『あの男は来れない』
目の前の男は、確かにそう言った。・・・つまり、ロイの方にも手が回っているのだ。
エドは、ギリリと奥歯を噛み締める。
『敵はコイツ一人じゃない。誰か共犯がいるんだ・・・』
すでに手が回っていたとしても、アイツは勘がいいから簡単にやられてはいないと思うが・・・この男が言うように、ここには頼りになる側近達はいない。そんな状況で、単独切り抜けられるだろうか?
―――そこまで考えて、ハッとした。
ここにくるようにロイに命令し、ホテルの手配までしたのは。
『まさか・・・大総統』
考えついた可能性に、エドの視線が揺れる。
だが、そのまま思考に没頭する事は出来なかった。
思考の中を漂っていた意識が現実に引き戻される。
男の手が、無遠慮に肌をまさぐり始めた―――
・ 理想の結婚 ・ <その5 ”蜜旅行”>・・・7
「まさか、機械鎧だったなんてね・・・神経が麻痺していて助かりました」
男はそう言って、機械鎧と肌の継ぎ目の敏感な部分に顔を寄せる。
『くっ・・・』
思わず声が出そうになって、唇を噛みしめる。
体は相変わらず動かない。それなのに感覚の方は反対に冴え渡って、自分の身に起こっていることを正確に把握できた。
―――ぬめった舌が肌を舐め上げる感触が、たまらなく気持ち悪い。
リアルに伝わる感触から逃れたくて身をよじろうとするが、動かない体では逃れることなどできない。
それどころか、薬のせいでより敏感に感触が伝わってくる。
すでに衣服はナイフで嬲るように切り裂かれ・・・裸を男の目の前に晒し、男の手が直に触れてくるのを甘受するしかない。
女のように『キズモノニサレタ』などとは思わないが、やはり屈辱的だった。
『くそったれ・・・っ』
気持ち悪い。
気持ち悪いのに、薬によって否応無く高められた体は熱を持ち、背中にゾクリと何かが這い上がるような感覚が駆け抜けていく。
吐き気がするほど嫌なのに、自分の意志を無視して反応する体が恨めしかった。
頑なに歯を食いしばり声を漏らすまいとするエドに、男は嘲笑うように言った。
「あなたも楽しんだ方が得ですよ?辛い気分のまま死ぬよりいいでしょう?」
「・・ざ、けん・・・な」
「強情な人ですね」
でも、意思の強い人は好みです。
男はそう言うと、エドに顔を寄せてきた。
今まで体だけに触れていた男の唇が、エドの唇をめがけて降りてくる。
ギョッとして・・・次に、エドは怒りに顔を歪ませた。
―――もう少しで触れる。
そんな距離で、エドは声を絞り出した。
「噛みきるぞ」
ピクリと体を揺らして動きを止めた男は、僅かに身を離してエドを見つめた。
「・・・そんなにあの男がいいんですか?」
エドからすれば的外れな問いだ。
・・・それでも、ロイの妻という立場を崩さずに答えた。
「いった・・ろ?らぶらぶだって」
「そういえば、そうでしたね・・・まぁ、舌を噛み切られるのは困りますから、キスは諦めますよ・・・それに、キスよりこっちの方が効果的です」
「つ・・・っ」
鎖骨のあたりに痛みを感じて、エドは声を上げる。
男が唇をつけたエドの肌は、赤く鬱血していた。
「唇にキスするより、ちゃんと印を残してやった方があの男に知らしめる事ができるでしょう?―――あなたが他の男に陵辱されたと」
男の言葉に、痛みを感じるほど吸い上げられた場所がどんなふうになっているのかを察して、ザワリと心が波立つ。
触れられるのにも我慢ならないのに、男に確かに触れられたという印まで残された。
―――そう思うと堪らなくなった。
『ちくしょう・・・もっと警戒していれば・・ッ』
人間兵器とまで言われる自分が、こんな下種な手段を使う男にいいようにされているのが悔しい。
先ほどまで耐えていた嫌悪感がぶわりと膨らみ、吐き気さえしてくる。
・・・そして、今まで何とか押し込めていた『これから何をされるのか』という恐怖も、同時に溢れ出してきた。
「さわる・・・な」
今まで強気の姿勢を崩さなかったエドの声に『恐怖の感情』が混じったのに気がついて、男は口端を持ち上げる。
「それは聞いてあげられませんね。あなたはここで私に汚され、殺されるんです」
「・・・っ」
「あなたも恨むといいですよ、あの男を。・・・私のように」
嗜虐的な表情で舌なめずりをした男は、自分のベルトを外し始める。
「さぁ・・・そろそろ終わりにしなければ」
冷たい声色に息を呑み・・・そして、これから自分の身に起こることを想像して、不覚にも体が震えた。
男がエドの膝裏に手を掛け、足をグィと持ち上げる。
―――とうとう、今まで言うまいと我慢していた言葉が、口をついて出た。
「や・・・」
枯れた声で、叫ぶ。
「いや、だ・・・たすけ、アルッ・・」
――――――――――――――ロイ!!
ドン!!
突然聞こえた爆発音に、エドに覆い被さっていた男はハッと振り向く。
吹き飛んだドア。
煙が上がるその先には―――ここに来られる筈のない男がいた。
思わず、目を見開く。
「何をしている」
「くっ・・・」
凍り付きそうなほど冴え冴えとした冷たい声に、とっさに男はベッドサイドに置いていた銃に手を伸ばす。
だが。
「ぎゃあぁ・・・!」
銃に触れる前にその手は炎に焼かれ、火ぶくれになった手をかかえて男は悲鳴を上げた。
その悲鳴が終わらぬ間に、今度は顔に衝撃が走る。
駆け寄ったロイが、男の顔面を拳で殴りつけたのだ。
「がっ・・・!」
体ごと吹っ飛んだ男は、ベッド下に転がり落ち、のたうち回る。
男を殴り落としてエドを開放したロイは、彼に視線を向けた。
「エディ!」
名を呼び、彼を見つめて息を呑む。
―――男をその身の上から引き剥がしてやっても、エドは身動きもしない。
それどころか。
「ろ・・・い」
絞り出すようにして、やっと出された声。
瞳は正気なのに、動かぬ体。
引き裂かれた、何も身につけていないのに等しい衣服。
・・・胸元の鬱血。
何があったか、彼が何をされたか、瞬時にわかった。
―――ロイの顔が歪み、瞳が業火を宿す。
ロイはシーツをエドの体に掛けると、男を振り向いた―――。