頭を押さえ、壁を伝うようにして廊下を進む―――

まるで、頭の中に霞が掛かったようだと思う。
しっかりしようと思ってもうまく頭が回らず、足元もふらつく。

「ちきしょう・・・なんでこんな」

エドは、忌々しげにそう呟いた―――




・ 理想の結婚 ・ <その5 ”蜜旅行”>・・・5




気分がどんどん悪くなる中、限界だと思ってパーティ会場を抜け出した。
会場を出るまでは何とか気丈に振舞っていたエドだったが・・・廊下を進んでいくうちに、体調はますます悪くなり、今では壁に手をつきながらやっと歩いているような状態だ。
今にも膝を折ってしまいそうな倦怠感が体を支配しつつあるが、こんなところで転がって倒れているわけにはいかない。

『なんとか、部屋にたどり着かないと・・・』

そうは思うものの・・・エド達の部屋は、パーティ会場から遠い位置にあった。
しかも、古城を改築した建物内は入り組んでいるので、たどり着くには幾つも角を曲がらなくてはならない。
このぼんやりした頭のまま迷わずたどり着けるか、少々不安になってくる。

『誰か・・・って、誰もいねぇか』

視線を前に向けるが、ホテルの廊下は人影もなく、静まり返っている。
後で知ったのだが、このホテルの宿泊客はすべてパーティの招待客だった。
宴も酣な今・・・客はすべてパーティに出ているし、ホテル関係者も会場と厨房を駆け回っているだろうから、客室へと続くこの廊下には人影がない。

『出るとき、ボーイか誰かに声を掛ければ良かった・・・・・・・くっ』


駄目だ、気が遠のく―――


エドの体がグラリと前のめりに倒れる。
そのまま廊下に打ち付けられると思ったが・・・倒れこむ寸前、体を支えられた。

「大丈夫ですか!?」

朦朧とする頭を何とか動かして、声の主の顔を確認する。
この顔は、確か・・・。

「アンタ・・・あの時の・・・?」

見上げた先には、このホテルの従業員の制服を着た少年。
背は高く割と逞しい体躯をしてはいるが、幼さが残る顔から察するに、自分と大して年は変わらないだろう。
その彼は、先ほどのパーティ会場で給仕をしていて、自分にドリンクを勧めた人物だった。

「大丈夫ですか、お客様!ご気分が・・・?」
「いや・・・ちょっと、酔ったみたいなんだ・・・」

そういうと、少年は眉を下げた。

「す、すみません・・・もしや、私がお勧めしたドリンクのせいでしょうか?」
「まあ・・・な」
「申し訳ありませんっ!俺・・・いや、私、このホテルに入ったばかりの見習いでして、パーティの給仕も初めてで。あのドリンクをお配りするとき、ああ言うように言われたので、その通りお勧めしてしまったんですが・・・」

貴方が先ほどふらつきながら会場を出るのが見えたので、気になって追いかけてきたんですが・・・。
申し訳なさそうに謝る給仕の話を遮るように、エドは彼の腕を掴んだ。

「部屋・・・連れて・・・いってくれ」
「あ、はいっ!」

苦しげに途切れ途切れで話すエドに自分の肩を貸して、彼は歩き始めた。
だが、すぐにエドの足元がガクリと崩れる。

「お、お客様!?」

給仕は慌てて声を掛けるが、エドの意識は今度こそ完全に落ちていた。

「ど、どうしよう・・・!?と、とりあえず部屋にお連れしなきゃ・・・!」

彼は焦ったようにエドを横抱きに抱き上げて駆け出そうとしたが、二・三歩進めただけで足を止めた。

「えっと、部屋は何号室だろう・・・?あ、鍵は!?」

どうしようと、内心で頭を抱えていると―――

「鍵はここにあるよ」
「え?」

後ろから掛けられた声に、彼は振り向いた―――



******



「おお、これもまた素晴らしい・・・!マスタング殿もそう思うでしょう?」

先ほど紹介されたばかりの中年の男が、笑みを浮かべてロイに相槌を求めてきた。
『ええ、本当に・・・』と、それに答えながらも・・・ロイは内心で舌打ちをする。

『まさか、このホテルもベルガー殿の持ち物になっていたとは』

彼に呼ばれて行くと、彼の友人である経済界の著名人を一通り紹介された。
早速交わされる―――挨拶と軽い雑談。
その後、ロイとしては早々に引き上げてエドの元に戻るつもりだった。
なにしろ、酒に酔ったらしいエドは具合が悪そうで・・・そのうえ、妙な色気を漂わせ始めたから、心配だったのだ。
杞憂であればいいと思いつつさりげなく視線を向けて見れば、自分が側を離れていくらも経っていないのに、どこぞの男に声を掛けられている。
明らかにコナを掛けている男に舌打ちをしつつ、『人脈を作るチャンスだが、辞退して戻ろうか』と迷っていたが・・・声を掛けた男は、いつの間にかエド本人に追い払われていた。
そして―――こちらの視線に気がついたエドは、『俺をなめるな』とでも言いたげに舌を出してよこした。

