「ろ・・い・・・?」
張り付いたように、なかなか声が出ない喉を何とか動かして、彼の名を呼ぶ。
エドの呼びかけに答えるように、開けられたカーテンの隙間から、人影が滑り込んできた。
もう一度、彼の名を呼ぶ―――
「・・・・・・ろ、い?」
ランプの灯りしかつけられていない仄暗い室内の中、人影はベッドに膝で乗り上げると、覆い被さるようにエドの頭の横に両手をついて、上から見下ろしてきた。
「・・・ああそうだよ、ロイだ。具合はどうだい―――エディ?」
エドはそう答える人物の顔を下から見上げて、目を見開いた―――
・ 理想の結婚 ・ <その5 ”蜜旅行”>・・・6
ロイだと名乗る人物を見上げて、息を飲む。
「・・・!?ろい・・・じゃない・・」
「何を言っているんだ、エディ?私だよ?」
夢でも見ているのかい?
そう―――ロイとは全く別人の顔をした男は、自分がロイだと重ねて主張する。
・・・確かに頭は霞が掛かったようでうまく思考がまわらないし、視界も部屋が薄暗い上に、まるで目の上に膜が一枚張ってしまったように、ハッキリとしない。
だが、声も顔も・・・全く違う。
「ふざ・・・ける・・・な!」
「・・・・・・駄目ですか、困ったな」
悪びれもせず笑うその男の顔には、見覚えがあった。
「アンタ・・・・・・さっきの・・・?」
「覚えていて下さって光栄ですよ、エドワードさん?」
クスリと笑うその男は、会場で最後に話をした男だ。
「アンタ、なぜ・・・ここに?」
「なぜって・・・ここは、元々私の部屋ですが?」
その言葉に、視線を動かすと・・・同じような装飾・レイアウトな部屋だったが、確かに自分が泊まった部屋ではないのがわかった。
嫌な予感を感じながら、エドは何とか起きあがろうとしたが・・・体を押さえつけられたわけでもないのに、体が動かない。
『くっ・・・なんで!?たったシャンパン一杯飲んだだけで、こんな・・・っ!?』
そこで、エドはハッと息をのんだ。
自分が飲んだのは、たった一杯のシャンパン。
確かに酒類は飲んだことがないし、酒の入ったお菓子を食べただけで少しふわりとした感覚を感じる時があるから、自分はアルコールには強くないのだと思う。
―――それでも、この状態は異常なのではないだろうか?
「・・・アンタ・・・なんで、ろいのマネなんか・・・?」
「ん?ああ・・・間違えてくれないかと思って?」
パーティでも口説いてみたけれど、貴方にご主人以外は目に入らないとハッキリ言われてしまいましからね?
ならば、貴方が私を『ご主人と間違えて』下さったら、手に入れられるかな・・・と。
―――そう言ってニヤニヤと笑う男に、エドは確信した。
「ふつう・・・まちがえねぇ、だろ。―――さけに、なにいれた?」
男を睨みつけて、起き上がろうともう一度もがくが―――やはり、体に全く力が入らない。
悔しげに顔を歪め、更に足掻くエドの様子を見ながら、男は不思議そうに言った。
「ああ・・・体の方は動かないんですね?」
・・・全く効いてない訳ではないか。
男がぼそりと小さく呟いた言葉を、エドは聞き逃さなかった。
僅かに動く指先だけで、シーツを握る。
「てめ・・・やっぱり・・・・・・!」
「・・・なんのことです?」
「しらば・・・くれるな・・!」
「私は、貴方のグラスに指一本触ってはいませんよ?」
「さわん・・・なくても、いれられるだろ・・・っ」
自分で手を下さなくても、俺にあの酒を飲ませる方法はあったはずだ。
・・・確か、あの給仕は『ああ言って渡すよう言われた』とか、言っていた。それが、この男に頼まれたものだったりしたら・・・?
「証拠でもあるんですか?」
証拠なんてないが・・・エドは確信した。
運悪く間違って酒に手を出して酔ってしまったのではなく、この男の罠に掛かってしまったのだと。
―――男を見つめて、カマを掛けてみる。
「さっき・・・あのきゅうじが、いってた・・・アンタにたのまれたって」
その言葉で、男はやっと顔色を変えた。
「・・・使えないガキだな。私からだとは言うなと言っておいたのに」
しかも、予想外に会場から君を追って出てくるし。
憎々しげに男はそう言い捨てたが、すぐに気を取り直したように笑った。
「まぁ・・・いい。どうせ・・・」
そこで言葉を切った男に、顔を顰める。
『どうせ・・・なんだ?・・・まさか!』
最初から、薬入りの酒を託したあの給仕の口は塞ぐ気だったのかもしれない。
そう考えて―――背中に冷たいものが落ちる。
『この男の目的は、なんだ?』
オレを罠に嵌める為だけに見習いのホテルマンを巻き込み、用が済めばさっさと始末しようとしている。
自分が思ったより、この男は危険かもしれない。
『体さえ動けば、こんな奴・・・!』
体術だけでもこんな男、簡単に地に沈められる。
それが適わなくても、両手がもう少しだけでも動けば、練成ができる。
・・・だが、今の自分は指先を僅かに動かすだけでやっとだ。
神経がやられているらしく、機械鎧の手足も動かせない―――最悪だった。
「もくてきは、なんだ?オレを、どうするつもり・・・だ?」
「おや、最初から言ってるじゃないですか?―――貴方は美しいと。美しいものを手に入れたいだけですよ?貴方がつれないから、ちょっと強引な手を使ってしまった・・・これも愛ゆえです」
「ふざけ・・・んな」
