を掲げるのを見て、男は目を見開いた。
焦った声が部屋に響く。
「ま、まてっ・・・!」
「何故待たねばならん?」
私は、これ以上一秒たりともお前の顔を見ていたくない。
―――冷たい声色に一度怯んだものの、男はやがて笑い声を上げた。
「・・・ふ・・くくっ」
「何が可笑しい?」
「流石『イシュバールの英雄』だ。・・・人を燃やすのに何の躊躇も無いか?」
―――なぁ、マスタング?
挑発的に見上げてくる男を、ロイはそれでも動揺を見せずに冷たい瞳で見下ろした。
「・・・そうだな。お前のような男を燃やすのには、何の躊躇もないよ」
「冷たい男だな、相変わらず・・・俺を軍から追い出した時と同じだ」
「そう言うお前は、相変わらず姑息で卑怯者だな?」
しかも、懲りる事を知らないとは―――救いようがない。
「もっと早く燃やしておくべきだったよ、フェランド」
ロイは、フェランドに冷たく言い放ち、指を鳴らした―――
・ 理想の結婚 ・ <その5 ”蜜旅行”>・・・12
「ぐあっ!!」
爆発音とともに、再び男の悲鳴が部屋に響く―――。
焦げた匂いが辺りに漂う・・・ロイが、フェランドの無事だったもう片方の手も焼いたのだ。
「ぐっ・・・」
焼かれた手から、ナイフが転がり落ちる・・・男が服に隠し持っていたものだ。
痛みと悔しさで顔を歪ませながら、フェランドがロイを見上げた。
「畜生・・・」
「おや、以前は紳士的な振る舞いが評判だったフェランド大佐とは思えぬ下卑た言葉だな・・・おちぶれて性根だけでなく外面も腐ったらしい」
「このままで済むと思うな・・・」
「悲鳴の次は負け犬の遠吠えか?忙しいことだ・・・だが、それはこちらの科白だ」
―――私のものに手を出して、ただで済むと思うな。
そう言って、ロイはフェランドを見据えた。
フェランドとロイが対峙する後方にあるベッドには、エドワードがいる。
拘束から解放された筈のエドだが、未だ身じろぐ気配すらない。
先程助けた時、声を出すのもやっとだった彼の姿を思い出して、ロイは怒りで体中の血液が煮えたぎる思いだった。
『こんな男に・・・』
この男は、姑息な裏工作と力のある者に擦り寄って地位を得ていた。
自分が上に上がる為には手段を選ばない男は、部下の手柄を横取りし、失態も部下に擦り付けて。
己の容姿が少し良いのをいいことに、女性達を騙し・・・利用し貢がせ、徹底的に搾り取ってから使い捨てる―――まさに人の皮を被った鬼畜のような男。
だが、そんな男の罪を知ったものがいても、彼は狡猾で証拠を残さず、しかも常に力のある者に擦り寄っていたのでその罪を糾弾出来る者がいなかった。
―――そんな男に引導を渡したのが、ロイだった。
『私への報復のつもりか』
奴から見れば、こちらは因縁の相手だろうが・・・ロイに取っては、それほど記憶に残る男ではない。
元々は、この男の罪を知って追い詰めた訳ではなく・・・ロイがしたのは、男が擦り寄っていた将軍の罪を暴き、白日の下に晒したこと。
擦り寄っていた男の悪事を暴き失脚させたら、奴の腰ぎんちゃくだったこの男は後ろ盾が無くなり、結果・・・男は軍を追われる事となった。
ロイにとっては、『ついでに追い落とした小物』に過ぎない、取るに足らぬ男。
そんな男に・・・。
『こんな下種な男に、エディを・・・』
そんな男にエドワードが触れられた事実に、どうしようもないほどの憤りを感じた。
表面上は平静さを保っていたが・・・知らず知らず噛み締めた奥歯からギリッと、音が鳴る。
冷静にならねばと頭では思うのに、その頭に沸騰した血が上っていき、理性を煮溶かしていく・・・。
―――それほどまでに、ロイは耐えがたい怒りを感じていた。
『エディ・・・すまない』
心の中でそう呟く。
彼は強い―――普段の彼ならば、こんな男にいいようにされることなどなかっただろう。
罠に掛けられて拘束されたとしても、その頭脳と機転と行動力で、必ず活路を見出して反撃に転じていただろう。
・・・だが、今回は勝手が違った。
自分とはかかわりのない男だったから、狙われているとは予想ができなかっただろうし・・・しかも、クスリを盛られていた。
なにより・・・彼は、こんな色事を含んだ画策には弱い。
拳で向けられればそれ以上の鉄拳をお見舞いする強い彼だが、普段の自分とのやり取りから見ても色を含んだ事に弱いのは知っていた。
大人顔負けの彼だが・・・その辺りは子供。
それを知っていたのに、防げなかった・・・。
『彼が体調を崩した時に、気付くべきだった』
酒を飲んだことの無かった彼には違いがよくわからなかっただろうから、私が気付かねばならぬことだった。
注意していれば違和感を感じることが出来ただろう罠に気付けなかった自分に、酷く腹が立つ。
―――なにより、エドワードは自分への怨恨の巻き添えを食ってこんな目にあったのだ。
『エディ・・・謝罪は後で存分にさせてもらうから』
だから―――まずは、この男に鉄槌を。
ロイは・・・表面上は冷たく、だが奥に業火を宿した瞳で、男を見据えた―――
******
血痕が飛び散る部屋を調べていたリザとハボックは、聞こえた爆発音にハッとした様子でそちらを振り返った。
「今の・・・」
「少尉、私は少将のところにいくから、引き続きこちらをお願い」
「了解っス!」
