ハボックが出て行ってほどなく、もう一度開いた執務室の扉。
奴が戻ってきたのかと不機嫌そうに顔を上げたロイの目は、次の瞬間見開かれた。
そこには、今月はもう姿さえ見ることも出来なくなったと思っていた少女が一人で立っていたからだ。
一瞬、『幻か?!』などと思った時、それは口を開いた。
「よぉ、頑張ってるじゃん?」
その声で、やっと本物だと思い知る。
驚いているロイを尻目に、エドはズンズンと歩を進め、ロイの前に立った。
「は、鋼・・・・・・?!」
「あれ?ハボック少尉は?まさか、さぼってんの?」
「あ・・・・・いや。今コーヒーを買いに行かせた所だ」
「そっか、じゃあ丁度いいや。これ、お茶うけにしろよ」
「?」
ドン、と机に置かれた箱。
疑問に思いつつ開けてみると、中にはドーナッツ。
シンプルで多少形が不揃いなそれは・・・・・・・もしや。
「もしかして、手作りなのか?」
「うん。今日の午前中、中尉に教えてもらって一緒に作ったんだ」
「それを、わざわざ持ってきてくれたのか・・・・・・」
箱を大事そうに持ち上げ嬉しさを隠さないで微笑む男に、エドは心持ち赤くなった顔を逸らすようにそっぽを向いた。
「えっと・・・・・・詫び、って言うかさ。まぁ・・・そんな感じ」
「詫び?」
「だってさ、今回のはやっぱりオレも悪かった気がして――――」
確かに挑発されたにせよ、別に『脱いで見せろ』と言われたわけではないのだ。
それを勝手に激高して脱いだのは、他ならぬ自分自身で――――――
しかも、ハボックは自業自得な気がするが、今回のロイは丸っきりとばっちりだった気がする。
だから、詫びのつもりで持ってきた。
エドはバツが悪そうにそう言った。
『まったく、なんとも可愛らしい・・・・・・』
少し恥ずかしそうに、所在なさげに視線を彷徨わす少女を見て、ロイの口元が緩む。
ドーナッツの箱を一旦置いて片手でおいでおいでをすると、彼女は戸惑いながらもデスクを回り込んできた。
椅子を回転させて彼女の正面を向き、隙を突いてその鋼の腕を引っ張る。
「うわっ!?」
突然で防御出来なかったエドは、あっさりとロイの腕の中に収まった。
その体を待った無しで抱えあげ、膝上に横抱きで座らせる。
近くなった顔を覗き見ると、驚愕で見開かれた目。
だがこちらと目があった途端、ぼわっと、白い肌がみるみるピンク色に染まりだした。
その、どこか艶かしい光景に見とれていると、腕の中の彼女が我に返ったように暴れだす。
「な、なにしやがんだ!!この無能!!!」
「君ともっと近くで話したいと思ってね」
「そ、そんなん!ひ、膝の上に座んなくても――――」
「いや、これが一番近い。暴れないで聞いてくれ、私も謝罪させて欲しいんだ」
「・・・・・・謝罪?」
その言葉を聞き、ピタリと抵抗が止む。
そして少女は首を傾げながら、眼前の男を見つめた。
「何でアンタが謝るんだ?」
「君が服を脱ぐのを止められなかったから」
「へ?だってオレ、勝手に脱いだんだし。・・・それに止める暇もなかったろ?」
「いや、冷静に対処すれば声を掛けるなりなんなりして、すぐに止めさせることが出来たはずだ」
だが、声が出なかった。
体が、動かなかった。
――――――――――目が、離れなかった。
「止めなければと思いつつ、君の肌に見とれた――――――」
「っ!・・・・・み、見とれるようなもんじゃないだろ?こんな傷だらけな・・・・・」
「いや、美しかった。とても」
「う、うつ・・・・・?!だって、機械鎧だって・・・・・・」
「そんなもの問題にならないくらいに美しかったよ、それに―――君の腕は弟を取り戻す為に差し出した物だ」
その心こそが一番美しいのかもしれないな―――
そう言ってロイは右手をきゅっと掴みこんだ。
感覚もない筈の手なのに、掴まれた所が熱い気がしてエドは密かに体を震わせた。
「そんな風に躊躇してしまった為に、ハボックなんぞに君の素肌を披露してしまう嵌めになった」
悔しいよ。
君への謝罪というより、迂闊な自分への後悔の懺悔だな。
ロイは苦笑してから、真面目な顔になった。
「頼むから、もうあんな風に無防備に脱いだりしないでくれ」
『アンタに指図されるような問題じゃねーだろ?』
そうは思いつつも・・・・・真剣な声色に、エドはなぜか素直に頷いていた。
「・・・・・そんなにオレのハダカに価値があるとは思えねーけど。今回、アンタにも迷惑かけちゃったしな。
ま、いいや、約束するよ。これからは人前じゃ絶対脱がないから」
「是非そうしてくれたまえ」
「あ!アルの前はいいだろう?」
「うっ、弟君か。それはまぁ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・仕方あるまい」
内心の葛藤を隠しもせず、しぶしぶといった感じに返事をするロイにエドは苦笑する。
実の弟にまで嫉妬する、この独占欲はなんなんだろう?
