「わぁ・・・」
きれいだな
エドはそう呟いて、バスローブ姿のまま、開け放った窓から月を見つめた。
今夜は月の明るい夜で―――
照明を落とした室内に月の柔らかい光が入りこみ、エドの姿を浮かび上がらせている。
眼前の月に心奪われている妻。
その後ろで、ベッドサイドのランプの明かりで新聞を読んでいた夫は、カサリと小さな音をたてて新聞を捲った―――
・ 理想の結婚 ・ <その5 ”蜜旅行”>・・・2
よくわからないうちに、あれよあれよと連れ出された旅。
列車に乗せられてしまってから明かされた旅の理由に激高した。
今回の旅の名目は―――ハネムーン。
『なぜオレが、そんなものに!?いや、確かに新婚だけど・・・仮初めの夫婦にそんな甘ったるいイベントなんか必要な訳がない!』
いったいどういう事かと食ってかかれば、どうやら「夫」も来たくて来た訳じゃ無いらしい。
じゃあ、なんで!?と、問いただしてみれば・・・元凶は、また傍迷惑なおっさんだった。
面白いことが大好きなおっさん・・・それは、個人の自由だから別にいいとおもう。
―――だが、問題はその面白いことが大好きなおっさんが『この国最高権力者』だってことだ。
エドはぼんやりと見ていた月から視線を外し、夫に向けた。
「なぁ、少将」
「・・・なんだね?」
「早く大総統になってくれ?」
その言葉に、ベッドに座って新聞を読んでいた男は、視線を上げてエドを見た。
「それは、私だってなりたいが・・・どうしたんだね、急に?先程ロビーで会った令嬢達の中に好みの女性でもいたかい?」
早くこの茶番を終わらせたいと思えるような女性にでも出会えたのかな?
茶化すように言うロイに、エドはフンと鼻を鳴らした。
「ああ、早く終わらせてぇよ。来たくもねぇハネムーンに連れ出されるわ、くだらねぇパーティに出なきゃならねぇわ、散々だぜ」
吐き捨てるように言うエドに、ロイは軽く肩を竦めて新聞を閉じた。
******
夕方ホテルに着いて、ロビーに入って驚いた。
そこには沢山の人・・・このホテルの宿泊客達。
・・・なにやら明日ここでパーティが開かれるとかで、集まった紳士淑女達だった。
湖畔の静かなホテルだと思っていた二人は驚いて・・・だが、別に自分達には関係ないかと、さっさとチェックインしようとフロントに行ったのだが。
―――チェックインの最中、フロント係に告げられた言葉に、固まった。
「パーティの主催者、ベルガー様が二人のご出席を大変喜ばれておられるようです。『歓迎します』とお伝えするよう、おおせつかっておりました。」
二人で顔を見合わせ、間違いではないかと聞くと、確かに二人ともパーティの招待客になっているという。
「・・・どういうことだよ」
「わからん・・・確かにベルガー殿とは面識があるが、別に彼に呼ばれてこのホテルに来た訳じゃない。第一、このホテルを手配したのは、大総統閣下で・・・」
そこまで言ってからロイは眉間に皺を寄せ、フロント係の男を見た。
「もしや、私宛にセントラルから手紙か言付けか・・・預かっていないか?」
「あ、申し訳ありません・・・さようでございました」
こちらです。
そう言って差し出された封書の封をその場で切って、開く。
読みながら、ロイの顔が険しくなっていくのが見えた。
「なぁ、なんて書いてあるんだ?つーか、誰から?」
エドはそう聞いてみるが、ロイは答えずフロント係に向き直った。
「ベルガー殿は、既にチェックインされているか?」
「いえ・・・使用人の方々は既にいらして、招待客の皆様のお世話をされいますが、ベルガー様は明日、パーティ直前にご到着の予定です」
「そうか。・・・では、とりあえず部屋に案内してもらおうか。少々疲れた」
「かしこまりました」
そして、部屋に通されて。
『なんだったんだよ?』と再び聞くと、先程の手紙を投げよこされた。
開いて、顔を顰める。
「大総統から・・・?」
手紙の主は大総統。
そして、内容は・・・・・。
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マスタング君
今頃細君と楽しい旅行を満喫している事と思う。
ところで、君が宿泊するホテルに炭鉱王のシャルロ・ベルガー殿もいると思うのだが、もう会っただろうか?