その場をハボックに任せて、リザは爆音がした方に走る。
『今のは・・・少将ね』
今の爆音は爆弾などではなく、少将の錬金術だと思う。
となれば、今少将は戦闘中なのだろう。
急がなくては・・・と、スピードをあげ廊下の角を曲がると、ドアが吹き飛ばされた部屋が目に入った。
そこに駆け寄ると、壊されたドアの横にピタリと背をつけて銃を構える。
そっと覗き込むと・・・部屋の奥に仁王立ちの自分の上官と、焼け爛れた両手を震わせて床に尻餅をついている男が見えた。
『あれは、フェランド大佐・・・?』
以前、少将がしたことの余波で軍を追われた男の顔が目に入る。
つまり、あの男がこの事件に関わっていたのか。
『あの男、今度はベルガーに飼われていたの?・・・それにしても』
リザはロイの背中を見つめ、眉を顰めた。
状況はどう見ても少将の優勢。
フェランドは裏工作が得意な男ではあったが、戦闘力自体はそんなに高い者ではない・・・両手を焼かれたこの状態での反撃は難しいだろう。
自分が手を出さなくても上官に危険は無いだろうと安心しながらも、リザの眉間の皺は消えなかった。
―――何故なら、ロイの背中にどす黒いオーラが見えたような気がしたからだ。
あの男は確かに少将と因縁があるが・・・相手からすれば無量の恨みがあろうとも、少将からすれば過ぎ去った過去の出来事の一つに過ぎない。
もちろん、自分に再び牙を剥き、罪の無い少年の命を奪おうとした男に制裁を与えるのは当たり前の事だが・・・いつもなら冷静に敵を糾弾している筈だ。
男のやったことは許しがたいが、自分達は軍人なのだ・・・激情に身を任せて対処するべきではない。
だが・・・今の少将はかつて無いほど感情的になっていると感じた。
『いったい、何が・・・』
顔を顰めたまま視線を動かすと、天蓋付きのベッドの上に人影を見つけた。
それを見て、リザは目を見開き駆け寄る。
「エドワード君、大丈夫!?」
ベッドに横たわっているエドの顔に傷はない。
けれど、こんな状況の中彼が横になったままなのを見て、すぐに彼の異変に気がついた。
「ちゅう・・・い」
「・・・動けないのね?」
「う・・・ん、くすり・・・もられた」
碌に喋れないない様子のエドに、リザはますます表情を厳しくした。
彼の体にはシーツが掛けられていたが、破られた服の残骸が側に落ちているのを見て、大体の状況を把握する。
そして―――上官のキレ具合にも、合点がいった。
「すぐに病院に連れていくわね。・・・痛みはない?」
「からだは・・・うまく、うごかない・・・けど、だいじょうぶ。あの・・・ちゅうい」
「なに?」
「そんなかお、しな・・いで?みすい、だから・・・さ」
そう言って、エドはうまく動かない顔の筋肉をうごかして、苦笑したようだった。
『全くの無事とは言いがたいけど・・・』
シーツからでている首に、赤い鬱血。
・・・だが、どうやら上官は何とかギリギリのところで間に合ったらしいことを知って、ホッとする。
リザが胸を撫で下ろしていると、エドが顔を歪ませながら僅かに身じろいだ。
「ツッ・・・」
「エド君!?ムリをしてはダメよ?」
「うん・・・でも、すこし、クスリ・・・きれてきたかも」
さっきまで指一本動かせなかったのに、確かに今少しだけ動かせた。
声も、先ほどまでよりはスムーズに出る・・・。
―――とはいえ、本当に『僅か』だ。しばらく起き上がるのは無理だろう。
『くそっ・・・!』
忌々しげに心の中で呟いて、エドはリザを見上げた。
「ちゅうい・・・おこして」
「え?」
「あのままじゃ・・・アイツ、やばいだろ?」
そう言うと、リザが困ったように顔を曇らせるのが見えた。
『やっぱり・・・』
先程からのどす黒いオーラをみれば、分かる。
『バカヤロウ・・・』
ロイは普段クールぶっているくせに、自分はどんな危険な目にあおうとも飄々としているくせに、人が傷つくのには激怒するのだ。
それが、自分とかかわりが深い者なら尚更で・・・彼の黒いオーラは自分の所為なのだろうと思った。
もちろん自分だって、自分を陥れたあの男には十分憤ってはいるけれど。・・・でも、殺しかねないこの状況を見過ごす事は出来ない。
エドはリザの手を借りて起き上がると、ちゃんと声が出ますようにと祈りながら、息を吸い込んだ。
「ロイ!」
名を呼ぶと、ロイの肩がピクリと揺れるのが見えた。
そして、発火布の手袋をした手を掲げたまま、こちらをゆっくりと振り向いた男を見つめる。
「殺したら、離婚するぞ」
ロイを見据えて、そう言った。
思ったような迫力がある声はやはりでなかったけれど、何とか言葉はしっかりと出てロイに伝わったようで・・・彼が、眉をピクリと動かすのが見えた。
『本来ならこんな科白脅しにもならないんだけどな・・・』
偽りの妻に『離婚する』と脅し文句を言われても、心情的には何のダメージもないだろうが・・・それでも、彼はまだ自分と離婚する訳には行かないだろうから、言う事を聞くしかないだろう。
そう思って言ったのだが、案の定・・・ロイは顔を少し歪めてから、掲げていた手を下ろすのが見えた。
『まぁ・・・もともとちょっと頭に血が上ってただけで、本気で殺すつもりじゃないんだろうけど』
それでも、手を下ろしたロイに安堵して、エドは息を吐いた―――。