呆れを通り越して、可笑しささえこみ上げてきてしまう。
「んな顔、すんなよ。約束通りアル以外の男の前では脱がないからさ?」
「あ、例外がもう一人」
「もう一人?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・親父?」
血縁関係だけ許すというなら、もう一人は父親ぐらいだろう。
だが、あんなクソ親父、目の前で服を脱ぐどころか、会う予定もないのだが?
そう思いつつ、首を傾げて見せると―――――――大佐殿は、それはそれは綺麗に微笑んだ。
「いや、私だ」
「・・・・・・・は?」
「私と2人きりの時は、思う存分脱いでかまわないよ」
大歓迎だ。
にこにこと、笑顔でそう言うロイを唖然と見詰めて。
そして、エドの顔は首までみるみる真っ赤になった。
「アンタと2人っきりの時なんかに誰が脱ぐか!!このエロ大佐〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」
「あの様子じゃ、ハボックとだったら2人きりの時でも脱いだんだろう?」
「・・・・・・・・・だって、少尉は兄貴みたいっていうか。アンタと違ってそんなエロな目でみたりしないし」
「馬鹿を言うな!!男はみんな狼なんだぞ?とにかく、私と2人きりの時なら安心だ。他の男はダメだ!」
「どこが安心だ!?軍の男性宿舎で脱ぐよりキケンだ、ボケッ!!」
「男性宿舎?!そんな例えは止めたまえ!!想像しただけでそこら中燃やしたくなる!!!」
「・・・・・・・・・・・・・放火魔か、アンタは」
激高して拳を振り上げたエドだったが、続けられた言葉に思いっきり脱力して。
何かどうでも良くなってきたエドは、アルと大佐以外の男の前では服を脱がない約束をして。
そして、膝の上に収まったまま、2人仲良く(?)ドーナツを食べたのだった。
******
「あー・・・・・。どーすっかな、このコーヒー?」
執務室のドアの前で。
僅かに開いたドアの隙間から、2人のじゃれあいを見ていたハボックは、ガリガリと頭を掻いた。
ドーナッツにはコーヒーが欲しいだろうとは思うが、今入ったら確実に燃やされそうだ・・・・・
そう思いつつため息を吐くと、気持ちを代弁するように後から声がかかる。
「今入ると確実に燃やされるわよ?」
「ちゅ、中尉!?あ、あのっ!!オレ・・・・・サボってるわけじゃなくって!!」
「分かってます。慌てなくてもよろしい」
「は。・・・・・それにしても、よくエドがここに来るの許しましたね?」
「許したわけじゃないけど・・・・・ドーナッツを作り終わったあと、エド君なんだかそわそわと落ち着かなくて」
急用が出来たことにしてドーナッツを持たせて別れたら、案の定彼女はここに来たのだとリザはため息を吐いた。
「はぁ。なるほど・・・・・で、どうします?」
「仕方ないわ。今日はエド君に免じて許して上げましょう」
但し、その分明日みっちり仕事をしてもらうわ。
冴え冴えとした笑みを浮かべる彼女に、ハボックは少しあとずさりして。
それでも、その矛先は大佐に向いているらしい事に少し安心しつつ、ハボックはポットを持ち上げて見せた。
「そうですか。じゃ、とりあえず一緒にコーヒーいかがっスか?」
向かいのカフェのオリジナルブレンドですよ?
そう笑って見せると、リザも今度は柔らかく笑って持っていた箱を持ち上げた。
「そうね、ご馳走になるわ。お茶うけにドーナツはいかがかしら?」
「いいっスねー♪」
そして2人はそっとドアの前を離れたのだった。
******
その頃、執務室では。
「おや・・・とても美味しいからもうなくなってしまった。もう一個くれないか?」
「いいよ。ほい」
「あーん」
「・・・・・・自分で食えっ///」
殺伐とするはずだったロイの午後は、思いのほかほのぼのと過ぎていったようだった。