「はぁはぁはぁ・・・・・」


荒い息遣いと走る足音が暗い裏路地に響く。

「はぁ、はぁ、はあっ・・・は・・・は」

曲がった先は行き止まり。
足を止め、きょろきょろと辺りを窺う。

カラン

空き缶が倒れるような音に、ビクリと肩を震わす。
だが、音の方向から現れたのは、一匹の猫だった。
「にゃあ」と一声あげて、こちらを一瞥すると、猫は去っていく。
そして、辺りに気配は無くなった。

「はぁ・・・・・」

ホッとして、その人物・・・エディはため息を吐いた。
そして、震える手を持ち上げて、指で自分の唇に触れる。
一度はぬめるように湿ってしまったそこは、走りながらぬぐってしまったので、もう乾いている。
でも、まだそこに熱が残っている気がして。
エディは指でそっと押さえ、ふるりと体を震わすと、目を閉じた―――。




『見知らぬ、君』・・・11




ここ数日続いている夜のデート。
今日も芝居に連れて行ってもらった。
食事をして、芝居を見て、他愛も無い会話をしながら夜の道を歩く。
そして、『また明日ね』と言って、別れる筈だった。
けれど、今日は違った―――

相変わらず『はがねの』と『エディ』の間違い探しばかりしているロイに、食って掛かった。

たった一週間。
たった一週間『エディ』の事を考えてくれればいいだけなのに。
一緒にいられる時間は、そう長くない・・・だから、だからその間だけでも『エディ』の事を考えて欲しい。
・・・たとえ偽りでもいいから、『彼に愛された思い出』が欲しかった。
だから、食って掛かった。
『一週間だけオレを見て!』と。
だが、そんなエディの叫びに答えた彼の答えは。

『私が、一週間で君を手放すのに耐えられなくなったとしたら?』

訳がわからなかった。
この男は何を言っているのかと、呆然とした。
信じられないでいると、たたみこむように彼は言葉を続けた。

『私が君のことを本気で愛してしまったとしたら・・・どうする?』

これも、恋人ごっこを盛り上げる為のリップサービス?
そんな疑心はすぐに砕け散った。
彼の黒い瞳が・・・こちらを見つめる眼光が、答えを雄弁に語っていた。

『これは真実だ』と―――

思わず、震えた。
彼の瞳が真実だと告げている。
だが、頭ではそう認識しても、気持ちがついていかなかった。
パニックになった頭に浮かんだのは『逃げよう』の文字。
―――だが、それは叶わなかった。

すでに、片腕は捕らえられていた。
身をよじると、もう片方の腕で腰を引き寄せられて。
―――気がついた時には、彼の腕の中だった。

「離し・・・っ!」
「何故逃げる?」
「離してってば!・・・なんでこんな!」
「聡い君のことだ、わかっているんだろう?」


今の台詞が冗談などではないことを?


ロイの言葉に、震えが止まらなくなる。
逃げなくてはと焦った。

「ロイ!お願いだから・・・っ!」
「ふむ・・・冗談でないのは、やはり伝わっているようだね」

エディの慌てようを見て、ロイは反対に冷静な口調でそう言った。

「最初は好奇心だったよ。君があまりに『鋼の』に似てるから」
「・・・・・」
「正体を暴こうとする気持ちも、真実を知りたいだけだった。だが、たった数日でそれが変わってしまったよ」


今、君の正体を暴きたいのは―――君を離したくないからだ。


そう告白するロイに、エディは目を見開いた。
そんな彼女を、ロイは強く抱きしめる。

「エディ・・・君が鋼のでも、鋼のでなくても、どちらでもいい」
「!?」
「どちらでもいいから・・・私の手の届かないところに行かないでくれ」


このぬくもりを、離したくない・・・・・


その言葉とともに、ロイの顔が近づいてきて。エディは再び目を見開く。
唇に、柔らかい感触。
―――言葉を返す間もなく、唇は奪われていた。

「・・・・・や!」

触れただけのそれだったが・・・盛大にうろたえて、彼女は今度こそ逃げ出した。
何も考える事はできなかったが、先程から強く意識していた『逃げなければ』という思考が残っていたのかもしれない。
ほとんど反射的にロイを突き飛ばすようにして、エドは側にあった路地に逃げ込む。
――――だが、そのまま逃走する事は敵わなかった。
伸びてきた腕が、エディの体を路地の壁に縫いとめる。
そのまま、再び唇を塞がれた。