『どうやら大丈夫か・・・』

一応そう安心し、また雑談に興じていると・・・ホスト役のベルガーがこんなことを言い出した。


「そうだ、皆様に私の秘蔵コレクションをご披露しよう」


さあさあと勧められ・・・ロイも会場を出て、別室に連れて来られる嵌めになった。
どうやらこの古城ホテルは、誰あろうパーティの主催者・ベルガーの所有物だったらしく、城の一室を自分のコレクションの展示室に改築していたようだ。
案内されたその部屋には、絵画や彫刻・・・はたまた鎧や剥製まで、幅広い種類の物が置かれている。
どれも値の張りそうな一流品で、呼ばれた他のメンバーは目を皿のようにして見ていたが、ロイは内心ゲンナリしていた。
上流階級の者と付き合う場合に必要ではあるから、そういう物の価値を判別する知識は持ってはいるが、ロイにとっては特に興味を掻き立てられるものではない。
それより、抜け出してエドの様子を見に行きたいと思うのだが、先ほど紹介された人々が入れ替わり立ち代り話掛けてくるし、ベルガー自身もロイにいろいろと説明しようとするので、中々抜けるタイミングを掴めないでいた。

「どうだね、マスタング君。これなど良い色だろう?」
「ええ、全く。特にこの青の深みが素晴らしい」
「おお!さすがマスタング君。軍人でありながら芸術にも一方ならぬ見識を持っているな。ほら、ディアーナ!お前もこの絵が好きだろう?マスタング君の解釈を聞いてみなさい」
「あ・・・いえ、私は絵の解釈を披露できるほどの知識は・・・」
「いやいや、こういうものは感性なんだよ。先ほどから各作品への君の見識を聞いているが、どれも的を得ていて、正直舌を巻いていたところだよ」

ベルガーが上機嫌でロイを賞賛する横で、呼ばれていそいそと近づいてきたディアーナが、ロイを見上げて頬を薄っすらと染めながら微笑んだ。
ロイは、愛想笑いを返しながらも、厄介だなと溜息をつく。

『やはり、無理にでも連れてくれば良かった』


エディ・・・・・・・。


二人の背の向うにあるドアを見つめて、胸の内でそう呟いた。



******



『う・・・』

エドは、朦朧とした意識の中で、ぼんやりと目を開けた。
夢の中を漂うような感覚の中―――不意に人の話し声が聞こえてきて、意識を向ける。

「・・・大丈夫でしょうか、お医者様をお呼びいたしましょうか?」
「いや、彼はアルコールに免疫がないから酔ってしまっただけだ。私も付いているから大丈夫だよ・・・あ、このことは他言しないように。・・・折角のパーティを台無しにしたくないからね?」
「分かりました。では、何かご用がある時は、お呼びくださいませ」

そんな会話が聞こえた後、ドアが閉まる音がした。
そのすぐ後に、電話のダイヤルの音。

「・・・私だ。ああ・・・今部屋を出て行ったから。後は頼む・・・」

くぐもった声が聞こえ、やがて受話器を置くガチャリという音が響く。

『ここ・・・どこだ?』

朦朧としながらそう考えて、『ああ・・・』と、思い当たる。

『そうだ・・・部屋につれてきてもらったんだ・・・』

具合が悪くなってパーティ会場を抜け出して・・・部屋に行こうと歩き出したものの、途中で倒れそうになった。
その時、年若い給仕が助けてくれて、彼に部屋に連れていってくれるよう頼んだんだった。
―――でもその後、歩き出してすぐに意識を失ったような状態になってしまったのだが。

『アイツ・・・何とか部屋につれてきてくれたんだな、ルームナンバー伝えなかった気がするけど・・・ちゃんと分かったんだ?』

でも、これで安心だ・・・。
そう思ってから、先ほど人の話し声が聞こえていたのを思い出した。
意識を向けると―――天蓋つきのベッドのレースカーテンの向うに、人の気配あるのを感じる。

『ああ・・・ロイがきてくれたのか』

ホッと息をついた時―――その息遣いが聞こえたのか、部屋に居た気配の主が、こちらに近づいてきた。
エドは、いまだハッキリとしない頭を何とか動かして、カーテンの向うに声を掛ける。


「ろ・・い・・・・・?」


返事の代わりにカーテンの隙間から男の手が覗き、カーテンが横に引かれた―――





エドたんピーンチ!


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