「すまない・・・」
ロイはエドを見つめて言った。
彼は強い。身も心も。
だが・・・・・・今回ばかりは、傷つけてしまったと思う。
いかに、利発で大人顔負けとはいえ・・・彼は、まだ若い。
普段の夫婦ごっこの時の様子からしても、彼が色を含んだことが苦手なのは容易に見て取れる。
それが今回未遂とはいえ、見ず知らずの男に体の自由を奪われ陵辱されかけたのだ。
―――さすがの彼も、堪えたと思う。
「すまない・・・今回の事は、さすがに君も辛かったと思う」
そう言うと、こちらをじっと見つめていたエドが目を閉じた。
返事を返すことをせず、目を閉じて黙り込むその様子は・・・彼が自分を拒絶しているように見えて。
その様子にロイは一度目を伏せて・・・一呼吸置いてから再び視線を戻し、言った。
「・・・こんな危険はこれからもあるかもしれない。もし、君がこの結婚を後悔しているなら、今からでも離婚を・・・」
そこまで言った時―――不意にエドの瞼が開き、金色の瞳が再びロイを捉える。
見ると、その表情は不機嫌そのもので・・・。
「エディ?」
不機嫌な彼の様子に気付き名を呼ぶと・・・彼は怒りの表情を浮かべてこちらをを見据えた―――。
・ 理想の結婚 ・ <その5 ”蜜旅行”>・・・16
「アンタ・・・何言ってんだ?」
エドは吐き捨てるように言って、ロイを見つめた―――。
私怨に巻き込んでしまったことに罪悪感を感じ、防げなかった自分を責め、傷を負わせてしまったことを後悔して・・・ロイの顔は曇っている。
今までは見たことが無かった彼のその表情をじっと見つめ返しているうちに、なんとなくローザの言葉を思い出した。
本当に、お優しい方でしたから―――
そう言って憂い顔で微笑んだ老婦人は、この男をとても心配していた。
聞いた時は『どこがお優しいんだよ?』と思ったが・・・今ではその言葉の意味が分かる気がした。
『女タラシで、イヤミで・・・厄介な依頼ばかり寄越す、えけすかない上司だとばかり思っていたのになぁ』
そうだとばかり思っていたのに、結婚してから彼のイメージが少しずつ変わっていく―――。
国家の未来を憂い、その未来を明るいものにする為に辛酸を舐め苦渋に耐えて上を目指す男は―――今まで数々の理不尽や謂れのない恨みを買っても、信念をもって乗り越えてきたのだと思う。
だが、色んなモノを抱えて歩く男は・・・それでもその荷物の重さを人には悟らせないようにしていた。
女タラシやサボリ魔の仮面を被って真意を隠し飄々と笑う、不敵にも見えるその表情の下で、彼は痛みを抱えながら戦っているのだろう。
まぁ、オレからすれば相変わらず人のことをからかうし意地悪だし・・・手放しで尊敬とかはできないけれど。
それでも・・・オレの身を案じ、折角手に入れた少将の地位を捨てるのを覚悟で離婚を切り出すこの男は、やはりオレが思っていたよりは優しいのだろう。
『なに勝手に離婚とか言ってやがんだ・・・一人で背負い込みやがって、バカかコイツ』
でも―――どこか自分と似ていると思った。
「なに・・・とは?」
戸惑ったように聞き返すロイに、エドはイライラした様子で言い放った。
「アンタ・・・勘違いしてねぇか?」
「勘違い・・・」
「今回の件、謝るのはアンタか?」
「・・・・・・」
「守れなくてゴメン、なんて言うつもりじゃねぇだろうな?」
オレは、アンタに守ってもらおうなんて思ってねぇよ。
だって、オレとアンタは共犯だ・・・対等な筈だ。
エドはそう言って、ロイを睨むように見つめた。
「こんなもん、この結婚のオプションとしては想定内だろ?知っていて、それでも利益の方が大きいと思ったからオレはこの結婚に同意したんだ」
「だが・・・」
「・・・オレは、アンタに脅されて結婚した訳じゃねぇ。話を持ちかけたのはアンタだが―――頷いたのは、自分の意思だ」
―――アンタに謝ってもらう謂れはねぇ。
そう言い切るエドワードに、ロイは呆けたように彼の名を呼んだ・・・
「エディ・・・」
「とはいえ・・・結局助けられちまったよな」
わりぃ・・・。
エドはそう言って溜息をついた。
「エディ、私は・・・」
「何も言うなって―――捕まったのは、オレの失態だ」
「・・・・・・」
「さっきも言ったが、アンタと結婚してからアンタへの恨みがこっちにも飛び火することなんか分かってた。分かってたのに・・・油断してた。反省してる。もう、こんな失敗はしない」
それに、恨みを買う云々はお互い様だからな・・・オレも、結構あっちこっちで色々やってきたから、逆にオレへの恨みがアンタに行く事だってあると思うぜ?アンタも覚悟しとけよ?