「・・・ふ」

エディにとって、初めてのキス。
でも、それは彼女が想像していた『ファーストキス』というものとは、かけ離れたものだった。

「うぅ・・・ん・・・・・・は・・ぁ」

息を吸うのさえままならぬほど奪われ続けるそれは、少女の思考を麻痺させる。
蠢く感触が、湿った水音が、悩ましくもれる吐息が・・・その全てが、火傷しそうに熱くて。
苦しいのか、気持ちいいのかさえ、曖昧になっていく。
あれほど思っていた『逃げよう』という思考も霧散して、ただ、意識が白くなる。

どのくらいそうしていたのか?

不意にその熱が離れていった。
うつろな、潤んだ瞳をゆっくりと開けると・・・目の前にあったのは、愛しさと切なさが交じり合った漆黒の瞳。

「エディ・・・・・」

名を呼ぶ声の、なんと甘いことか。
それだけで、背中に甘い痺れがはしるのを感じる。
抗う心さえ蕩けそうだ。

「ずっと、私の側にいなさい・・・」
『ロイ・・・』

このまま、彼の腕の中にいられたら・・・
蕩けた思考でそんな事を思いながら、顔を上げてぼんやりと彼を見つめる。
熱を帯びた視線。
甘い言葉を紡ぐ唇。
だが、それと一緒に見えたものに、エディは目を見開いた。
見えたのは、コートの下の―――青い軍服。

どんっ

思いっきり突き飛ばされて、ロイはよろけて数歩下がる。
驚いたようにエディを見つめると、彼女は一瞬涙がこぼれそうなほど潤んだ瞳をこちらに向けて・・・でも、なにも言わずに身を翻した。

「まっ・・・・!!」

静止も聞かず走り去る、エディ。
ロイは一瞬顔を歪めて。
でも、すぐにその背を追って走り出した―――



******



「まいた・・・みたいだな?」

エディはそう呟いて辺りを見回すと、パンと両手を合わせた。
その手を行き止まりの壁に当てると、あっという間に何も無い壁に足場がいくつか出来上がる。
それに足を掛けてトンと重力を感じさせない仕草でそこを上って、壁を乗り越える。
音も無く壁向こうに飛び降りると、彼女はまた走り出した。

着いたのは、ある屋敷の裏門。
ひらりと軽やかに鉄柵を乗り越えたエディは、そのまま裏口まで駆けた。
辺りはもう、うっすらと明るくなっている。

『いつの間にかこんな時間になっていたのか・・・』

思いのほか、ロイとの鬼ごっこに時間がかかっていたのだなと思った。
念には念を入れてかなり遠回りをしたので無理もないとため息を吐きつつ空を見上げると、とうとう山の向こうから太陽が顔を覗かせた。
朝日が、エディの元に降り注ぐ。
その途端、彼女は眉を寄せ、自分の体を両手で押さえた。


「う・・・・・」


彼女の体は、突如光に包まれた――――



                           



今回からエディ側の語りも入って、彼女の秘密を明かしていきたいと思います。
それにしても、やっとここまで・・・(涙)
当初は、トントンと進んでポンポンと種明かしするつもりだったんですが・・・
それが、どんどん間が空いてこんなに長い間の連載に;
そのせいで秘密部分にたどり着かず、気をもたせちゃってすみません;
なので、色々想像していた方には肩すかしになるかも・・・ご、ごめんなさい(滝汗)



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