「その美しさで私を罪人へと貶めてしまう・・・貴方は罪な方だ」
そう言って、男はエドの頬を撫でた。
触れられる感触に身を硬くしながらも、心の中で呟く―――
『違う・・・』
間近で男の瞳を見ながら、そう思った。
まるで愛の詩でも捧げるように男は言うが、それが男の本心とは思えない。
何故なら周到な計画性を感じるし―――なにより男の眼光が冷たい。
・・・その瞳の奥にあるのは恋情などではなく、直感的にもっとどす黒い感情な気がした。
だが、この男には全く見覚えがない。
もしや、その感情の矛先は本来は自分ではなくて・・・。
「うそ、つけ―――ろいに、なんの・・うらみが?」
ビクリと、頬を触る指が震えた。
「・・・・・・そう言えば、貴方は天才と呼び声も高い方だそうですね」
あの男が側に置いているのだ、ただのガキな訳がないか。
男は吐き捨てるようにそう言った。
「やっぱ・・・り」
「・・・いいでしょう、教えてあげますよ?そうです。私は貴方の夫君と少々因縁がありましてね?いつか彼に一矢報いたいと思っていた時に、このチャンスに巡り合ったのですよ」
「ちゃん、す?」
「あの男には常に腕がたち頭も切れる側近達が付き従っていましたし、本人もイシュバールの英雄と誉めそやされるような男ですからね?なかなか、機会が無かった。それなのに、今回彼は側近達と離れてプライベートで遠出をするという。しかも、結婚したばかりの愛妻を連れて・・・これ以上の好機があるでしょうか?」
「・・・・・・」
「貴方も凄腕の錬金術師とお聞きしましたが、年がお若いから、やりようで私の悲願を達成できそうだと踏んだんです・・・私の思った通りだった」
思ったとおり、貴方は今―――私の手の内だ。
男はそう言って、自らの成果に陶酔したように、うっとりと微笑んだ。
「本当は、もっとスマートにここにお連れする筈だったんですがね?貴方に飲んでいただいた薬はいわゆる『媚薬』という奴でして・・・あらかじめ飲ませて、効いてくる頃合に貴方の前に立てば、貴方は私の虜になる筈だった」
あんな給仕に寄りかからなくても、貴方は自分の足で私の元を訪れて。
―――そして、自ら体を差し出す筈だったのに。
「それなのに、口説いてみても貴方はつれないばかりだし、効きがおかしいと思って一旦引いたんですが・・・それでも、ここに来た貴方は朦朧としているし、もしやご主人の振りをすればイケるかと思ったんですが、それも出来なかった。体質なのか・・完全には効かなかったようですね?アメストリスでも最高品質の薬を用意したのですが・・・でもまぁ体は動けないようだし、なんとか私の目的は達せられそうです」
そう言うと、男はエドの首に手を回してタイを取り去り、ベッドの下に放り投げた。
「もく・・・てき?」
「あの男に苦しみを与えることです。・・・結婚したばかりの恋女房を、陵辱された上に殺される―――なんてどうです?」
苦しみそうでしょう・・・?
にこりと笑う男に、エドの背中にゾワリとした感覚が駆け上がる。
ヤバイと頭の中でシグナルが鳴る。
「まさかその恋女房が男の子とは思わなかったので、少々面食らいましたがね?あの男がそんな趣味とは知りませんでした。私はノーマルだし、どうしようかと思いましたが・・・貴方を見てホッとしましたよ」
「ほっ・・・と?」
「ええ、貴方に会って最初に言ったでしょう?―――『それにしてもお美しい』と」
私に少年趣味はありませんが、貴方はとても美しい・・・これなら、なんとかいけそうですよ。
そう言って、舌なめずりをする男に、鳥肌が立った。
何とかこの状況から抜け出さないといけないが、頭が朦朧として思考がまとまらないし、なんと言っても体が動かない。
望みがあるとすれば、ロイが気がついて助けに来てくれるかもしれないということだけ。
それに賭けるなら―――今できることは。
『すこしでも、時間を稼ぐ・・!』
エドは男を見つめて、口を開いた。
「あんた・・・ろいと、なんのいんねんがある・・んだ?」
「あなたには関係のないことです」
「かんけいない・・・って?それなのに、おれはころされる・・のか?わりに、あわねぇ・・・わけぐらい、きかせろ・・・」
憎悪に駆られての行動なら、腹の底に強烈な鬱憤が渦巻いている筈。
そんな奴は、常にその鬱憤を洗いざらいぶちまけたいという欲求がある筈だと思って、そこをついてみる。
身の上話をさせれば時間が稼げるし、奴の素性やこの行動の理由が掴める―――。
・・・そう思ったのだが、男も馬鹿ではないようだった。
「時間稼ぎをしたいんですか?悪いのですが、それには付き合えませんね。あの男の妻などになったのを後悔するんですね・・・こんなに若く美しい命を散らす羽目になったのだから」
口調は丁寧ながら、冷たく言い放つ男に歯噛みをする。
エドは男を睨みつけた。
「ろいは・・・むのうじゃねぇぞ?オレをころしたオマエに・・・きっとたどりつく」
アンタもただじゃ済まないぞ―――
そういうと、男はクスリと笑った。
「今度は命乞いですか?でも、やめてあげることはできませんよ。―――それに、あの男はまだ来れませんよ」
「!?」
「さぁ、話はこれぐらいにしましょう・・・お楽しみの時間がなくなってしまいますからね?」
そう言って、男はエドの上に身を沈めた―――