彼は家内の遠縁に当たる家系の者で、私の友人でもあるのだが・・・彼に関して、少々困った事態になっている。
実は、先日君に紹介しようとしていた女性は、ベルガー殿のご息女だったのだ。
彼女は、君の事を大層気に入っていて、先日の見合いはあちらから来た話だった。
くれぐれも頼むとベルガー殿にも頼まれていたのだが、私は君と鋼の錬金術師君が恋仲なのを知って、面白そう・・・いや、愛し合う二人に力を貸してやりたい一心で、君達の結婚を後押ししてやってしまっただろう?
・・・あの後ベルガー殿にすごく怒られてね?彼と気まずい事になってしまった。
原因は君であるし、丁度いいからなんとかとりなしてきてくれたまえ?
ちなみに、先方はまだ君を諦め切れないようだが・・・新婚で浮気はいかんぞ?
では、楽しい旅を。
キング・ブラッドレイ
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「・・・なにこれ」
唖然と呟くエドの耳に、ロイの深い溜息が聞こえた。
「つまり、君と結婚する前に話が出ていた見合い相手が、ベルガー殿の娘だったのだな」
「アンタ、知らなかったのか?」
「名を聞いてしまうと断りづらくなるかもしれないと、あえて聞かなかったかならな・・・」
「・・・もしかして、失敗したんじゃねぇ?」
「ん?」
「だって、あの炭鉱王のベルガーだろ・・・?逆玉ってやつじゃねぇ?」
素直に見合いして、そっちと結婚しとけばよかったんじゃねぇの?
ケッと面倒くさそうに吐き捨てると、ふふんと妙な笑いを寄越された。
「・・・なんだよ?」
「ヤキモチかい?」
「ばっ・・・!そんなわけねぇだろう!!」
「バカだな、私が愛しているのは君だけだよ・・・・・」
長い腕が迫ってきたかと思うと、抱きしめられて・・・耳元にそう囁かれる。
魅惑の声に、思わず意識が真っ白になりそうになったが、気力を振り絞って彼の胸を押し返した。
「ちょ・・・!二人だけなんだから、演技は必要ねぇだろ・・・っ!」
「演技だなんて・・・そんな寂しい事言わないでくれたまえ。私は心の底からそう思っているのだよ・・・?」
そう言うと、ロイはもう一度エドを強く抱きしめた。
「やっ・・・ロイ!」
「私が愛しているのは君だけだ・・・かといって、ベルガー殿は無碍に出来ない相手。なんとか穏便に諦めてもらうしかない。それには、二人がどれだけ愛し合っているかを見せるのが一番だと思わないかい?」
ロイは微笑むと、もう一度エドの耳元に唇を寄せた。
「協力してくれるだろう・・・・・・・・・・・エディ?」
耳に吐息を吹き込むように、そう囁かれて。
―――エドは、とうとう白旗を上げた。
「わ、わかったから・・・っ!」
「本当かい?」
「ほ、本当だから・・・みみ、やめろっ!」
「その言葉、忘れないでくれたまえよ?」
エディ・・・?
最後にもう一度甘く名を呼んで、ロイはやっとエドを解放した。
エドは呆けたようにぼんやりとロイを見上げた後、我に返って壁際まで後ずさった。
「くっ・・・卑怯者!」
涙目で抗議するエドに、ロイはハハハと爽やかに笑った。
「力を合わせて困難を乗り越えるのは、夫婦として当たり前だろう?」
「なんでオレが、テメェの女関係の尻拭いしなきゃならねぇんだよ!」
「今私と別れると、君も不都合だろう?」
先日君に渡した資料、まだ読み終えないまま家に残してきただろう?