茶化すようにそう言ってから・・・エドは、ロイから視線を外して壁を見つめた。
「・・・自覚もした。今まで色んな奴に手紙もらったり追っかけられたりしていても、いまいちピンとこなかったんだけどさ・・・。オレ、一部のヤローにはそんな対象に見られるんだって、ちゃんと分かった。これからは気をつける―――だから」
だから―――そんな、似合わねぇ表情やめろよ?
エドは視線を戻すと、困ったような顔でそう言った。
「そんな顔って・・・どんな顔だね」
「う〜ん、捨て犬?」
「す、すて・・・?」
「すっげー情けない顔してる。・・・アンタはもっと自信満々で憎たらしい顔の方が、似合うと思う」
「憎たらしいって・・・君」
「あ、いけすかないの方がしっくりくるか?」
「・・・・・・・・エディ」
ロイが大仰に溜息を吐くと、エドはクックッとおかしそうに笑って。
そして・・・嫌な事を振り切るように、きっぱりと言った。
「という訳で、オレは大丈夫だからさ」
ニッと・・・いつものように、不適な笑みを見せるエド。
多分に強がりが混じっているだろうその笑顔に、胸の奥がジリ・・・と熱くなる。
彼に傷を与えたあの男に・・・そして、彼にこんな笑みを浮べさせた自分にも、怒りが沸いた。
唇を引き結び、ロイが見つめる先は―――ゆったりとした病衣の襟元から見える、エドの鎖骨近くの赤い痕。
『もうこんな失態はするものか。あんな輩になどに、二度と触れさせない』
決意と共に赤い印を睨みつけ、腕を伸ばす。
―――鬼気迫るロイの様子に、エドは困惑したような顔でロイを見上げた。
「ロイ・・・?な・・・っ!?」
驚愕の声をあげるエドには構わず、その身を傷つけぬように注意を払いながら抱き起こす。
そして―――赤い痕に口をつけ、毒を吸い出すかのように思いっきり吸い上げた。
吸い上げて唇を離すと―――彼は呆けたような顔でこちらを見上げて。
やがて、やっと我に返ったように息を呑んだ。
「なっ・・・に、してやがんだ、このバカっ!」
顔を真っ赤にして腕を突っ張り、腕から抜け出して怒鳴るエドを見据えて―――ロイは言った。
「その痕をつけたのは、私だ」
「え・・・」
「他の誰でもない、私だ」
言われて・・・エドは自分の鎖骨の辺りを見る。
あの時、つけられた痕―――そこが、まるで上書きされたように更に真っ赤になっていた。
「夫が妻につけたんだ・・・無断だったが、許してくれたまえ」
「ロイ・・・」
その言葉に・・・エドは頼りなげにロイを見上げる。
すると、伸びてきた腕に再び捕らえられ、抱きしめられた。
「いずれ、ベルガーにはそれなりの対価を払わせてやろう」
「・・・一筋縄にはいかねぇ奴だろ。下手に敵にまわさねぇほうがいいんじゃ・・・?」
何しろ、力のある男だ・・・しかも、本当に狙われているのはロイの方なのだ。
敵にするとマズイかもしれないと進言するが・・・ロイは首を横に振り、きっぱりと言い切る。
「駄目だ。私のものに手を出したことを必ず後悔させてやる」
「・・・・・・誰がアンタのものだよ!」
「私のものだよ。私の妻じゃないか?」
「そ、それは・・・仮じゃないか」
「仮でもなんでも、君は今、私のものだ。君だけじゃない・・・アルフォンスも、中尉も、ハボックも、ブレダも、フュリーも、ファルマンも他の部下達も。私の懐に入れたものは、すべて私のものだ。私に断りもなく傷つけるのは許さない」
その言葉に、唖然として。
―――そして、エドはくすくすと笑い出した。
「欲張りすぎだぜ・・なんだよその大人数?―――この、浮気者」
「おや。うちは浮気公認だろう?」
ニヤリと笑う男に、不適に笑い返す。
「ああ、公認だ―――好きなだけ増やせよ」
切実にそう思う。
大切に思う者が増えるほど、彼はもっと強くなる。
守ろうとする気持ちが、彼に力を与える。
そして・・・この敵の多い男を守ってくれる人が、沢山増えればいいなと心底思った。
「そうするよ・・・君も、二度とこんな目に合わせない」
家に帰ろう―――。
「・・・うん」
ロイの言葉に、今日は素直に頷いて・・・。
抱きすくめられる力の強さと、暖かい胸に安心感を感じながら、エドはロイの胸に頭を預けて瞳を閉じた―――。