余裕の笑みを寄越すロイに、拳を握り締めつつ・・・その通りではあるので、溜息と共に肩の力を抜いた。
「わかったよ・・・」
「それでこそ、私のエディ」
「気色悪いから、ヤメロ」
げんなりしたように、エドは肩を落としてそう答えた―――
******
その後、あまりに疲れたのでベッドに転がって少し寝て。
起きたら夕食の時間になっていたので、食事を済ませ、部屋に戻ってシャワーを浴びて、今に至る訳だが・・・
聞きたくないので明日の予定は先送りにしていたのだが、さすがにそろそろ聞いておかなければならないだろう。
エドはもう一度月を名残惜しそうに見上げてから、嫌そうに口を開いた。
「ところで・・・明日、具体的にどうすればいいんだよ?」
「とりあえず、夜に開かれるパーティに一緒に出てくれ。そこで、二人のラブラブぶりを見せ付けてやろうじゃないか?」
「パーティ・・・ね」
そう呟いてから、エドはサアッと顔色を変えた。
「ま、まさか、またドレス・・・!?」
結婚式の時のウエディングドレスを思い出して、青くなる。
「ん?・・・着たいのかい?着たいなら止めないがね。君、似合うし」
「着たいわけあるか!」
ガアッと牙を剥くエドに、ロイはハハハと笑った。
「なら、別にドレスは着なくてもかまわないよ・・・君のタキシードもちゃんとあるから」
「いつの間に・・・」
「愛する妻へ、私からのプレゼントだ・・・と、いいたいところだが。実は、閣下からの賜りものだ」
君が寝ている間にフロントで二人分タキシードを手配しようとしたら、既に用意してあったよ。
そう答えるロイに、エドは肩を落とした。
「・・・・・・・・・・・あのおっさん、どこまで用意周到なんだよ」
「まぁいいじゃないか?これからだって必要なものだ・・・ありがたく頂戴したまえよ?」
ほら、上品なアイボリーのタキシードだ。タイは君の好きな赤。―――きっと似合うよ?
そういってクローゼットからタキシードを出して、持ってきてみせられたが、エドは「うげ・・・」と嫌そうに顔を歪めただけだった。
そんなエドに、ロイはため息をついた。
「・・・つくづく宝の持ち腐れだねぇ?君、容姿は極上なんだから、もっと飾りたまえよ?」
令嬢どころか、どこぞの姫君さえ手に入れられるかもしれないぞ?
そういって肩を竦めるロイに、エドは舌を出した。
「姫君なんて願い下げだ!・・・大体、「極上」なら、飾り立てる必要なんかねぇだろ?」
「・・・言うね。だが、確かに・・・」
飾らなくても、君は美しいーーー
そう言って、ロイは微笑んだ
「それは、認めよう」
「な、なんだよ・・・気色わりぃ」
そういってから、エドはハッとしたようにロイから離れて、壁にくっ付いた。
「・・・何をしているんだね?」
「また何か企んでるんじゃねぇだろうな・・・・・?」
急に誉められたので、またあの『声』の攻撃を食らうかと警戒していると、ロイは苦笑しつつ首を横に振った。
「今日はもうしないから、そう警戒しないでくれたまえ」
「・・・『今日は』じゃなくて、もうすんな!!・・・・・じゃ、なんで?」
「美しいと思ったら、美しいと言っただけだが?」
ロイは肩を竦めてから、タキシードをクローゼットに戻すと、エドに振り向いた。
「さてと、私もシャワーを浴びてくるか。・・・君も、もう休んだ方がいいんじゃないか?疲れただろう?」
「あ、ああ・・・」
そのままバスルームに歩いていくロイの背中を見送って、エドは呟いた。
「・・・アイツって、基本って言うか・・・素でタラシなんだな」
普通に喋ってて、あれなんだ・・・?
妙に感心しつつ、エドは複雑な表情のまま、ほんのりと顔を赤らめた。
******
鍛えられた肉体に、水の粒がはじかれ、流れていく・・・
バスルームでシャワーを浴びながら、ロイは呟いた。
「・・・だって、本当に美しかったんだ、認めざるを得ないだろう?」
先ほどエドが月を見つめていたとき、新聞を読んでいたロイだったが―――
ふと視線を上げた時、彼の肢体が月明かりに照らされる様に目を奪われた。
昼はあんなに華やかに光輝く金色は、月の下では意外にも静かで安らぐ光に変わる。
月の光を纏い、静かに月を見上げる彼の姿は・・・確かに美しかった。
昼はすぐ食ってかかってくるし、生意気だし、五月蝿いし。
でも―――夜、静かな寝息を立てて寝る彼の姿は、以前から美しいと思っていた。
「夜の君は、結構好きかもしれないな・・・」
まぁ、言ったら盛大に気味悪がられるだろうから、言わないがね?
ロイはそう呟いて、笑った。
『まぁ、うちの美人妻の事はいいとして・・・・・問題なのは、明日会わねばならん『美人』の方だな』
厄介だな・・・と、ロイは溜息をついた―――